第4章:銀髪の執行官(2)
『黄金の小路』と呼ばれるアルカニアの高級住宅街。
その一角に、ロード・Xの屋敷は堂々と立っていた。
三階建ての白亜の邸宅は、その周囲に美しい庭園を持ち、金メッキの装飾が施された門と塀に囲まれている。
「すごぉ……こんな家に住んでいたんだ……」
ミーシャが感嘆の声を上げた。
「悪事の報酬ね」
クロエが冷ややかに言った。
「さて、どうやって中に入る?」
シルフィアが塀を見上げながら考え込んでいた。
高さは4メートルはあり、上部には鋭い装飾が施されている。
正面の門には複雑な錠前と、魔法の結界らしきものが張られていた。
「正面からは難しそうね」
クロエが門を観察した。
「警備はいるかしら?」
「ロード・Xが自首したとはいえ、まだ手下が残っている可能性はある」
シルフィアの表情は緊張していた。
「まずは周囲を偵察しよう」
俺たちは分かれて屋敷の周囲を調べることにした。
クロエとミーシャが北側を、シルフィアと俺が南側を、エリスは魔法で結界の状態を調べることになった。
「どうだ? 何か見つけたか?」
シルフィアと南側を偵察していると、彼女がそっと訊いてきた。
彼女との二人きりは少し緊張する。
「特に異常はないみたいだ。警備も見当たらない」
「そうか……」
彼女は何か考え込むような表情を見せた。
「……ねえ、トオル」
「何だ?」
「あなたは……本当に私たちの味方……なんだな?」
突然の質問に驚いた。
「どういう意味だ?」
「いや……」
シルフィアは視線を逸らした。
「セラフィナがあなたのことを特別視していた。何か重要な存在のように……」
彼女の青い瞳が俺をじっと見つめる。
その中には、疑念ではなく、心配と不安の色が浮かんでいた。
「俺はお前たちの味方だ」
迷わず答えた。
「この『万物解錠』の力がどこから来たのか、まだ分からない。でも、この力は仲間を守るために使う。それだけは約束する」
シルフィアの表情がわずかに和らいだ。
「……そうか。それを聞いて安心した」
彼女は少し照れたように視線を逸らし、再び周囲の観察に集中した。
彼女なりの心配だったのだろう。
しばらくして、全員が集合地点に戻ってきた。
「北側に使用人用の小さな門があったわ」
クロエが報告した。
「鍵はかかってるけど、警備はいないみたい」
「魔法結界も、使用人の出入り口には弱いポイントがあります」
エリスが指摘した。
「おそらく日常的な通行のためでしょう」
「そこから侵入するか」
シルフィアが決断した。
「トオル、鍵を開けられるか?」
「ああ、任せてくれ」
北側の小さな門まで移動し、俺は慎重に錠前を調べた。
それは高級な作りだが、特に魔法的な仕掛けはなさそうだ。
右手の紋様が淡く光り、錠の構造が見えてくる。
「ちょっと複雑だが……できるはずだ」
魔力感応ピックを取り出し、錠に挿入する。
『万物解錠』の力を少し使えば、たやすく開くだろう。
「万物解錠」
小さく呟くと、錠前がカチリと音を立て、開いた。
「さすがね!」
クロエが小声で称えた。
「これで中に入れるわ」
エリスが魔法の結界を一時的に弱め、全員が門をくぐった。
中は手入れの行き届いた裏庭で、使用人の小屋や物置が並んでいた。
「屋敷の中に潜入しよう」
シルフィアの指示で、全員が屋敷の裏口に向かった。
そこにも錠がかかっていたが、先ほどと同様に開けることができた。
館内は豪華な調度品で飾られ、壁には高価な絵画が掛けられていた。
床は磨き上げられた大理石で、天井には煌びやかなシャンデリアが下がっている。
「すごい……」
ミーシャが小声で感嘆した。
「これがロード・Xの住処か……」
シルフィアは軽蔑するような目で周囲を見回した。
「贅沢の限りを尽くしているな」
「地下室はどこかしら?」
クロエが辺りを見回す。
「大きな邸宅だから、探すのは大変そうね」
「分かれて探そう」
シルフィアが提案した。
「何か見つけたら、すぐに合図を」
俺たちは再び分かれ、屋敷内を探索することになった。
俺はミーシャと共に一階の西側を担当した。
「トオルさん、あれ見て!」
廊下の突き当りで、ミーシャが小声で呼んだ。
そこには小さな扉があり、その脇には下へ続く階段があった。
「地下室への入口かもしれないな」
俺たちはすぐに他のみんなを呼び、全員で階段を下りた。
地下は予想外に広く、いくつもの部屋に分かれていた。
通路の両側には扉が並び、それぞれに札が掛けられている。
「『収蔵室』『実験室』『書庫』……」
エリスが札を読み上げた。
「かなり組織だった地下施設ですね」
「どこを探せばいいんだ?」
「ロード・Xは『地下室の引き出しの中の黒い箱』と言っていた……」
