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第2章:開かれる旅路(2)

 エリスに案内された研究施設は、森の縁に建てられた小さな塔だった。

 外観は質素だが、中に入ると驚くほど整然と並べられた研究機材や古代の品々が目に入る。

 壁一面には書物が並び、作業台には複雑な魔法陣や試験管が置かれていた。


「これが私の研究拠点です」


 エリスが静かに言った。


「本来なら助手もいるのですが、森の状況が不安定になってから、皆アルカニアに避難してしまいました。私一人だけが残っています」

「なぜ一人で残ったんだ?」

「研究の途中で投げ出すわけにはいきません」


 彼女の声には強い決意が感じられた。


「それに……ある重要な発見をしたのです。それを検証せずには帰れませんでした」

「重要な発見?」


 エリスは奥の部屋へと案内した。

 そこには巨大な石板が置かれており、その表面には奇妙な文様と古代文字が彫られていた。


「これは『封印の石板』。聖域の封印に関する手がかりが記されています」


 彼女は石板の前に立った。


「先日、この石板を解読する鍵を見つけました。しかし……」


 エリスはため息をついた。


「石板自体に『施錠』がかけられていることに気づいたのです。通常の魔法では解除できない特殊なものです」


 俺は石板に近づいた。

 確かに、右手の紋様が反応している。

 これは高度な「施錠」だ。


「ここで、トオルさんの『鍵師』としての能力を借りたいのです」


 エリスは真剣な表情で俺を見つめた。


「もし石板の封印を解くことができれば、『森の心臓』への道だけでなく、なぜ森の魔力が乱れているのかも分かるかもしれません」


 俺はシルフィアとクロエを見た。

 二人とも小さく頷いた。

 この石板が何か重要な手がかりを持っているのは間違いない。


「試してみよう」


 石板に近づき、右手をかざした。

 『万物解錠』の紋様が明るく光り始める。


 石板からは強い抵抗を感じた。

 これは単純な錠ではない。

 何か意図的に、強固に封じられている。


「施錠の痕跡が……複数ある」


 俺は集中しながら言った。


「最初の封印は古代のもの。でも、その上に別の誰かが新たな施錠をかけている……」

「別の誰かって……」


 シルフィアが緊張した様子で訊いた。


「分からない。でも、かなり高度な技術だ」


 魔力感応ピックを取り出し、石板の各部分に当てていく。

 内部の構造が少しずつ見えてきた。


「これは……」


 俺は驚きを隠せなかった。


「何重もの施錠が何層にも重なっている。しかも、解錠の順序が複雑だ。間違えると何か起こりそうな気配がある」

「危険ですか?」


 エリスが緊張した様子で訊いた。


「ああ、おそらく。でも……やってみる」


 深く息を吸い込み、右手を石板に当てた。

 『万物解錠』の力を集中させる。


「まず、最も新しい施錠から解いていく……」


 紋様が強く輝きだした。

 頭の中に複雑な施錠の構造が浮かび上がる。

 何かの組織――もしかしたら『施錠騎士団』というものが関わっているのかもしれない。


「万物解錠」


 俺の言葉とともに、石板が震え始めた。

 一層目の施錠が解かれ、光が漏れ出す。


「次……」


 続けて二層目、三層目と解いていく。

 汗が額から流れ落ちる。

 これほど複雑な施錠は初めてだ。


 ついに最後の、そして最も古い封印に到達した。

 これは単なる物理的な錠ではなく、魔法と概念が織り交ざった特殊なものだ。


「最後の一つだ……」


 集中力を高め、右手を石板に押し付けた。

 『万物解錠』の紋様が眩いほどに輝く。


「開け!」


 大きな音とともに、石板から光が溢れ出た。

 部屋全体が明るく照らされ、石板の文様が一斉に輝き始める。


「成功だ……」


 エリスの声には驚きと興奮が混ざっていた。

 光が収まると、石板の表面に新たな文様が浮かび上がっていた。

 古代文字も、先ほどまでとは全く違うものに変わっている。


「これは……」


 エリスは石板に駆け寄り、文字を追っていった。

 彼女の表情が次第に変わっていく。


「驚くべきことが書かれています……」

「何だ?」

「古代の賢者たちは、森の力が暴走することを恐れ、『森の心臓』を使って封印を施したとあります。しかし、その封印は永久ではなく、定期的に補強する必要があるとも……」


 彼女は続けて読み進めた。


「そして……最近誰かが、その補強を妨げているとも書かれています」

「誰かが妨げている?」

「はい。文献によれば、『施錠騎士団』と呼ばれる組織が、封印の維持を担ってきたようです。しかし、今その組織内に対立が生じているとも……」


 シルフィアが身を乗り出した。


「対立?」

「詳細は書かれていませんが、組織の一部が暴走し、別の目的のために『森の心臓』を利用しようとしているようです」


 エリスは続けて石板を解読した。


「そして……」


 彼女の表情が一変した。


「『領界の鍵』という名の鍵が、『森の心臓』へのアクセスに必要だとも書かれています」

「『領界の鍵』!?」


 シルフィアが思わず声を上げた。

 彼女は首から下げているペンダントを握りしめた。


「間違いない。ロード・Xはこれを狙っていたんだ……」

「何かあるのですか?」


 エリスが不思議そうに尋ねた。


「この『領界の鍵』は、私の家に代々伝わるものだ。ロード・Xという貴族が、これを奪おうとしている」


 エリスは理解したように頷いた。


「なるほど……それで『森の心臓』に到達しようとしているのですね」


 彼女はさらに石板を見つめ、顔色を変えた。


「これは大変です。石板によれば、『森の心臓』の力を誤って使用すると、封印が完全に解け、大惨事を招くとあります」

「大惨事?」

「詳細は不明ですが、森の魔力が暴走し、周辺地域に大きな被害をもたらす可能性があるとのことです」


 四人は重苦しい沈黙に包まれた。

 ロード・Xの陰謀は、単なる権力争いではなく、多くの人々の命を危険にさらすものだったのだ。


「我々は『森の心臓』を守らなければならない」


 シルフィアが決意を固めた様子で言った。


「ロード・Xに先んじて、聖域に到達する必要がある」


 エリスは石板から目を離し、三人を見つめた。


「私も同行させてください。この危機は私の研究だけの問題ではなくなりました。多くの人々の命がかかっています」


 彼女の紫色の瞳に、強い決意の色が宿っていた。

 

