第3章:陰謀の輪郭(3)
「トオルくん、これはどう?」
翌朝、俺はミーシャと共に鍛冶職人の区域を訪れていた。
彼女は獣人特有の鋭い嗅覚で、良質な素材を次々と見つけ出す。
今見せてくれたのは、銀色に輝く特殊な金属片だった。
「これは……すごいな」
手に取ると、ミーシャが昨夜くれた緑の石が反応した。
この金属には特別な性質があるようだ。
「これは『星屑鋼』って言うんだよ! 魔力をよく通すんだって!」
「いくらだ?」
「えっとね、結構高いんだけど……」
値段を聞いて少し驚いたが、解錠ツールの性能を考えれば妥当だろう。
シルフィアに借りた資金から支払いを済ませ、他にも必要な素材を集めていく。
ミーシャの助けは本当に貴重だった。
彼女は素材の名前だけでなく、その性質や最適な組み合わせまで知っている。
森での採集経験が活きているのだろう。
「トオルさんは何を作るの?」
「最終的には、『森の心臓』にたどり着くための特殊なツールだ」
俺はミーシャに簡単に説明した。
「既にある程度の構想はあるんだ。シルフィアの『領界の鍵』と組み合わせることで、聖域への道を開くツールになるはずだ」
「すごい! ミーシャも手伝う!」
彼女は目を輝かせて言った。
「ミーシャ、素材集めの達人だよ! 何でも言ってね!」
「ありがとう、助かるよ」
彼女の純粋な協力精神に、心から感謝した。
素材を集め終わると、俺たちは職人区の工房を一つ借りた。
ここで解錠ツールの製作を始める。
ミーシャは俺の指示に従って素材を切ったり、磨いたりと、手際よく手伝ってくれる。
「トオルさん、すごいね!」
彼女は俺の手さばきを見て感嘆の声を上げた。
「その動き、まるで魔法みたい!」
「魔法じゃなくて、ただの技術だよ」
俺は微笑みながら答えた。
元の世界での鍵師としての経験と、この世界で得た『万物解錠』の力が融合して、より精密な作業ができるようになっている。
ミーシャから貰った緑の石も役立っていた。
手に持つと、道具の使い心地が格段に良くなり、より複雑な細工も可能になる。
「これは……」
「何?」
「何かが見えるんだ」
指先から伝わってくる感覚を頼りに、俺は金属を削っていく。
まるで設計図が脳内に浮かんでいるかのように、次の工程が自然と分かる。
これも『万物解錠』の一側面なのだろうか。
半日ほど作業を続け、ようやく基本的なツールのセットが完成した。
星屑鋼で作られたピック、テンションレンチ、そして魔力増幅器。
これらを組み合わせることで、通常では解けない『錠』にもアプローチできるはずだ。
「できた……」
「わあ! きれい!」
ミーシャは目を輝かせて完成品を見つめた。
「これで何でも開けられるの?」
「いや、まだこれは基本セットに過ぎない。本当の『究極ツール』を作るには、もっと特殊な素材と……」
そのとき、工房のドアが勢いよく開いた。
「トオル! 大変だ!」
シルフィアが息を切らせて飛び込んできた。
彼女の表情には、明らかな焦りが浮かんでいる。
「どうした?」
「ロード・Xが動いた。彼は今夜、街を出るらしい」
「何?」
「クロエの情報によれば、彼は何か重要なものを手に入れ、『聖域』に向かうつもりらしい」
これは予想外の展開だった。
まだ準備が整っていないのに。
「エリスとクロエは?」
「エリスは図書館で重要な発見をしたと言っている。クロエは今、ロード・Xの宿を監視している」
「分かった、すぐに集合しよう」
俺たちは急いで道具をまとめ、宿に戻った。
エリスは既に戻っており、大量の書物を広げていた。
彼女の表情には緊張感が漂っている。
「トオル、シルフィア、重大な発見がありました」
彼女は古い羊皮紙を広げた。
そこには複雑な図と古代文字が描かれている。
「これは『森の心臓』の本当の目的を示す古文書です。それによれば、『森の心臓』は単なる力の結晶ではなく、世界の根幹に関わる『封印の鍵』なのです」
「封印の鍵?」
「はい。太古の昔、『混沌の力』と呼ばれる危険な存在を封じるために、賢者たちが作り出したものです。『森の心臓』は封印を維持する力であると同時に、その封印を解く鍵にもなりうるのです」
「ロード・Xはそれを解放しようとしているのか?」
「そう考えられます。しかし、それには『領界の鍵』が必要です。古文書によれば、『森の心臓』を操るには、地脈と繋がった特殊な鍵が必要とされています」
シルフィアはペンダントを握りしめた。
「だから私の鍵を狙っていたのか……」