シルフィアは考え込んだ。
「書庫か収蔵室が怪しいな」
クロエが提案した。
「まず収蔵室から見てみましょう」
収蔵室のドアには、普通の鍵と共に魔法の封印が施されていた。
エリスが魔法を解除し、俺が鍵を開けた。
中に入ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
所狭しと並べられた棚には、ありとあらゆる宝物や美術品が置かれていた。
金銀の装飾品、宝石、古代の遺物……どれも見るからに高価なものばかりだ。
「これらは……盗品?」
シルフィアが眉をひそめた。
「おそらく……」
クロエが部屋の中を歩き回りながら言った。
「ロード・Xは様々な貴族から略奪したものを集めていたのでしょう」
「でも、黒い箱は見当たらないわね」
ミーシャも部屋中を見回していたが、目的のものは見つからない。
「次は書庫だな」
書庫の扉も同様に開け、中に入った。
こちらは床から天井まで本棚が並び、膨大な量の書物が収められていた。
「すごい……」
エリスの目が輝いた。
研究者としての興味を抑えられないようだ。
「こんなに多くの書物……中には貴重な古文書もあるでしょう」
「目的を忘れるな」
シルフィアが諭した。
「黒い箱を探すんだ」
みんなは書庫の中を探し始めた。
奥には大きな机があり、その周りには引き出し付きの家具がいくつか並んでいた。
「あれじゃないか?」
俺は一番奥の棚の横にある、小さな金庫を指差した。
それは黒い金属でできており、複雑な錠前が付いていた。
「これかもしれない」
シルフィアが近寄り、金庫を調べた。
「開けられるか?」
「やってみる」
金庫に手を当て、内部構造を探る。
これはかなり複雑な造りで、単なる物理的な錠前ではない。
魔力によるロックも組み込まれているようだ。
「難しいな……」
「何かあったの?」
クロエが心配そうに訊いた。
「通常の解錠では開かない。魔法と物理的な施錠が複雑に組み合わさっている」
「施錠騎士団の技術かもしれません」
エリスが近寄って言った。
「彼らの『施錠』は、通常の魔法では解けないとされています」
「でも、トオルさんなら開けられるよね?」
ミーシャが期待の眼差しで俺を見上げた。
「……やってみる」
右手の紋様に意識を集中させ、金庫に触れた。
通常の『万物解錠』では効果がないかもしれないが、前回セラフィナと対峙した時のように、より深いレベルでの解錠を試みる必要がある。
「万物解錠……」
右手から光が溢れ出し、金庫を包み込んだ。
しかし、反応はない。
「うまくいかないな……」
「でも、ミーシャの石があるじゃない?」
クロエがふと思い出したように言った。
「前に使ったあの緑の石」
「そうだ!」
ミーシャがポケットから『職人の石』を取り出した。
「これを使ってみて!」
石を受け取り、右手に握った。
石から力が流れ込んでくるのを感じる。
『万物解錠』の力が増幅されるのだ。
「もう一度やってみる」
再び金庫に手を当て、石の力も借りながら紋様を発動させた。
「万物解錠!」
今度は金庫全体が明るく輝き、複雑な魔法の模様が浮かび上がった。
それは次第に溶けていくように消え、最後にカチリと音がして、金庫が開いた。
「できた……」
中には、シルフィアの家の紋章が刻まれた黒い木箱があった。
「これだ!」
シルフィアが箱を取り出し、開けた。
中には複数の文書と、小さな水晶球が入っていた。
「これは……」
彼女は文書を手に取り、目を通し始めた。
その表情が徐々に変わっていく。
「ロード・Xの自白状と、偽りの『領界の鍵』を作らせた職人の証言、さらに……」
彼女は水晶球を掲げた。
「これは魔法の記録装置。おそらく証拠映像が記録されているのだろう」
「これで、あなたの潔白は証明されるわね!」
クロエが喜んだ。
シルフィアの表情には安堵の色が浮かぶ。
「これさえあれば、家の名誉は回復できる。トオル……本当にありがとう」
彼女の青い瞳には感謝の色が満ちていた。
普段の毅然とした態度からは想像できないほど、柔らかな表情だった。
思わず見とれてしまう。
「そんな大げさに……当然のことをしただけだ」
少し照れながら答えると、彼女もわずかに顔を赤らめた。
「それでも……」
「あら、いい雰囲気」
クロエが茶目っ気たっぷりに割り込んできた。
彼女の尻尾がゆらゆらと揺れている。
「私も感謝してるわよ、トオルくん♪」
「き、貴様! いちいち邪魔をするな!」
シルフィアが慌てて剣を半分抜きかけた。
「急に何を言っているんだ、クロエ。おまえこそ、ありがとうだよ。情報がなければここまでたどり着けなかった」
