16.魔力の暴走
「なに、なんなの……?」
私は怖くなり、フィオが眠るベビーベッドの方へと咄嗟に近づく。
フィオの顔を覗き込むとーーその顔は暑いのか、頬がりんごのように赤くなっていた。
まさか、と思い額に手を当てると、平熱よりも明らかに皮膚の温度が高い。
「熱が出ちゃったのね……! 冷やさなきゃ」
私は井戸水を汲んだ桶の方へ行き、すぐに布を濡らして絞り、フィオの額に置いて熱を少しでも下げてあげたいと思った。
しかしーー
「ふぇ……ふぇぇぇ……」
フィオの泣き声に呼応するかのように、窓がガタガタと揺れ、電灯は明暗を繰り返し室内は不安定に照らされる。
「な、なに!?」
焦って声を上げた時。
「ふえぇぇーーーーーん!!」
フィオが鼓膜を突き刺すような甲高い泣き声を上げた。
その瞬間、電灯と部屋の窓が弾け割れる。
部屋は真っ暗になり、窓ガラスは割れ、外から突風が吹きこんできた。
「きゃあ!?」
急な突風にバランスを崩し、私は床に膝をついてしまった。
そしてそこで信じられないものを目にする。
「う、浮いてる……!?」
食器棚の中のお皿やティーカップ、ソファに置かれたクッションや椅子が、宙に浮いているのである。
重力を無視したその光景が、信じられなくて私はあんぐりと口を開けて呆然としてしまう。
(ポルターガイスト? 一体どういうことなの……!?)
蝋燭の炎がついては消え、ついては消えと繰り返し、ドアは勝手に開いては閉まり、激しい音が響き、丈夫な屋敷も揺れてしまっている。
「ふぇぇぇぇええーーーーん」
顔を真っ赤にしたフィオの甲高い叫び声に合わせるように、壁に掛けられた絵画が落ち、花瓶が割れ、桶の水は溢れ床は水浸しになる。
その時、私はフィオの叫び声が、このめちゃくちゃに荒れる部屋の怪奇現象を生み出しているのだと気が付き、咄嗟にフィオの元へと駆け寄った。
「よしよし、熱でつらいんだね、落ち着いてフィオ……!」
私は異常事態に震えが止まらない手で、必死にフィオを抱きしめ落ち着かせようとしたが、
「ふぇぇぇぇん!」
パリン!
フィオの声でまた窓が割れ、私は体をすくめて縮こまってしまう。
(怖い……! でも、フィオの方がきっとつらいはず、抱っこしなきゃ……!)
そう思っている間にも、突風が吹きこみ部屋は荒れ続ける。
(誰か、助けて……!)
私が心の中で弱音を吐き、目をつぶって祈った瞬間。
「大丈夫か!」
屋敷の入り口から、男性の声が聞こえた。
「あ、アーサーさん……!」
騒動に気づいて駆けつけてくれた、隣人のアーサーさんが声をかけてくれた。
彼は食器が割れ、家具が倒れ、突風が吹き荒れる部屋の中を見て、声を失っていた。
「これは一体……」
『五感強化』で研ぎ澄ませた彼の耳でなくても、泣き叫ぶフィオの声や割れる窓の物音は聞こえたのかもしれない。
「フィオがひどい熱を引いていて、彼の泣き声に合わせて物が割れるんです……!」
私が早口で説明すると、ちょうどフィオがまた泣き声をあげ、花瓶が落ちる。
「まさか……そんな、ことが……」
アーサーさんは銀髪を掻き上げ、熱を出して泣いているフィオと、落ちた花瓶や食器の破片を見渡している。
何か、信じられないことを目の当たりにしたような表情だ。
つんざく赤子の泣き声に目を細めた後、私に声をかける。
「落ち着け、子供の魔力の暴走だ」
動揺する私をなだめるように、彼は声をかけてきた。
「ま、魔力? フィオの……?」
こんな生まれたばかりで、まだ話すことも歩くこともできない小さな赤ちゃんに、魔力があるなんてにわかには信じ難い。
しかし、目の前では今もガタガタと窓枠が揺れ、不自然な突風が吹き込んでいる。
「手を出してくれ。君の『慈しみの抱擁』のスキルがあれば、彼と『共鳴』できるかもしれない……!」
アーサーさんは片手で自分の耳を押さえたまま、私に手を差し出すように指示してきた。
慌てて手を向けると、彼は大きな手のひらで私の手を包み、いわゆる恋人繋ぎで手を繋ぐ。
ロマンチックのかけらもない、緊迫した恋人繋ぎ。その重ねた手をフィオに向ける。
「鎮まれ、鎮まれ……!」
アーサーさんは視線をまっすぐフィオに向け、祈るように集中している。
(お熱が出たの、つらかったんだよね……泣いて教えてくれたんだね、気付くのが遅くなってごめんね……!)
私も、心の中でフィオに何度も語りかける。
すると、私とアーサーさんの重ねた手に、黄色と青色の光が煌めき、それが混ざって綺麗なエメラルドグリーンに輝いた。
「わわ、すごい……!」
私の育児チートスキルの黄色の光と、アーサーさんのスキルの青色の光が混ざり合う。
美しい緑の輝きが、フィオの全身を包みこむ。
「ふぇぇ……ふぇぇ…ん……」
眉を下げ、まだ生えたばかりの数本の歯を剥き出しにして泣き叫んでいたフィオが、ゆっくりと声を落とし、やがて口を閉じた。
それに合わせて、軋んでいた窓や床の揺れは止まり、家具が浮き、割れる事態は収束した。
不意に訪れた静寂に、スースーというフィオの小さな寝息だけが聞こえる。
「収まった……のかしら?」
「ああ。『共鳴』がうまくいったようだ」
唖然とする私と、うまくいって安堵のため息を吐くアーサーさん。
大きな手のひらは、まだ私の手を強く握ったままだ。
「はあ……良かったぁ……!」
壊れてしまった食器や家具はまた買えるけれど、子供を預かっている身としては、フィオが落ち着いたことに心底安堵した。
割れて床に散らばったガラスの破片と、眠るフィオの長いまつ毛を見つめる。
「……まさか、こんなことになるなんて……」
眉根を寄せ独り言を放ったアーサーさんは、何か信じられないものを見たかのように厳しい表情をした後、もう一度強く私の手を握った。
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