「ええ。しかし、まだ分からないのは、なぜ彼らが封印を解こうとしているのかということです。『混沌の力』を解放することは、世界に大きな災いをもたらすはずなのに……」
ドアが開き、クロエが戻ってきた。
彼女は明らかに走ってきたようで、息を切らしている。
「大変よ! ロード・Xが出発するわ! しかも……」
彼女は一瞬言葉を詰まらせた。
「銀髪の女性が一緒にいたの。彼女の名前は『セラフィナ』。施錠騎士団の執行官だって!」
セラフィナ……初めて敵の名前が明らかになった。
「それだけじゃないわ。彼らは『偽りの領界の鍵』を持っているの」
「偽物?」
シルフィアが驚いて問い返した。
「ええ。でも何かの改造を施したみたいで、本物に近い反応を示すらしいわ。それを使って『聖域』に向かうつもりよ」
「急がなければ」
シルフィアが立ち上がった。
「彼らより先に『森の心臓』に到達しなければ、取り返しのつかないことになる」
「でも、準備はまだ……」
俺は困惑した。
究極ツールは完成していないし、戦闘の準備も整っていない。
「時間がない」
エリスも真剣な表情で言った。
「古文書によれば、明日は『月蝕の夜』。封印が最も弱まる時です。彼らはその時を狙っているのでしょう」
「じゃあ、今すぐ出発するしかないわね」
クロエも覚悟を決めたように言った。
「準備が整わないまま敵に立ち向かうのは危険だが……」
シルフィアは一瞬考え込んだ後、決意の表情を見せた。
「しかし、それ以上に世界が危険にさらされることの方が問題だ」
「出発します!」
ミーシャが元気よく言った。
それまで状況を理解しようと必死だった彼女も、決意を固めたようだった。
「森のことは任せてね! ミーシャが案内するよ!」
五人は急いで荷物をまとめ、アルカニアを後にした。
シルフィアが準備していた馬を使い、できるだけ早く森へと向かう。
時間との戦いが始まった。
◇
夕暮れ時、俺たちは再び迷いの大森林の入り口に立っていた。
ここからが本当の挑戦の始まりだ。
「ロード・Xたちはどのルートで向かうと思う?」
俺がシルフィアに尋ねた。
「おそらく、最短ルートを行くだろう。彼らは地図を持っているはずだ」
「でも、最短ルートは危険ですよ」
ミーシャが心配そうに言った。
「あの道には『影の沼』があるの。普通の人は通れないよ」
「施錠騎士団の執行官がいる限り、彼らには関係ないだろう」
エリスが冷静に分析した。
「彼女なら、沼の魔力を操作して安全に通れるはずです」
「じゃあ、私たちはどうするの?」
クロエが不安げに尋ねた。
「別のルートを行くべきでしょうか?」
「いや」
俺は頭を振った。
「時間がない。俺たちも最短ルートで行く」
「でも、『影の沼』は……」
「私なら魔法で対抗策を用意できます」
エリスが言った。
「それに、トオルさんの『万物解錠』も役立つでしょう」
みんなの視線が俺に集まった。
確かに未完成とはいえ、新しい解錠ツールは力になるはずだ。
「分かった。では最短ルートで進もう」
俺たちは森の中へと足を踏み入れた。
太陽が沈み始め、森はより一層暗く、神秘的な雰囲気を帯びてきた。
ミーシャが先導し、エリスの魔法の光が道を照らす。
クロエは常に周囲を警戒し、シルフィアは剣を抜いたまま後方を守っていた。
「彼らの痕跡があります」
エリスが地面を指差した。
草が踏みしだかれ、木々の枝が折られている。
「多分、一時間前くらいに通ったのでしょう」
「急ごう」
シルフィアが促した。
森の奥へと進むにつれ、周囲の雰囲気がさらに変わっていく。
木々はより大きく、より古くなり、空気も重く湿っている。
何かを警戒するように、森全体が緊張しているかのようだった。
「あれが『影の沼』……」
ミーシャが先方を指差した。
そこには、漆黒の水面が広がっていた。
しかし、それは単なる沼ではない。
水面が時折揺らぎ、その下から何かが動いているかのように見える。
周囲の木々も、沼に近づくほど歪んで曲がっていた。
「怖いところね……」
クロエが身震いした。
「あの沼を通るの?」
「はい。正面突破は避けましょう」
エリスが言った。
「周りを迂回しつつ、橋でつながった小島を伝って進みます」
確かに、沼の中には小さな島が点在し、細い橋のようなものでつながれていた。
しかし、その橋は安定したものには見えない。
「あれは……足跡?」
シルフィアが沼の縁を指差した。
確かに、そこには何者かが通った跡がある。
泥の上に複数の足跡が残っていた。
「ロード・Xたちの足跡ね」
クロエが少し身を屈めて観察した。
「少なくとも五、六人いるわ」
「急ごう」
