第3章:陰謀の輪郭(2)
「あれは……煙?」
シルフィアが道の先を指差した。
確かに、森の中から黒い煙が立ち上っている。
火事か何かだろうか。
「見に行くべきだ」
シルフィアがすぐさま提案した。
彼女の騎士としての責任感が強く出る場面だ。
「危険かもしれないわ」
クロエが慎重な意見を述べたが、エリスが頷いた。
「しかし、誰かが危険な状況にあるなら、助けるべきです」
俺たちは煙の方向へと足を向けた。
森の中の小さな空き地に到着すると、そこには焼け焦げた木々と、地面に大きな穴が空いていた。
何かが爆発したような痕跡だ。
「これは……錬金術の実験失敗ね」
クロエが地面の模様を見て言った。
「でも、誰もいないわ」
そのとき、低いうめき声が聞こえた。
「あっちだ!」
シルフィアが声のする方を指差す。
倒れた木の向こうに、小さな影が見えた。
近づいてみると、それは若い獣人の少女だった。
リスのような大きな耳と長い尻尾を持ち、栗色の短い髪をした、小柄な体つきの少女。
彼女は革のベストと作業用のサロペットスカートを着ており、肩からはいくつもの小袋を下げていた。
顔や手には煤が付き、明らかに爆発に巻き込まれたようだ。
「大丈夫か?」
俺が声をかけると、少女はゆっくりと目を開けた。
大きくくりくりとした茶色の瞳だ。
「う……うーん……」
彼女はぼんやりとした表情で俺たちを見上げた後、突然飛び起きた。
「わわわ! 誰!? あの赤い実を探しに来たの?」
彼女の反応は予想外だった。
エネルギッシュな声と動きは、先ほどまで気絶していたとは思えない。
「落ち着け、敵ではない」
シルフィアが冷静に言った。
「煙を見て、何かあったのかと思って来たんだ」
「あ、そっか! ごめんなさい!」
少女はすぐに笑顔になった。
その表情の変化の速さに戸惑う。
「ミーシャがやっちゃったの。あの実、もっと強い爆発するとは思わなかったんだよね〜」
「ミーシャ?」
「うん! ミーシャ・ナッツっていうの! この辺の森で素材集めをしてるんだ!」
彼女は元気よく自己紹介した。
そのエネルギッシュな様子は、少し前まで事故に遭っていたとは思えないほどだ。
「怪我はないのか?」
「うーん、ちょっと頭がくらくらするけど、大丈夫だと思う! リス族は頭が固いのです!」
彼女は得意げに頭を叩いた。
その仕草が妙に愛らしい。
「何があったんだ?」
「えっとね、赤い実を見つけたの。珍しい素材だから集めようと思ったんだけど、ちょっと強く握りすぎたみたい……」
彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
「それで、どっかーん!って」
「『爆裂果』ですね」
エリスが冷静に分析した。
「接触圧力で爆発する珍しい実です。素材として価値がありますが、扱いが難しい」
「えっ! そうなの? 知ってるんだね、すごい!」
ミーシャはエリスに目を輝かせた。
「あなたたちは誰なの? この森を旅してるの?」
俺たちは簡単に自己紹介をした。
詳しい事情は明かさなかったが、アルカニアに向かっていることだけは伝えた。
「アルカニア? ミーシャもそっちに行くつもりだったの!」
彼女は飛び跳ねるように喜んだ。
「最近、森の奥が危険になってきたから、珍しい素材を売りに行こうと思って」
「危険になった?」
シルフィアが鋭く質問した。
「うん……森の奥の方から、変な人たちが来るようになったの。彼らは森の素材を乱獲したり、時々動物を傷つけたりしてる……」
ミーシャの表情が曇った。
「それに、森の魔力も変になってきてる。木々が枯れたり、動物が凶暴になったり……」
「それはいつ頃からだ?」
「うーんと、一ヶ月くらい前からかな?」
その時期は、シルフィアが『領界の鍵』を追われ始めた頃と一致する。
やはり関連がありそうだ。
「その変な人たちについて、もっと詳しく教えてくれないか?」
「うーん……みんな黒い服を着てて、中には白と黒の制服みたいなのを着てる人もいたよ」
「白と黒の制服……?」
シルフィアの表情が変わった。
彼女は何か思い当たるものがあるようだ。
「あと! リーダーみたいな人は、銀髪の女の人だった! すごく怖かった……」
