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第2章:開かれる旅路(1)

 旅を始めて三日目の夕暮れ時、俺たちは迷いの大森林へと続く街道の分岐点に到着した。


「そろそろ今日の宿営地を探すべきだな」


 シルフィアが周囲を警戒しながら言った。

 野営に適した場所を探す彼女の眼差しは鋭く、その姿からは騎士としての訓練の賜物が感じられる。

 今日も彼女はアストリア王国の騎士団制服を基調とした白と青の服装に身を包み、腰に『アストレア』という名の長剣を佩いていた。

 金髪をポニーテールにまとめ、その凛々しい佇まいは正にエリート騎士そのものだ。


「いっそのこと先のダロス村まで行きましょうよ!」


 クロエが地図を指差しながら提案してきた。

 彼女はキツネのような耳と尻尾を持つ獣人で、明るい茶髪と大きなヘーゼルの瞳が特徴的だ。

 今日も動きやすさを重視した革のベストと短いパンツを身にまとい、肩からはさまざまなポケットが付いた小さな麻袋を下げている。

 情報屋兼商人を自称し、その鋭い洞察力と抜け目のなさで、これまでの道中も村の噂話や行商人から情報を集めては、俺たちに共有してくれていた。


「ダロス村?  地図には載っていないが……」

「地図に載らない小さな村ですよ〜。でも、迷いの大森林に入る前の最後の休息ポイント。必要な物資も補充できるし、情報も集められるわ!」

「トオルはどう思う?」


 俺は二人の様子を見比べた。

 疲れの見えないシルフィアとは対照的に、クロエはやや疲労の色が見えた。

 大都市での生活に慣れた彼女にとって、連日の野営は体力的に堪えるのだろう。


「村に行こう。情報収集も必要だし、しっかり休める場所があるなら、そのほうがいい」


 クロエは俺の言葉に満面の笑みを浮かべた。

 獣人特有の耳がぴくぴく動いている。


「やったぁ!  さすがトオルくん、わかってるわね〜!」


 彼女は嬉しさのあまり、俺の腕にすりよってきた。

 その距離感の近さに少し戸惑う。


「き、貴様!  いい加減にしろ!」


 シルフィアがクロエと俺の間に割って入った。

 彼女の顔は微かに赤らんでいる。


「いちいちくっつかなくても話は通じるだろう!」

「あら〜、シルフィアさんったら嫉妬?」


 クロエが茶目っ気たっぷりに首を傾げる。


「ち、違う!  騎士として、不適切な行為を見過ごせないだけだ!」


 シルフィアがさらに顔を赤くして反論する。

 彼女はクロエのこういった態度に毎回神経を尖らせているようだ。


「まあまあ……」


 俺は苦笑しながら二人の間に立った。

 この三日間、この光景はもはや日常となっていた。


「とにかく、ダロス村へ向かおう。でもその前に……」


 俺は右手の紋様を見つめた。

 この『万物解錠』の能力がこの三日間で少しずつ理解できるようになってきた。

 特に、魔力感応ピックを使うことで、より繊細な『解錠』が可能になったことを実感している。


「さっきから気になっていたんだ」


 俺は道端の岩を指差した。

 一見何の変哲もない岩だが、そこから微かに感じる『施錠』の気配。

 右手の紋様が反応している。


「あの岩、何か隠されてる」

「えっ、本当?」


 クロエが興味津々で駆け寄った。

 シルフィアもすぐに警戒態勢に入り、周囲を警戒しながら近づいてきた。


 岩に手をかざすと、紋様がより強く反応する。

 ここには間違いなく何かがある。


「万物解錠」


 小さく呟くと、右手から柔らかな光が広がった。

 岩の表面に浮かび上がった複雑な紋様が光り、次の瞬間、カチリという小さな音とともに、岩が動き始めた。


「すごい……!」


 クロエの目が輝いた。

 岩の奥から現れたのは、小さな空間と、そこに置かれた古びた小箱だった。


「これは……道標箱(みちしるべばこ)?」


 シルフィアが驚いた様子で言った。


「旅人を守護する森の精霊が置いたという伝説の品だ。中には旅の助けになるものが入っているとされているが……」


 俺は箱を手に取った。

 複雑な錠前がついている。

 しかし、それも『万物解錠』の前には容易に解けるだろう。


「開けていいか?」


 シルフィアは少し迷った様子だったが、やがて頷いた。


「森の精霊が置いたのなら、我々のような旅人のためのものだろう」


 箱に触れると、錠前の構造が頭の中に浮かび上がった。

 単純な物理的な錠前ではなく、魔力の流れも組み込まれた複雑なもの。

 しかし、魔力感応ピックを使えば……。


 カチリ。


 音とともに蓋が開いた。

 中には三つの小さな結晶が入っていた。