「歓迎するわ!」


 クロエが明るく言った。


「魔術師の知識は、森の中で絶対に役立つもの。それに、古代文字の解読もお願いしたいし」


 シルフィアも同意の表情を浮かべた。


「確かにエリスの知識は貴重だ。共に行動しよう」

「ありがとうございます」


 エリスは小さく頭を下げた。

 彼女がここまで心を開いてくれたのは意外だった。


「準備が必要です。明日の朝、出発しましょう。それまでに必要な装備と資料を揃えておきます」


 彼女は石板を再度見つめた。


「また、この石板から得られた情報をまとめておきます。『森の心臓』がどのように封印と関わっているのか、もう少し調査する必要があります」


 俺たちは彼女の提案に同意し、夜も遅くなっていたので村の宿に戻ることにした。

 明日からは四人での旅となる。


 ◇


「エリスという魔術師、どう思う?」


 宿に戻る道すがら、シルフィアが小声で訊いてきた。


「真面目な人だな。研究熱心で、少し人付き合いは苦手そうだけど、頼りになりそうだ」

「私もそう思う。彼女の知識は本物だ。解読能力も確かなものだろう」


 クロエはその会話を聞きながら、くすくすと笑った。


「二人とも、肝心なことを見逃してるわよ〜」

「何だ?」

「エリスが、トオルくんの能力に興味津々だってこと!」


 クロエはウインクしながら言った。


「彼女、トオルくんの『万物解錠』を見た時、目が輝いてたわ。あの子、絶対に研究対象にしたがってるわよ」

「それはダメだ!」


 シルフィアが思いのほか強い口調で言った。


「トオルの力は軽々しく扱うべきではない。その能力の秘密は、できるだけ少数の者だけが知るべきだ」

「まあまあ」


 俺は苦笑しながら二人を宥めた。


「エリスには能力のことは話してある。これから一緒に行動するなら、隠し事は少ない方がいい。それに彼女は信頼できそうだ」


 シルフィアは少し不満そうだったが、それ以上は何も言わなかった。

 クロエは意味ありげな笑みを浮かべたまま、宿の方へ歩いていった。


 宿に着くと、主人が何やら慌ただしく動き回っていた。


「どうしたんだ?」

「ああ、お客さんたち! 丁度いい。夕食の準備ができたよ。今日は村の祭りの前夜祭でね、特別な料理を用意したんだ」

「祭り?」

「ああ、明日は森の精霊を祀る『緑の祭り』さ。一年で最も盛大なお祭りだよ」


 私たちは顔を見合わせた。

 祭りがあるなら、情報収集の良い機会かもしれない。


「みんな、少し予定変更はどうだろう」


 俺は二人に提案した。


「明日はこの祭りに参加して、村人たちから情報を集めよう。それから、エリスと合流して森に向かうというのは」

「賛成!」


 クロエは目を輝かせた。


「祭りには色んな商人も集まるし、情報も手に入れやすいわ!」


 シルフィアも静かに頷いた。


「確かに、急ぐべきだが、情報収集も重要だ。一日程度なら問題ないだろう」


 決まりだ。

 俺たちは主人の勧めに従って食堂へ向かった。

 そこには既に多くの旅人や村人たちが集まり、賑やかな前夜祭が始まっていた。


「わあ、すごい料理!」


 クロエの目が輝いた。

 テーブルには森で採れた食材を使った様々な料理が並んでいる。

 キノコのシチュー、野草のサラダ、鹿肉の煮込みなど、どれも美味しそうだ。


 俺たちは席に着き、料理を楽しんだ。

 シルフィアはいつもの緊張感を少し解き、優雅に食事を口にしている。

 貴族の出身らしい育ちの良さが感じられる。


 クロエは大きな口で食べながら、周囲の会話に耳を傾けている。

 彼女の獣人としての鋭い聴覚が、情報収集に役立っているようだ。


 食事の途中、主人が大きなジョッキを持ってきた。


「お客さん、これは村の特製『森の露』というお酒だ。祭りの前夜には飲むもんさ」


 琥珀色の液体が注がれたジョッキを受け取る。

 一口飲むと、甘い香りと同時に、スパイシーな後味が広がった。

 なかなか美味い。


「うっ……強いわね」