銀髪の女性。
これはクロエが言っていた、ロード・Xの屋敷を訪れる謎の人物と同じかもしれない。
「その女性についてもっと覚えていることはある?」
「うーん……厳しい顔してて、ずっと冷たい目で周りを見てた。あ、それと、首輪みたいなのをしてたよ!」
「首輪?」
「うん、銀色の輪っかみたいなやつ! 魔力を感じた!」
エリスが眉をひそめた。
「それは……特殊な魔力増幅装置かもしれません。上級魔術師が使うことがありますが、非常に希少です」
俺たちは顔を見合わせた。
状況は徐々に明らかになってきている。
銀髪の女性が鍵を握っているようだ。
「ねえねえ、一緒にアルカニアに行かない?」
突然、ミーシャが提案してきた。
「ミーシャ、一人じゃ不安なの。それに、あなたたちなら安全に連れて行ってくれそう!」
「いや、我々も急いでいるんだ」
シルフィアが断ろうとしたが、クロエが割り込んだ。
「待って、シルフィア。彼女は森のことをよく知ってるわ。案内役として一緒に来てもらうのもいいんじゃない?」
「それに、彼女の話す『変な人たち』の情報も貴重です」
エリスも珍しく積極的な意見を述べた。
「ミーシャさんは素材集めの達人のようですから、その知識も役立つでしょう」
シルフィアは少し考え込んだ後、俺の方を見た。
「トオル、どう思う?」
「俺は賛成だ」
正直なところ、ミーシャの無邪気な性格には少し心配もあったが、彼女の持つ森の知識は確かに貴重だと思われた。
そして何より、彼女を一人で危険な森に残すのは忍びない。
「やったー!」
ミーシャは嬉しそうに飛び跳ねた。
「ミーシャ、みんなのお役に立つよ! 森の素材のことなら任せてね!」
彼女の目は純粋な喜びで輝いていた。
「よろしく頼む」
シルフィアも渋々認めたようだ。
こうして、俺たちの一行は五人になった。
ミーシャという予想外の仲間を得て、アルカニアへの道を進むことになる。
◇
アルカニアは名前に違わぬ学術都市だった。
高い塔が立ち並び、空中に浮かぶ球体状の建物もある。
街全体が魔法の光で照らされ、夜になっても明るい。
街の中央には巨大な図書館があり、その屋根は水晶でできているようだ。
学者風の服装をした人々が行き交い、街のあちこちで魔法が使われている様子が見て取れる。
「すごい……」
思わず声が漏れた。
シルフィアも珍しく感嘆の声を上げている。
クロエは興味津々で辺りを見回し、ミーシャはあまりの興奮に耳をピクピクと動かしながら、目をキラキラと輝かせていた。
「こんな大きな街、初めて見たの!」
ミーシャは小さな子供のように無邪気に喜んでいる。
彼女は森の奥深くで育ったらしく、大都市の文明には馴染みがないようだ。
「ここに来るのは二度目です」
エリスは落ち着いた様子で言った。
彼女にとっては、ある種の帰郷のようなものだろう。
「まずは宿を確保しよう」
シルフィアが実務的に提案した。
彼女は常に足元をしっかりさせる思考の持ち主だ。
「その前に、ちょっと情報収集しない?」
クロエが市場の方を指差した。
アルカニア到着とほぼ同時に、彼女は既に商売の嗅覚を働かせているようだ。
「街の噂を掴んでおいた方がいいわ。特に、最近ロード・Xが何をしているのか」
考えてみれば、クロエの意見にも一理ある。
まずは状況を把握しておくべきだろう。
「分かった。では私とシルフィアが宿を探し、クロエとミーシャは市場で情報収集。エリスは?」
エリスは少し考え込んでから答えた。
「私は魔術ギルドに立ち寄りたいです。知り合いに会って、図書館の許可証を得ておきたいので」
「じゃあ、二時間後にこの広場で合流しよう」
俺たちは一時的に分かれることにした。
シルフィアと俺は宿を探して北側の区域へ、エリスは魔術ギルドのある中央区へ、クロエとミーシャは東側の市場へと向かった。
「本当に彼女は大丈夫なのか?」
シルフィアが少し心配そうにミーシャの去っていく後ろ姿を見ていた。
「クロエがいるから問題ないだろう」
「いや、むしろクロエが彼女を危ないことに巻き込まないか心配だ」
シルフィアの言葉に思わず笑ってしまった。
確かに、クロエは少し冒険好きで計算高いところがある。