 青、緑、赤の三色の石が、それぞれ微かに輝いている。


「これは……精霊結晶!」


 クロエが息を呑んだ。


「かなり高価な品よ!  青は水の、緑は森の、赤は火の精霊の加護を表す結晶。旅人を守護してくれる効果があるわ!」

「本当に精霊からの贈り物だったんだな」


 シルフィアも珍しく感嘆の声を上げた。


「一人一つずつ持とう」


 俺が三つの石を手のひらに乗せると、不思議なことに石が動き始めた。

 青の石がシルフィアへ、緑の石がクロエへ、そして赤の石が俺の方へと、まるで意思を持つかのように転がっていった。


「石が自ら持ち主を選んだ……?」


 シルフィアが驚きの表情で、青い結晶を手に取った。

 彼女の手の中で、石はより鮮やかに輝きを増した。


「水の精霊は守護と浄化の象徴。騎士であるシルフィアにぴったりね」


 クロエが説明しながら、自分の緑の石を嬉しそうに眺めていた。


「森の精霊は知恵と繁栄の象徴。情報屋の私にこれまた相応しいわ!」

「俺は火の精霊か……」


 手のひらに赤い石を置くと、温かさを感じた。

 石は『万物解錠』の紋様に反応するように、より明るく輝く。


「火の精霊は創造と変革の象徴」


 クロエが意味深に言った。


「まさに『開く者』のトオルくんにぴったり!」


 三人で石を大事に持ち物にしまった後、俺たちは再び歩き始めた。

 シルフィアは警戒を解かず、クロエは嬉しそうに緑の石を時々取り出しては眺めている。


「ねえ、これって売ったら結構な値段になるわよ〜」

「売るのか?」

「冗談よ。精霊からの贈り物を売るなんて、縁起が悪いもの」


 夕日が森の向こうに沈みかける頃、ようやくダロス村の輪郭が見えてきた。


 ◇


 ダロス村は思ったよりもずっと大きく、活気に溢れていた。

 木々の間に上手く馴染むように建てられた家々は、森と共生する村人たちの知恵を感じさせる。

 広場には小さな市場が開かれており、旅人や森の恵みを売る商人たちで賑わっていた。


「森の入り口近くの村だけあって、珍しい品が多いわね!」


 クロエは目を輝かせながら市場を見渡した。

 確かに、地方の小さな村にしては品揃えが豊富だ。

 森で採れた薬草、きのこ、獣人たちの手による精巧な工芸品など、見たこともないような品々が並んでいる。


「まずは宿を確保しよう」


 シルフィアの提案に従い、村の宿屋を探した。

 『森の休息所』という名の宿があり、そこで部屋を取ることにした。


「お客さん、迷いの大森林に行くつもりかい?」


 宿の主人は太った中年の男性で、親しみやすい笑顔が印象的だった。


「ああ、少し調査のためにね」


 俺は曖昧に答えた。


「気をつけなよ。最近、森の中で妙なことが起きてるって話だ」

「妙なこと?」


 シルフィアが身を乗り出した。


「ああ、森の奥にある魔法研究所の若い魔術師さんが言ってたよ。森の魔力が不安定になってるとかなんとか」

「魔法研究所?」


 今度はクロエが興味を示した。


「ああ、学究都市アルカニアの分所でね。森の魔力を研究してる魔術師たちがいるんだ。たまに村に降りてきて、物資を買い込んでいくよ」

「その魔術師はまだ村にいるのか?」


 シルフィアが尋ねた。


「ああ、たしか今日も来てたはずだ。銀髪の眼鏡の女性で、いつも紺色のローブを着てる。図書館にいるんじゃないかな」


 三人は顔を見合わせた。

 この情報は貴重だ。

 森の魔力の変化は、『森の心臓』に関係しているかもしれない。


「部屋に荷物を置いたら、その魔術師を探そう」


 三人で相談し、すぐに行動に移ることにした。


 ◇


 村の小さな図書館は、意外なほど蔵書が充実していた。

 森に関する書物が多く、研究者のための参考文献も揃っている。


「あの人かもしれない」


 クロエが小声で言った。

 奥の閲覧席に、銀髪の女性が一人で座っていた。

 宿の主人の言った通り、紺色のローブを身にまとい、薄いフレームの眼鏡をかけている。

 彼女は何かの古い書物に没頭しており、周囲の気配にまったく気づいていないようだった。


「どうやって話しかけようか……」


 俺が迷っていると、クロエが軽やかに歩み寄った。


「こんにちは〜!  迷いの大森林について調べてるの?」


 突然声をかけられた女性は、びくりと肩を震わせた。

 大きな紫色の瞳がクロエを見上げる。


「……はい」


 彼女の声は静かで、抑揚がほとんどなかった。


「私たちも森に関する情報を集めてるのよ。もしよかったら、情報交換しない?」


 クロエの社交性はさすがだ。