 クロエが一口飲んで顔を赤くした。


「ふん、こんなものか」


 シルフィアは余裕の表情で飲んでいる。

 騎士の修行で鍛えられたのか、意外と酒に強いようだ。


 祭りの前夜ということもあり、宿の中は徐々に活気を増していった。

 村人たちが集まり、歌を歌ったり、踊ったりし始めた。

 俺たちも自然とその輪に加わっていく。


「トオルくん、踊りましょ!」


 クロエが俺の手を引っ張った。

 彼女の動きは軽やかで、リズムに乗って踊るその姿は見ていて楽しくなる。


「俺は踊りは苦手なんだ……」

「大丈夫、教えてあげる!」


 クロエに引かれるまま、俺も踊りの輪に加わった。

 不器用な動きながらも、村人たちの温かさに包まれ、自然と笑顔がこぼれる。


 ふと見ると、シルフィアがテーブルに一人で座っていた。

 彼女は皆の踊りを見つめながら、静かに杯を傾けている。

 なんだか寂しそうだ。


「シルフィアも一緒に踊らないか?」


 踊りの合間に声をかけると、彼女は少し驚いた様子で顔を上げた。


「私は……こういう場は得意ではない」


 彼女の青い瞳には、少しの戸惑いが映っている。


「騎士として祭りに参加する機会はなかったのか?」

「ほとんどなかった。常に警護する立場だったからな」


 シルフィアは少し遠くを見るような目をした。


「村人たちが楽しむ姿を遠くから見守るのが、私の役目だった」


 彼女の言葉には、どこか寂しさが滲んでいた。

 騎士としての誇りと、一人の少女としての寂しさが混ざり合っているようだ。


「今日は警護の役目じゃない。楽しんでもいいんじゃないか?」


 俺は手を差し出した。

 シルフィアは少し迷ったようだったが、やがて小さく頷き、俺の手を取った。


「少しだけだぞ……」


 彼女の顔には微かに赤みが差していた。

 酒のせいだろうか、それとも照れからだろうか。


 踊りの輪に加わるシルフィアは、最初こそぎこちなかったが、徐々に動きが柔らかくなっていった。

 彼女の金髪が揺れるたび、周囲の男性たちの視線が集まる。

 普段の毅然とした態度からは想像できない、優雅な動きだった。


「シルフィアったら、意外と踊りが上手いじゃない」


 クロエが驚いた様子で言った。


「貴族の教養として、舞踏は学んだ」


 シルフィアは少し恥ずかしそうに答えた。


「ただ、実際の場で踊る機会はほとんどなかったがな……」


 三人で踊りを楽しんでいると、扉が開き、意外な人物が入ってきた。


「エリス?」


 銀髪の魔術師は、人込みに少し圧倒されたように立ち止まっていた。

 彼女は相変わらず紺色のローブを着ていたが、髪を少しだけ整えたようだ。


「こんな所にいらっしゃるとは思いませんでした」


 彼女は少し困惑した様子で近づいてきた。


「村長から前夜祭の誘いを受けて……資料整理の合間に少し寄ってみただけです」

「丁度いいわ! 一緒に楽しみましょ!」


 クロエが彼女の手を取った。

 エリスは明らかに居心地が悪そうだったが、抵抗はしなかった。


「私は踊りなど……」

「大丈夫よ。誰も上手さなんて気にしてないわ!」


 クロエの勢いに押され、エリスも渋々踊りの輪に加わった。

 彼女の動きは硬く、明らかに慣れていない。

 それでも、周囲の温かな雰囲気に少しずつ打ち解けていくようだった。


「こんな経験は初めてです……」


 エリスは少し驚いたような表情で言った。


「研究ばかりしていて、このような村の祭りに参加したことがなかったもので……」

「楽しい?」

「はい……予想外に」


 彼女の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


 祭りは夜遅くまで続いた。

 村人たちの優しさと、仲間との時間が、これから始まる危険な旅への良い準備になった気がした。


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