しかし、根は悪い人間ではないはずだ。
「まあ、二人とも結構したたかだ。大丈夫だろう」
俺たちは宿探しを始めた。
アルカニアの宿は意外と混んでいて、五人分の部屋がある宿を見つけるのは簡単ではなかった。
ようやく『賢者の休息』という宿に空きがあることが分かり、部屋を確保した。
「少し値が張るな」
俺が財布の中身を確認しながら呟くと、シルフィアが静かに言った。
「私が払う」
「いや、そんな……」
「気にするな。ヴァレンタイン家の次期当主として、これくらいの蓄えはある」
彼女の言葉には、家名に対する誇りと責任感が伺えた。
彼女は本当に家の名誉と未来を背負っているのだ。
「……ありがとう」
素直に感謝を伝えると、シルフィアは少し戸惑ったような表情を見せた後、小さく頷いた。
宿の手続きを済ませ、俺たちは約束の広場へと戻った。
エリスが既に待っていた。
彼女の表情には、珍しく明るさが漂っている。
「どうだった?」
「上手くいきました」
エリスは少し嬉しそうに答えた。
「知り合いの長老が特別許可証を出してくれました。明日から王立図書館の特別室に入れます」
彼女は白い紙切れを見せた。
魔法の印章が施されている。
「それは素晴らしい」
シルフィアも素直に喜んだ。
エリスの知識と図書館の情報があれば、きっと何か重要な手がかりが見つかるはずだ。
しばらくすると、クロエとミーシャが戻ってきた。
二人とも何やら得意げな表情をしている。
特にミーシャは、手に大きな飴玉を持って嬉しそうだった。
「何か収穫はあったか?」
シルフィアが二人に尋ねた。
「もちろん!」
クロエはニヤリと笑った。
「面白い情報がいくつかあるわ。宿に入ってから詳しく話すわね」
俺たちは『賢者の休息』へと向かった。
宿は外観こそ質素だが、中は清潔で整然としていた。
特に俺たちが確保した部屋は、五人でも余裕のある広さだった。
「さて、報告を聞こうか」
全員が部屋に集まると、シルフィアが口を開いた。
「クロエから始めよう」
クロエは少し椅子を引き寄せ、声を落として話し始めた。
「まず、ロード・Xについてよ。彼はここ一ヶ月ほど、度々アルカニアを訪れているわ。特に王立図書館の特別室に出入りしているとか」
「図書館?」
エリスが眉をひそめた。
「何を調べているのでしょう……」
「それが、古代の封印に関する資料らしいの」
クロエの言葉に、全員が緊張した表情になった。
「それだけじゃないわ。彼は最近、鉱山師や素材商人たちに高額な依頼をしているらしいの。特殊な鉱石や希少素材の収集を」
「何の目的で?」
「それは分からないけど、『装置』を作るためじゃないかって噂されてる」
シルフィアが腕を組んだ。
「彼の行動がますます怪しくなってきたな」
「そして一番重要なのが、ロード・Xは三日前にアルカニアを訪れたまま、まだ街にいるってこと」
クロエの言葉に、全員の目が見開かれた。
「つまり、彼はこの街のどこかにいるのか?」
「その通り。彼は『黄金の塔』というこの街で一番高級な宿に滞在しているわ」
「これは予想外だな……」
俺は考え込んだ。
こうして敵の居場所がはっきりしたのは朗報だが、逆に言えば、俺たちの動きも監視されている可能性がある。
「ミーシャ、君は何か情報は?」
ミーシャは口の中の飴をクルクルと転がしながら、元気よく答えた。
「うん! ミーシャ、市場で素材屋さんと話したの! 最近、森の奥から変な鉱石が流れてきてるんだって。『幽霊石』って呼ばれてて、触ると体が冷たくなるんだって」
「幽霊石?」
エリスが身を乗り出した。
「それは大変珍しい鉱石です。『古代の封印』がある場所でしか採れないとされています」
「そう! そして、その石をたくさん買ってるのが、銀髪の怖い人なんだって!」
銀髪の女性……やはり彼女が鍵を握っているようだ。
「他には?」
「えっとね、あとね、魔法屋さんが言ってたの。『施錠の紋章』って刻印のついた特殊な魔道具が最近流行ってるって」
「施錠の紋章?」
今度はシルフィアが食いついた。
「それはどんな紋章だ?」
「えっとね、こんな感じ!」
ミーシャはテーブルの上に指で円を描き、その中に鍵穴のような模様を描いた。