 しかし、魔術師の女性は再び本に視線を戻した。


「情報交換の必要はありません。自分の研究は自分で行います」


 クロエは少し面食らった様子だったが、すぐに笑顔を取り戻した。


「そうよね〜。でも、『森の心臓』についての情報なら、私たちも持ってるわよ?」


 その言葉に、女性の動きが止まった。

 彼女はゆっくりと顔を上げ、今度は三人をじっくりと観察した。


「『森の心臓』……について、あなたたちが何を知っているというのですか?」


 いきなり警戒されたかと思ったが、彼女の声には純粋な好奇心が感じられた。


「私から自己紹介させてください」


 シルフィアが一歩前に出た。


「私はシルフィア・ヴァレンタイン。アストリア王国、ヴァレンタイン騎士爵家の者です」

「騎士爵家……」


 魔術師の女性は少し驚いた様子だった。


「ヴァレンタイン家の方が、なぜこんな場所に……?」

「事情があって、調査中なんです」


 今度は俺が名乗った。


「俺はトオル。鍵師をしています」


 最後にクロエが華やかに手を振った。


「クロエ・フォックステイルよ!  情報屋兼商人をしてるわ」


 女性は三人を見比べた後、小さくため息をついた。


「……エリス・ノッテと申します。学究都市アルカニアの魔術師です」


 彼女の態度はまだ警戒心を解いていないようだったが、少なくとも会話には応じてくれた。

 エリスと名乗った女性は、冷静な分析をするように三人を見つめている。


「迷いの大森林の魔力が不安定になっていると聞きました」


 シルフィアが本題に入った。


「その通りです」


 エリスは眼鏡を直しながら答えた。


「森の奥、特に『聖域』と呼ばれる場所周辺の魔力が激しく乱れています。私は原因を調査中ですが……」


 彼女は一瞬言葉を詰まらせた。

 何か言いたいことを迷っているようだ。


「何か問題でも?」


 俺が尋ねると、彼女は少し考えた後、声を潜めた。


「……『古代の封印』が弱まっているのではないかという仮説を立てています」

「『古代の封印』?」


 シルフィアが身を乗り出した。


「ええ。伝説によれば、迷いの大森林の聖域には強大な力が封じられているとされています。その封印が何らかの理由で弱まっているのではないかと……」

「その理由とは?」

「それが分からないのです」


 エリスは少し苛立ちを見せた。

 研究者としてのプライドがあるのだろう。


「研究所の資料を調べても、手がかりが足りません。理論的には、『森の心臓』が封印の安定に関わっているはずなのですが、その場所までたどり着けないのです」

「たどり着けない?」

「はい。聖域への道は普通の地図では辿れません。森の空間が歪んでいるためです。古代の特殊な地図がなければ……」


 クロエの顔が輝いた。

 彼女は私たちに向き直り、小さくウインクした。


「あの……実は私たち、この地図を持っているの」


 彼女はそっと懐から地図を取り出した。

 エリスの目が見開かれる。


「それは……」

「『聖域への道』の地図よ」


 エリスは思わず立ち上がった。

 彼女の紫色の瞳が初めて感情を表した。

 それは純粋な知的好奇心だった。


「見せていただけますか?」


 クロエは一瞬迷ったが、俺とシルフィアの顔を見て、地図を広げた。

 エリスは真剣な眼差しで地図を分析し始めた。


「間違いありません。これは本物の『聖域への道』の地図です。このような貴重なものをどこで……」

「それは秘密」


 クロエが人差し指を立てた。


「でも、一つ提案があるわ。私たちは『森の心臓』を探しているの。エリスさんも研究のために同じ場所に行きたいんでしょう?  一緒に行くのはどう?」


 エリスは迷いの表情を浮かべた。

 しかし、地図を再度見つめ、決断したようだった。


「……協力させていただきます。私の研究のためにも、『森の心臓』を調査する必要があります」


 彼女は真面目な表情で頷いた。


「ただし、一つ条件があります」

「条件?」

「はい。まず、私の研究施設に来ていただけますか?  そこで、『古代の封印』について詳しく説明します。それに……」


 彼女は少し言葉を詰まらせた。


「実は……研究施設自体にも問題が生じています。その解決にも協力いただければ……」

「どんな問題が?」


 シルフィアが尋ねた。


「説明が複雑なので、実際に見ていただいた方が早いです。施設までは徒歩で一時間ほどです」


 三人は顔を見合わせた後、エリスについていくことに同意した。



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