ラウンド55 私が愛しているのは―――
「あなたは……」
その日、チャイムに応えてインターホンに出た彼は、カメラの向こうで息を飲んだ。
「突然申し訳ない。アルシードに行動を悟られないためには、誰にも何も告げずに、直接ここに来るしかなくてな。」
「!!」
そう告げると、彼はさらに息をつまらせる。
「……どうぞ。お入りください。」
さすがはアルシードの父親だな。
息子と同じで、一つの単語から多くのことを悟る。
「感謝する。」
インターホンに向かって一礼し、ノアは門を開いて中へと入った。
「あなたは、あの子の秘密をご存知なのですね。」
紅茶を出して席につくや否や、彼は単刀直入に訊ねてきた。
「ああ。申し訳ないが、アルシードと知り合ってすぐに調べさせてもらった。とはいえ、推測で鎌をかけて、ようやく確信できたのだがな。見事な手腕だ。海を越えたルルアからも、あれだけ綺麗に情報を消していたのだから。」
「………」
率直に告げると、彼の両親は目を伏せた。
そこに宿る深い後悔を見ていると、どうしようもなく胸が切なくなる。
兄に裏切られ、自分を殺して復讐に徹する弟。
悲しい事件が歪めてしまった今は、この家族を出口の見えない闇に引きずり落としてしまっている。
それが、痛いほどに伝わってくるから。
「それで、今日はどのようなご用件でしょうか? あの子―――アルシードのことで、あの子には知られたくないお話があるのでしょう?」
二人の緊張した面持ち。
それを受ける自分もまた、珍しく緊張してしまっていた。
「その、だな…。驚かずに聞いてほしいのだが……」
「はい。」
「実は……アルシードと、結婚することに……なりました……」
途中から恥ずかしくなってきて、声が尻すぼみに消えていく。
何故私は旦那よりも先に、旦那の両親に結婚の報告をしているんだ。
普通なら、こんな状況ありえないぞ?
まあ、私もアルも普通じゃないんだが!!
「は……い……?」
ポカンと呆けるご両親。
分かる!
分かるぞ!
そりゃそうなるわ!!
「いつから、アルとお付き合いを…?」
「かれこれ、二年前からは……」
「アルが、あなたに告白を…?」
「えっと……最初に半ば強引に落としたのは私で…。でも、今はいつも愛してるって言ってくれるし、今回結婚の話を切り出してくれたのもアルだし……」
「………」
「………」
お互いに沈黙。
その後。
「―――よかった…っ」
彼の父は大きく息をつくと、顔を両手で覆った。
「ありがとうございます。ずっと……ずっと、心配だったんです。アルは最後まで、孤独に人生を生き抜いてしまいそうで…っ」
背負っている業が、あまりにも深すぎたのだろう。
妻に抱かれて震える彼は、すでに涙声だった。
「あの子は……よくも悪くも思い切りがよくて、極端で不器用な子なんです。」
涙に混ざって、彼の想いが零れ落ちる。
「何度も、やめなさいと言いました。事情を話せば、戸籍なんてどうとでもなると。でもあの子は……残酷なくらいに復讐のことしか考えていなくて…っ。自分の心を殺し続けた結果……アルシードという名前にすら、反応しなくなってしまいました。」
彼を支える妻の目尻にも、涙が浮かぶ。
「でも、私たちは……あの子を〝ジョー〟と呼ぶことはできなかった。私たちまでそう呼んでしまったら……あの子は本当に、自分を忘れてしまう…っ」
「ああ…」
ノアも瞼を伏せる。
「あの復讐心はすごかったな。初めてアルシードの名前を突きつけた時、百戦錬磨と言われる私でも殺されるかと思うほどの寒気がしたよ。」
あの時の彼が見せた、殺気でぎらついた冷たい目。
あれは、忘れようにも忘れられない。
思えば、あの目に気圧されたのが全ての始まりだったのかもしれない。
魔性の改革王として、この目は見過ごせないと。
そんな使命感に駆られる裏で、自分はすでに彼に惹かれ始めていたのだろう。
「だから、アルがこの世界を捨てられないと言って泣いた時は、本当に嬉しかったんです。でも……」
「開発部に異動こそしたものの……また、ジョーに戻りそうになっていたな。」
彼らの苦悩はいかばかりか。
それをひしひしと感じながらも、ノアは眉を下げて笑う。
「本当、自分の気持ちに鈍感なアルには苦労したよ。キリハを使って無理やりルルアに呼び出して、押しに押して、クッションを投げ合っての大喧嘩もして……やっと、私が好きだと認めさせたんだ。」
「恐れ入りますが……ノア様は、アルのどこを好きに…?」
「それなんだが……」
アルシードの両親に顔を近付け、そんなことをする必要もないのに、口元に手を当ててこそりと口を開く。
「アルって、礼を言う時に変に照れる癖がないか?」
「………」
訊ねてみると、二人はフリーズ。
「ふふ…っ」
からの噴出。
「え……その癖、今も…?」
「やはり、子供の時からそうなのか!?」
「ええ…っ。何が恥ずかしいのかは分からないのですけど、いつももじもじしながらお礼を言うんです。」
「のわあぁっ! それはそれで見たかったなぁっ!!」
照れるだけじゃなく、もじもじまでしていたとは。
ノアはテーブルに突っ伏して地団駄を踏む。
「あれにやられたのだぁっ!! それまで無駄に口が上手いくそ坊主としか思ってなかったのに、あのギャップが可愛すぎて!!」
「なるほど……」
「昔もあれ見たさに、病院の方々がよくアルに貢いでましたわね。」
「そうだよなぁっ!? あれはたまらんよなぁっ!? くううぅぅっ!!」
両親からの証言をもらって、確信した。
やはり彼は、ジョーでいるべきではないと。
「あれから、打てるだけの手は打った。あえて研究所の所長を押しつけたのは正解だったな。もちろん、アルにルルアに来てもらう口実作りというのもあるが……所長という隠れ蓑のおかげで、遠慮なくアルシードとして研究に打ち込めているようだし。」
「あれは、ノア様が…?」
「ああ。私も、アルに〝アルシード〟を忘れてほしくはないから。」
「!!」
大きく目を見開くご両親。
そんな二人に、自分の想いの丈をぶつける。
「今ので分かったと思うが、私が惚れたのは最初からアルシードなのだ。結婚したいのだってアルシードだし、私が本気で愛しているのは―――生涯でただ一人、アルシード・レインだけなのだ。」
そう。
自分が真に求めているのは、ジョー・レインなんかじゃない。
その仮面を被った彼はいらない。
だから……
「ご両親。私はこれから、ジョー・レインをアルシード・レインに戻そうと思う。」
「―――っ!!」
「あいつは意地を張っている以上に、自分の勝手でこれ以上お二人を傷つけたくないと、真実を明かしてお二人が非難される未来を恐れて、最後の一歩を踏み出せずにいるんだ。頼む。私と一緒に、アルの背中を―――」
「よろしくお願いいたします。」
言葉を言い終わらぬ内に、二人が深々と頭を下げてきた。
「よく分かりました。アルはあなたがいたから、四年前にあの一歩を踏み出せたのですね。ならば……これはきっと、あなたにしかできないことです。私たちはなんでもします。だから、どうか……」
真摯な二つの双眸が、まっすぐに自分を映す。
「どうか―――あの子を縛る最後の鎖を、断ち切ってあげてください。」