「もう、トオルくんってば鈍感なんだから……」
クロエが肩をすくめた。
「きゃっ!」
突然、ミーシャが小さな悲鳴を上げた。
一瞬、何事かと構えたが、彼女は部屋の奥の小さな窓を指さしていた。
「外、見て!」
窓から見える空は、緑色に染まっていた。
まるでオーロラのような光が街の上空を覆い、それが徐々に広がっていっている。
「これは……『森の心臓』の影響が既に街まで?」
エリスが驚いた声で言った。
「予想以上に早く拡大しています」
「急いで街へ戻ろう。当局にこの証拠を提出する必要がある」
シルフィアが決断し、黒い箱を抱え直した。
「それから『森の心臓』の問題にも対処しなければ」
「そうね。でもその前に……」
クロエがにやりと笑った。
「この屋敷にはまだ色々と貴重なものがありそうよ。少し探索してもいいんじゃない?」
「無駄なことを……」
「待て、シルフィア」
俺は制止した。
「クロエの言うことにも一理ある。施錠騎士団についての情報があるかもしれない」
「そうです」
エリスも同意した。
「敵を知ることは、次の戦いのために重要です」
シルフィアは少し考え込んだ後、渋々頷いた。
「分かった。だが、長居はしないぞ」
俺たちは書庫を中心に、さらに探索を続けた。
エリスは古文書を、クロエは秘密の書類を、ミーシャは小さな引き出しの中身をチェックしていく。
「あ、見て見て!」
ミーシャが小さな革の手帳を見つけた。
「これ、金色の文字が書いてあるよ!」
その手帳を受け取ると、確かに表紙には金色で何かの文字が刻まれていた。
しかし、それは通常の文字ではなく、特殊な暗号のようだ。
「エリス、これ読める?」
エリスは手帳を受け取り、眼鏡越しに注意深く観察した。
「これは……古代の秘密文字です。完全には解読できませんが、『施錠』と『儀式』という単語は分かります」
「施錠騎士団の手帳かもしれないわね」
クロエが覗き込んだ。
「大当たりじゃない?」
「持ち帰って詳しく調べましょう」
エリスは手帳を慎重にローブの内側にしまった。
「これは私が解読します」
「ここにも何かありそう!」
クロエが壁に掛けられた絵画の裏側を指差した。
そこには小さな隠し扉があった。
「見つけたわね」
隠し扉も難なく開け、中を覗くと、一冊の分厚い本が収められていた。
「これは……」
表紙には施錠騎士団の紋章らしきものが描かれている。
「『施錠の書』……!」
エリスの目が大きく見開かれた。
「伝説の書物です。施錠騎士団の起源と目的が記された、非常に貴重な資料とされています」
「持って行こう」
俺はその本を手に取った。
とても重いが、これは重要な手がかりになるはずだ。
「もう十分だろう」
シルフィアが促した。
「そろそろ戻るぞ」
「まあ、主要なものは抑えたわね」
クロエが満足げに笑った。
「それにしても、トオルくんの『万物解錠』がなかったら、絶対に見つけられなかったわ」
全員が地下室を後にし、屋敷から出ようとした時だった。
「何者だ!」
正面玄関から、複数の足音と声が聞こえてきた。
「まずい、街の警備隊だ」
シルフィアが小声で言った。
「どうする?」
「正面から説明するしかないでしょう」
エリスが提案した。
「シルフィアさんの身分と、ロード・Xの証拠があれば……」
「いや、時間の無駄だ」
シルフィアが決断した。
「今は『森の心臓』の問題が優先だ。裏口から逃げよう」
俺たちは急いで裏口へと向かった。
しかし、もう遅すぎたようだ。屋敷は完全に包囲されていた。
「窓から出るしかない」
クロエが二階の窓を指差した。
「あそこなら庭に出られる」
「上手くいくかな……」
ミーシャが不安そうに呟いた。
「大丈夫だ」
俺は彼女を励ました。
「全員、俺について来い」
二階の窓から飛び降り、庭の茂みに隠れる。
警備隊は主に正面と裏口を固めており、庭の奥はまだ手薄だった。
「あの塀を越えられれば……」
「私に任せて」
エリスが杖を掲げた。
「『風の梯子』」
杖から緑色の光が放たれ、風の流れで作られた目に見えない階段が塀の向こうまで延びた。
「すごい……」
ミーシャが感嘆した。
「一人ずつ、急いで」
クロエが先頭になって風の梯子を駆け上がった。
続いてミーシャ、シルフィア、そして俺が続く。
エリスは最後に自分の魔法を消しながら上った。
「何とか逃げ切ったな」
塀の外の路地に降り立ち、一同は息を整えた。
「急いで宿に戻ろう」
シルフィアの指示に従い、全員で「賢者の休息」に向かった。
空の緑色の光はさらに強くなり、街の人々も不安そうに空を見上げていた。
「異変が急速に広がっているわ」
クロエが空を指差した。
「このままじゃ大変なことになりそう」




