第1章 1.神託の巫女、目覚める
「えれな先生、さようならー!」
「はい、また明日ね! 気をつけて」
園バッグを斜めにかけ、黄色い帽子を被った子供は元気に挨拶をした。
仕事帰りにお迎えに来た共働きのお母様に、会釈をして子供に手を振る。
夕方5時ごろ。子供を送り出した後、私、高橋絵玲奈はほっと肩を下ろした。
(今日も怪我人や病人も出ず、元気にみんなが過ごせてよかった)
2歳児クラスの担当をしている保育士の私は、子供たちの笑顔と、毎日少しずつ成長が見れるこの仕事は転職だと思っていた。
早番の私は、遅番の先生方とまだ残っている園児たちに挨拶をし、退勤した。
帰り道にスーパーで買い物をし、一本だけチューハイを買い、シャワーを浴びて晩酌がてらに簡単なおつまみを作る
(そうたくん、お熱下がったみたいだから明日には登園できるかしら。
まなちゃんは最近ますますお歌が上手になったよね。
あ、れんくんは予防接種があるから明日は欠席か)
保育園で使っているアプリで、保護者の方から届く通知を見ながら、自分のクラスの子達の今日の様子や明日の予定を整理する。
そして、保護者の肩に見せる用の園で撮った写真を見ながら、お砂場で笑顔満点の子供達の顔に、ほっこり癒されていた。
「ふわぁぁ……今日は早く寝ようかな」
まだいつも寝る時間よりは早かったが、最近は土曜出勤や運動会の準備で忙しかったせいで、疲れが溜まっていた。
明日に疲れを残してはいけないと、部屋着姿の私は軽く伸びをする。
「読み聞かせするための本、練習するために持って帰ってきてたんだっけ……まあいいや、明日読めばいっか」
部屋を片付けて歯を磨き、早めにベッドの中へと入り電気を消す。
きっと明日もまた、楽しいけれどクタクタになる、子供達との充実した日が過ごせるはずだと、目を閉じる。
夢の中へと誘われる瞬間、頭の中で声が響いた。
パラパラ、とほんのページが捲れる音が、微かに聞こえる。
『この世界には救われるべき命がある』
『その子を守れるのは、汝ただ一人』
(なに……おかしな夢……)
『汝の名は、エレナ・ハーリントン』
『ーーー汝に【慈しみの抱擁】を授けよう』
『さあ目覚めるのだ、【神託の巫女】よ』
心地よく温かい光に包まれ、私はゆっくりと目を開いたーーー。
* * *
「ふわぁぁ……はーあ、いま何時……?」
目を擦り、目覚まし時計代わりにいつもアラームを鳴らしているスマホがないか手元を探す。
しかしスマホは無いし、それどころか、私は寝室のベッドに横になっていたはずなのに、外の公園のベンチに座っているようだった。
(うそ! 記憶がなくなるほど飲んでないんだけど! てか、保育園の時間は!?)
目覚めたら家の中ではなかったことと、日が昇っている事から仕事に遅刻したのでは無いかと焦って、ベンチから立ち上がる。
しかしーー周りの景色を見て、驚いた。
私が住んでいる、東京の郊外の街並みとは全く違った。
石畳に、煉瓦造りの建物。公園には噴水が吹き上がり、白い街灯が並んでいる。
まるで映画で見るヨーロッパの街並みのような景色が広がっていたのだ。
街行く人たちも、おばさまもお兄さんも子供も、金髪や茶髪、青い眼をしている。
「ど、どこ……? 外国……? まだ夢見てるのかしら」
まだ寝起きで頭が整理できない。
ウロウロと街中を歩いていたら、パン屋の窓ガラスに映った自分の姿を見て、驚いた。
髪の毛は腰まで伸びるハニーブラウンのロングヘアー。
エメラルドのような緑の目に、レースのついたボルドーのワンピースを着た、お人形のような美少女。
(こ、これが私!?)
まるでお伽話のプリンセスのような愛らしい姿に、私は髪の毛を握ったまま大きく口を開けて絶句してしまった。
仕事中は転ばないようにスニーカーしか履かない私が、15センチはありそうなヒールを履いている。
窓ガラスに張り付いて百面相をしている私を、街の通りすがりの人たちは怪しげな顔で横目で見てくるので、慌てて姿勢を正す。
とりあえず自分の家を探そうと、中世ヨーロッパのような街並みを歩いていく。
すると、目の前に荘厳な大聖堂が現れた。
真っ白な象牙のような壁に、三角の煉瓦造りの屋根。その上には大きな十字架が天に向かって伸びており、日本でもたまに見るミサを行う教会のような建物。
その建物を見て、私はふと思い出した。
「この大聖堂……『まほうの国のものがたり』の表紙に描かれているのと同じだ」
今度園児たちに読み聞かせるため、保育園から持ち帰っていた、いま人気の絵本。
『まほうの国のものがたり』の表紙と、全く同じ聖堂だったのだ。
軽くパラパラとめくっただけで、詳しくは後で読もうと思っていたので、内容は知らないが、タイトルの通り魔法が出てくるんだろうな、とは察しがついていたが。
(でもどうして、私が絵本の世界に?)
果物屋さんやパン屋さんがある、庶民的な街並みから一変、大聖堂があるところだけは荘厳で、空気感が違う。
吸い込まれるように近づいた私は、そびえ立つ十字架を見上げながら、風、とため息をついて見惚れてしまった。
その時。
ーーーほぎゃあ、ほぎゃあ、ほぎゃあ……
風に乗って、微かに赤ちゃんの泣き声が聞こえた気がした。
まだ生まれたばかりの幼い声。
フードコートや公園で泣いていると、お母さんがトントンとその背を叩いてあやしているのよく見かけたものだが。
「聖堂の中からかしら……?」
小さい声だが、気にすればするほど、全然泣き止まないのが気になってしまう。
私は、声の主がいるであろう聖堂の中に一人、扉を開けて入ってみた。
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