「これは……!」
シルフィアの表情が変わった。
「騎士団の教育で一度だけ見せられた、秘密結社の紋章だ。『施錠騎士団』と呼ばれる組織のものだ」
「施錠騎士団……」
エリスが小さく呟いた。
「古代の秘密結社と言われている組織です。世界の『秩序』を守るため、危険なものに『施錠』をかけるという……」
「つまり、ロード・Xはこの施錠騎士団と関わっているのか?」
「そう考えるのが自然でしょう」
エリスが答えた。
「しかし、不思議なのは、なぜ彼らが『解錠』のために動いているのかということです。本来なら、封印を強化するのが彼らの役目のはずなのに……」
「組織内に対立でもあるのかもしれないな」
俺が推測を口にした。
「一部が暴走して、封印を解こうとしている……」
「いずれにせよ」
シルフィアが立ち上がった。
「明日からの行動計画を立てよう。エリスは図書館で古代の封印について調査する。クロエはロード・Xの動向を探る。ミーシャは市場で更に情報収集。俺とトオルは……」
「俺は工具や素材を調達したい」
俺は言った。
「もし『森の心臓』に向かうなら、もっと高度なツールが必要になる。『万物解錠』を最大限に活かせるものを作りたい」
「分かった。では私はクロエに同行しよう。ロード・Xの居場所を確認し、可能なら証拠を探る」
こうして、翌日の行動計画が決まった。
長旅の疲れもあり、早めに就寝することにした。
しかし、真夜中近く、俺は何かの気配で目を覚ました。
部屋の窓から月明かりが差し込み、シルバーの光が床に落ちている。
そこに小さな人影があった。
「誰だ?」
「あっ、ごめんなさい! ミーシャ、目が覚めちゃって……」
ミーシャの声だった。
彼女は窓辺に座り、静かに月を見上げていた。
「どうした? 眠れないのか?」
「うん……ちょっと考え事してたの」
珍しく、彼女の声には元気がなかった。
「何を考えてたんだ?」
「ミーシャの村のこと」
彼女は膝を抱えた。
「森が危険になってきてるから、村の家族たちが心配で……」
彼女の素直な言葉に、胸が締め付けられる思いがした。
「きっと大丈夫だ。俺たちが『森の心臓』の問題を解決すれば、森も元に戻るはず」
「本当?」
ミーシャの大きな瞳が希望の光で輝いた。
「ああ、そう思う」
「ありがとう、トオルさん!」
彼女の表情が一気に明るくなった。
「ねえ、トオルさんはすごいね。万物解錠の力を持ってて、みんなを助けて……ミーシャはトオルさんみたいになりたいな」
「いや、俺は……」
素直な彼女の言葉に、少し照れてしまった。
「あ! そうだ!」
彼女は突然思い出したように、懐から何かを取り出した。
「これ、今日市場で見つけたの。トオルさんに良さそうだなって思って」
それは小さな緑色の石だった。
月明かりを受けて、微かに輝いている。
「これは?」
「『職人の石』って言うんだって。職人の手に馴染んで、道具を作るのを助けてくれるんだって!」
彼女は嬉しそうに石を差し出した。
「ミーシャ、お金ないから買えなかったんだけど、素材と交換してもらったの。トオルさんが明日道具作るって言ってたから、役に立つかなって」
この純粋な心遣いに、言葉が詰まった。
知り合って一日も経っていないのに、彼女はこうして思いやりを見せてくれる。
「……ありがとう、ミーシャ」
俺は感謝の気持ちを込めて石を受け取った。
手に触れると、確かに何かの力を感じる。
「やったー! 喜んでもらえて嬉しい!」
彼女は小さく跳ねるように喜んだ。
その無邪気な笑顔は、まるで森の精霊のようだった。
「さあ、もう遅いから寝よう。明日は忙しい一日になるぞ」
「うん! おやすみなさい、トオルさん!」
ミーシャは自分のベッドに戻り、すぐに安らかな寝息を立て始めた。
獣人の素早い適応力なのだろうか。
俺は手の中の緑の石を見つめた。
この旅で、また一人大切な仲間が増えた。
彼女の無邪気さと純粋さは、時に危なっかしくも思えるが、同時に俺たちの心を癒す存在でもある。
こうして様々な思いを胸に、俺は再び眠りについた。
明日からの調査で、ロード・Xと施錠騎士団の謎が解けることを願いながら。




