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第1章:鍵師、異世界に立つ(1)

 凛とした青い瞳が俺を射抜く。

 彼女――金髪の少女は、剣の柄に手をかけたまま警戒の姿勢を崩さなかった。

 まだ追っ手が戻ってくるかもしれないというのに、彼女は場を支配するオーラを放っていた。


「俺は……鍵師だ」


 そう答えながら、さっきまで感じていた恐怖が嘘のように消えていることに気づいた。

 代わりに湧き上がるのは好奇心。

 この異世界でなぜか得た『能力』。

 そして目の前の、どこか別世界の騎士を思わせる少女。


「鍵師?」


 彼女は眉をひそめた。

 その表情は「何を言っているんだ、この男は」と言わんばかりだ。


「悪かったな、自己紹介が遅れて。俺は結城徹……いや、この世界では『トオル』でいいかな。元の世界では鍵師として働いていた。君の首のペンダントが『施錠』されているのが見えたから、何となく解放してみたんだ」


 彼女の表情が一瞬で変わった。

 青い瞳が驚きで見開かれる。


「施錠を見破った?  そして解いた?  そんな……」


 彼女は半歩後ずさった。

 俺はゆっくりと両手を上げる。


「危害を加えるつもりはない。約束する」

「……シルフィア」

「え?」

「シルフィア・ヴァレンタイン。アストリア王国、ヴァレンタイン騎士爵家の次期当主候補だ」


 彼女は短く名乗った後、周囲を警戒するように視線を巡らせた。

 華奢に見えるその体は、常に戦闘態勢を維持しているかのように緊張感に満ちている。


「奴らがまた仲間を連れて戻ってくる可能性がある。ここは危険だ。安全な場所に移動しよう」


 俺は頷き、彼女の後を追った。


 ◇


「なるほど、君はその『領界の鍵』という重要なものを奪われそうになっていたのか」


 森を抜け、小さな丘の上にある廃屋で一息ついた俺たちは、お互いの事情を交換し始めていた。

 シルフィアは窓辺に立ち、外の様子を警戒しながら応える。

 陽の光が彼女の輪郭を美しく縁取っている。


「ああ。『領界の鍵』はヴァレンタイン家に代々伝わる、我が領地の守護と地脈安定化を司る重要な遺産だ。それが……」


 彼女は言葉を詰まらせ、強く握りしめた拳が微かに震えるのが見えた。


「……偽物とすり替えられた上、私が横領したという濡れ衣を着せられたんだ」

「なるほど……だから追われていたのか」


 振り返ったシルフィアの顔には、怒りと悔しさが交錯していた。


「敵はロード・Xという貴族だ。我が家と敵対関係にある男だが、まさか領界の鍵を狙っているとは……」


 彼女は溜息をついた。

 肩から流れる金髪が揺れる。

 

