第1章「境界の先へ」
──空気が、変わった。
ディセルの荒れた大地を越え、
彼らは第10構成区、アトラの境界に辿り着いた。
そこに立っていたのは、
風に晒され朽ちた門でも、重厚なバリケードでもなかった。
──真っ白な壁。
質感も重さも判然としない、ただそこに存在する”境界”。
まるで、この先が別の世界であることを、静かに告げるかのように。
イナが足を止め、振り返ることなく静かに言った。
「気をつけて。このゲート、普通の検問とは違うわ。」
「近づくと、意識を仮想空間に引きずり込まれる。精神状態を直接スキャンされる。」
「少しでも異常があれば、肉体も意識も拘束される。」
「……覚悟はいい?」
誰も、冗談を返さなかった。
エレナは、無言で前に出る。
ノアとライナ、ミーラも続いた。
──そして。
境界線を越えた瞬間、
エレナの視界が、真っ白に塗りつぶされた。
無音の世界だった。
ゲートを抜けた瞬間、エレナたちは仮想空間に引きずり込まれていた。
何もない空間。
どこまでも続く、ただ真っ白な世界。
イナの言葉が、脳裏に蘇る。
──少しでも異常があれば、肉体も意識も拘束される。
慎重に、静かに、エレナは進んだ。
問いかけはなかった。審査AIの声も、存在も感じなかった。
ただ、試されている──そんな直感だけがあった。
どれくらいの時間が過ぎたかも分からない。
やがて、白い世界が音もなくひび割れ、崩れ、
次の瞬間、現実へと引き戻された。
眩い光が、視界を覆った。
アトラ。
そこは、夜にもかかわらず、昼間のように光に満ちた都市だった。
高層ビル群が青白い光を放ち、空には無数のホログラム広告が漂っている。
人々は歩き、笑い、楽しげに語らいながら通りを行き交っていた。
──まるで、夢の中に迷い込んだようだった。
エレナたちは、誰も言葉を発さないまま、ゆっくりと歩き始めた。
地面には淡い光の粒子が舞い、
空気はどこか甘ったるい香りに満ちていた。
歩道のカフェでは、鮮やかなドリンクを片手に笑い合う大人たち。
ホログラム体験施設の前では、順番待ちをする客たち。
誰もが、幸せそうに見えた。
──しかし。
エレナは、胸の奥に小さな引っかかりを感じた。
笑っているはずの人々の、笑顔の裏に、ふと、寂しさが滲んでいるような気がした。
ミーラが小さく呟く。
「綺麗な街だね。……でもそれだけ。」
ライナが小さく笑った。
「楽園みたいね。.....よくできた、作り物の。」
ただ、静かに、広がる光景を見つめていた。
エレナは空を見上げた。
ホログラムの向こう、ほんのわずかに覗く黒い闇。
その向こうには、何があるのだろう。
──ここは、アトラ。
世界で最も甘美で、そして最も冷たい都市。
彼女たちの旅は、まだ始まったばかりだった。