シルフィアが促し、俺たちは沼の周りを進み始めた。
足場は不安定で、時折黒い水面から気泡が立ち上る。
その度に、生臭い匂いが漂ってくる。
「気をつけて」
エリスが警告した。
「この沼の水は触れてはいけません。魔力を吸い取る性質があります」
全員が慎重に足を運ぶ。
ミーシャは驚くほど軽やかに前を進み、クロエも猫のように静かに身をこなす。
シルフィアは重厚な鎧を身につけているにも関わらず、安定した足取りで進んでいた。
「あそこが最初の島よ」
ミーシャが指差した先に、小さな土地が見えた。
そこへ続く橋は、細い木の幹を組み合わせたもので、決して安心できる代物ではない。
「一人ずつ渡ろう」
俺が提案し、まず自分が橋に足を踏み入れた。
木の幹がキシキシと音を立て、不安定に揺れる。
慎重に一歩一歩進み、なんとか島にたどり着いた。
「次、ミーシャ」
彼女は軽々と橋を渡ってきた。
獣人としての身軽さは、こういう場面で本当に役立つ。
続いてクロエ、エリス、最後にシルフィアが渡ってきた。
全員無事に最初の島に集まった。
「ここからは?」
「あの島を目指します」
エリスが地図を確認しながら、次の目標を指差した。
島から島へと進むにつれ、沼の雰囲気はさらに不気味さを増していく。
水面から立ち上る黒い霧が、視界を悪くしていた。
「何か……気配を感じる」
シルフィアが剣を構えた。
彼女の騎士としての直感が何かを察知したようだ。
「私も感じます」
エリスも杖を握りしめた。
「魔力の乱れが……」
その時、沼の中から突然、巨大な黒い触手が現れた。
それは島めがけて襲いかかってきた。
「避けろ!」
シルフィアの警告で全員が散らばる。
触手は島を強打し、土砂を巻き上げた。
「なんだこれは!?」
「沼の守護者です!」
エリスが叫んだ。
「通常は眠っているはずなのに……誰かが意図的に目覚めさせたのでしょう!」
触手は再び襲いかかってきた。
シルフィアが剣を振るい、それを切り裂く。
しかし、傷口からは黒い液体が噴き出し、すぐに傷が塞がっていった。
「効かない!」
クロエが小さなナイフを投げつけたが、それも同様に無効だった。
「エリス、何か対策は?」
「浄化の魔法が効くかもしれません!」
彼女は詠唱を始めた。
青白い光が彼女の杖から放たれ、触手に命中する。
しかし、効果は限定的なようだった。
触手はさらに暴れ始め、今度は複数の触手が現れた。
「これは厄介だ……」
俺は右手の紋様を見つめた。
『万物解錠』が使えないか。
この守護者も何かに「縛られて」いるのかもしれない。
島の中央に向かい、紋様を発動させる。
右手から放たれた光が、島全体に広がっていく。
すると、地面に刻まれた古代の文字が浮かび上がった。
「これは……結界の印!」
エリスが驚いた声を上げた。
「この島自体が守護者を操る鍵になっているのです!」
「つまり、ここを解錠すれば……」
「守護者を元の眠りに戻せるかもしれません!」
俺は地面の文字に手を当てた。
右手の紋様が強く反応する。
これは単なる物理的な錠ではなく、魔法と物質が融合した複雑な「鍵」だ。
しかし、新しいツールを使えば……。
「万物解錠!」
地面が震え始め、島全体が淡い光に包まれた。
沼から現れた触手が、徐々に静まっていく。
そして、水面に沈んでいった。
「成功したのか?」
クロエが恐る恐る沼を覗き込んだ。
「ええ、守護者は再び眠りについたようです」
エリスが安堵の表情を浮かべた。
「見事でした、トオルさん」
「シルフィア、大丈夫か?」
彼女は腕に触手の跡を残していたが、頷いた。
「問題ない。先を急ごう」
俺たちは残りの島々を渡り、ようやく沼の向こう岸にたどり着いた。
ここからは、森がさらに暗く、より密になっていく。
「ここからが『深き森』と呼ばれる区域です」
エリスが説明した。
「『聖域』への入り口はこの先にあります」
「敵の痕跡も新しくなってるわ」
クロエが地面を調べながら言った。
「かなり急いでるみたい」
「我々も急ごう」
シルフィアが前に立った。
森の奥へと進むにつれ、木々はより巨大になり、その幹は家ほどの太さになっていた。
根は地面から飛び出し、複雑に絡み合って歩きにくい道を作っている。
エリスの魔法の光だけが、この暗闇の中での頼りだった。
「あっ!」
突然、ミーシャが立ち止まった。
彼女の耳がピクピクと動き、何かを警戒している。
「何かいる……」
全員が緊張し、武器を構えた。
森の中から、何かが近づいてくる音がした。
枝が折れる音、葉が揺れる音……そして、重い足音が響き渡った。