 その佇まいは美しいものの、目には疲労の色が浮かんでいた。

 明らかに長い間、休めていないのだろう。


「それで、あなたは……」


 彼女は急に話題を変えて、俺を見つめ直した。


「別の世界から来た……鍵師?  そんな話、信じろというのか?」

「信じられないのも分かる。俺自身、まだ状況を飲み込めていないんだ」


 右手を見ると、掌に浮かんだ奇妙な紋様が薄っすらと光っていた。


「でも、この世界に来てから……何か特別な力を得たみたいなんだ。『万物解錠』とでも言うべきか。あらゆる『錠』の仕組みが見えるようになった」


 シルフィアは眉をひそめたまま、ペンダントを手に取った。

 空色の鉱石が美しく輝いている。


「確かに、この『領界の鍵』は何者かによって施錠されていた。私もそれには気づいていたが、解く術がなかった……」


 彼女は俺を見つめ直した。

 その目には複雑な感情が宿っていた。


「あなたの言う『万物解錠』……もし本当なら、それは極めて危険な能力だ」

「危険?」


 シルフィアは真剣な表情で続けた。


「この世界――セラトリアでは、『鍵』と『錠』は社会の根幹を成している。身分や権限、資格や所有権……あらゆるものが『鍵』によって証明され、保護されているんだ」


 まるで基礎知識を教えるように、彼女は言葉を続けた。


「だからこそ、権限なく『錠』を開けることは重大な犯罪とされている。特に、あなたのように……」

「全ての錠を開けられる能力は、社会秩序を揺るがすということか」


 彼女はしっかりと頷いた。


「だから、その能力のことは簡単に人に話さない方がいい。私も……」


 シルフィアは言葉を切った。

 何か言いたげな表情で俺を見つめる。


「……あなたを利用しようとしているわけじゃない。だが、もしその力で助けてくれるなら……私は恩を忘れない」


 彼女は深く頭を下げた。

 誇り高そうな彼女が、こうして頭を下げる姿に、胸が締め付けられる思いがした。


「力になれることなら、協力するよ」


 そう言ったのは、単なる同情からではなかった。

 異世界に放り出された俺にとって、彼女は最初の味方になりうる存在だった。

 それに、彼女の置かれた状況と、その『領界の鍵』なるものには、どうしようもなく興味をそそられるものがあった。


「本当か?」


 彼女が顔を上げると、青い瞳が驚きと希望で輝いていた。


「ああ。俺は鍵師としての倫理観を持っている。正当な理由なく錠を開けない。でも、不当に封じられたものを解放するのは、鍵師の役目でもあるんだ」


 言いながら、自分でも可笑しくなった。

 異世界に来て早々、前世の職業倫理を持ち出すなんて。

 でも、それが俺なりの指針でもあった。


「……感謝する」


 シルフィアの表情が少し柔らかくなった。

 ほんの一瞬だけ、そこには安堵の色が浮かんだように見えた。


「ところで、シルフィア。さっきの男たちはもう戻ってこないのか?」

「あの程度の賊なら、『領界の鍵』が解放された今、近づく勇気はないだろう。だが……」


 彼女は表情を引き締めた。


「ロード・Xは間違いなく、より強力な刺客を送ってくるはずだ。我々は早急に移動する必要がある」

「どこへ行けばいい?」

「まずは……」


 彼女は言葉に詰まった。

 そして、少し恥ずかしそうに視線を逸らした。


「実は……私も今、進むべき道を模索しているところなんだ。領地に戻れば逮捕されるし、王都に行って直接訴えるには証拠が不十分だ」


 シルフィアの強気な態度の裏に隠された不安が、垣間見えた気がした。

 彼女は本当はまだ若く、こんな大事に一人で立ち向かうには重荷が大きすぎるのだろう。


「ふむ……」


 俺は思案した。

 現状、この世界のことをほとんど知らない。

 だが、問題解決には情報が必要だ。


「情報が足りないな。まずは近くの町や村に行って、状況を探るのはどうだろう?  それに……」


 腹の虫が鳴いた。

 朝から何も食べていないことを思い出す。


「少し食料も必要かもしれない」


 シルフィアは目を見開いてから、微かに笑みを漏らした。


「確かに。東に半日ほど行けば小さな村がある。そこなら私の顔も知られていないはずだ」


 彼女は立ち上がり、埃を払うように装備を整えた。

 白と青を基調とした制服のような服は、あちこちに傷や汚れがついていた。

 それでも、凛とした彼女の佇まいは騎士の風格を漂わせている。


「行くぞ、トオル」


 そう言って歩き出すシルフィアの後ろ姿を見て、俺は思わず苦笑した。

 まるで召使いのような言い方だが、彼女にとってはそれが自然なのだろう。


「了解、お嬢様」


 からかうように返すと、彼女の耳が少し赤くなったような気がした。


 ◇


「これが……この世界の村か」


 夕暮れ時、小高い丘から見下ろした村は、まるで西洋の童話から飛び出してきたような光景だった。

 石畳の道、木組みの家々、そして村の中央にある小さな広場。異世界にいることを、改めて実感する。


「セラトリアの辺境の村だが、一応アストリア王国の領土だ」


 シルフィアが説明する。

 彼女は人目を避けるため、持っていたマントのフードを深く被っていた。

 それでも金髪の一部が覗き、その美しさは隠しきれていない。


「あまり目立たないようにしよう。金はあるのか?」


 俺が尋ねると、シルフィアは少し困った表情を見せた。


「多少は持っている。しかし……」


 彼女は言い淀んだ。

 おそらく、貴族の娘として、金銭的な心配をしたことがなかったのだろう。


「分かった。倹約して使おう」


 村に入ると、活気ある声が聞こえてきた。

 市場のようだ。

 様々な露店が並び、人々が商品を物色している。

 食料品、日用品、そして……道具類。


「おや、あそこは……」


 目を引いたのは、様々な鍵や錠前、そして工具類を扱う店だった。

 職業病だろうか、思わず足が向いてしまう。


「トオル、どこへ行く?  食料と宿を確保すべきでは……」


 シルフィアの声が背後から聞こえるが、俺は既に店の前に立っていた。

 店主は髭の濃い中年男性。

 分厚い革のエプロンを身につけ、何やら小さな装置を組み立てている。


「いらっしゃい、旅人さん。何かお探しで?」

「これは……」


 陳列された道具類を見て、俺は驚いた。

 基本的な形状は地球のものと似ているが、素材や微妙な作りが異なる。

 特に、一部の道具には奇妙な文様が刻まれていた。


「そいつは『魔力感応ピック』だよ。弱い魔力を帯びた錠に反応する。値は張るが、一般的な鍵職人なら一つは持っておきたい代物だ」


 店主が指差したのは、地球でいう高級なピッキングツールに似た道具だった。

 確かに先端が微かに光っている。


「へえ……」


 思わず手に取ると、掌の紋様がかすかに反応した。

 この道具なら、「万物解錠」の能力との相性がいいかもしれない。


「まあ、あんたみたいな素人さんには必要ないだろうけどね」


 店主は笑った。

 どうやら俺を単なる好奇心旺盛な旅人だと思ったらしい。


「実は、少し興味があって……」


 俺は右手を握りしめて迷った。

 この世界で生きていくなら、鍵師としての技術を活かすのが最善だろう。

 でも同時に、先ほどシルフィアが警告した通り、『万物解錠』の能力は危険視される可能性がある。


「トオル」


 背後からシルフィアの低い声が聞こえた。

 振り返ると、彼女は微かに首を横に振っていた。

 さらに近づいて、耳元でささやく。


「ここで能力のことを明かすのは危険だ。それに……」


 彼女は周囲を見回した。


「私たちを見ている者がいる」


 その言葉に、背筋に冷たいものが走った。

 確かに、何となく視線を感じる。

 しかし、混雑した市場の中では、誰が見ているのか特定できない。


「分かった。退こう」


 店主に軽く会釈して離れようとした時、彼が声をかけてきた。


「ちょいと待ちな。あんた、その手……」


 彼は俺の右手を指さした。

 掌の紋様が袖からわずかに見えていたらしい。

 慌てて袖を引いたが、時既に遅し。


「まさか……『開く者』なのか?」


 店主の声は驚きと興奮が入り混じっていた。

 周囲の人々が一瞬、俺たちに視線を向けた。


「さあ、何のことやら……」


 俺は曖昧に笑おうとしたが、店主は意外な行動に出た。

 彼は周囲を確認すると、素早く店の中へと俺たちを招き入れた。


「中へ、中へ。人目につくところであんな紋様を見せるとは……命知らずだな、若いの」


 扉が閉まり、店主はさらに奥の部屋へと俺たちを導いた。

 シルフィアの手が、常に剣の柄に触れているのを感じる。

 彼女は全身の神経を研ぎ澄ませ、いつでも戦える態勢を取っていた。


「落ち着け、お嬢さん。敵じゃないよ」


 店主は穏やかな声で言った。

 部屋の中には、より精巧な道具類と、古い書物が置かれていた。


「私はコトミネといって、この村の鍵職人だ。それにかつては……」


 彼は少し声を落とした。


「『開く者』の末裔の研究家でもあった」

「『開く者』?」


 俺は思わず尋ねた。

 それが自分に関係していることは明らかだった。


「そう、古の伝説にある存在だ。あらゆる『錠』を理解し、開くことができる者たち。現代では単なる神話とされているがね……」


 彼は俺の右手をじっと見つめた。


「その紋様は間違いない。『万物解錠』の印だ」


 シルフィアが俺と店主を交互に見つめ、緊張した面持ちで口を開いた。


「なぜそのようなことを……信用できるのか?」


 彼女の警戒は当然だった。

 しかし、彼は穏やかな笑みを浮かべた。


「お嬢さんの警戒心は正しい。だが心配いらん。私は単なる研究家だ。それに……」


 彼は棚から古びた本を取り出した。


「こんな伝説を信じる変わり者は、この国ではそう多くはないよ」


 本を開くと、そこには俺の掌にあるものと酷似した紋様が描かれていた。

 その周りには、解読できない文字で何かが記されている。


「これは……」

「『開く者』の記録だ。数百年前に書かれたものだがね。『万物解錠』の力を持つ者は、世界の枠を超えてやってくるとも書かれている」


 彼は意味深な笑みを浮かべた。


「つまり、あんたは別の世界から来たというわけだ」


 俺とシルフィアは顔を見合わせた。

 彼女の表情には『警戒を解くべきか』という迷いが浮かんでいた。


「俺は……確かに別の世界から来た。そして、この『万物解錠』という力を持っているらしい。でも、まだ自分でもよく分かっていない」


 正直に答えた俺に、彼は満足そうに頷いた。


「率直だね。いいだろう、私にできることなら協力しよう。当面の宿と食事も提供しよう。その代わり……」


 彼の目が興奮で輝いた。


「あんたの能力について、もっと教えてほしい。研究のためにね」


 シルフィアが一歩前に出た。


「待て。トオルの能力を悪用するつもりなら……」


 彼は両手を上げて否定した。


「そんなつもりはない。純粋な学術的興味だよ。それに……」


 彼は真剣な表情になった。


「『開く者』が現れたということは、世界に何か大きな変化が起きようとしているということだ。あんたたちが何か重要な使命を帯びているのかもしれない」


 彼の言葉に、俺は考え込んだ。

 「使命」という言葉は重く響く。

 しかし、偶然にしては出来過ぎている気もする。

 異世界に転生し、特殊な能力を得て、追われる騎士の少女と出会う……。


「分かった。協力しよう」


 俺が決断すると、シルフィアは少し不満そうな顔をした。

 しかし、反対はしなかった。


「ただし、俺たちの立場も理解してほしい。特にシルフィアは今、危険な状況にある」


 彼は二人の様子を見て、ゆっくりと頷いた。


「事情は問わない。困っている者を助けるのも、鍵職人の務めだ」


 彼は立ち上がり、奥の扉を開けた。


「さあ、まずは食事だ。それから、ゆっくり話そう」


 彼の優しさに、少し心が和らいだ。

 異世界に来て初めて、安らげる場所を見つけたような気がした。



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