ラウンド49 嵐は静かに―――
それは、鳥の鳴き声が穏やかなとある昼下がり。
日課のように甘いホットミルクを二杯入れて、テラスへと向かう。
「あら…。あなた、これを見てちょうだい。」
ホットミルクをテーブルに置くと、妻がタブレット端末の画面を見せてきた。
「あの子、今度はこんな論文を出したみたいよ。」
「お、それは読まなきゃな。」
ケースから取り出したメガネをかけて、妻と一緒に画面に並ぶ文字を追う。
「この前電話したら、あの子なんて言ったと思います? これはルルアの研究所との合同論文であって、僕の論文じゃなーいですって。」
「見え透いた嘘を…。月に一本二本ってハイペースで論文を出せるのなんて、あの子しかいないのに。」
「本当にそう。研究所名義で自分の名前は出さなくていいからって、好きにやってますよ。じゃあ口で発表する場を設けて、その論文を説明できるメイン研究者を出しなさいなって言ったら、あの子ったら分かりやすくむくれちゃったの。」
「そりゃ、こんな難解な論文を口で説明できるのは、あの子だけだろうからね。」
二人でくすりと笑う。
ルルアの研究チームの有能さはとんでもない。
セレニアではそう言われているけど、自分たちには真実が分かる。
こんなにもすばらしい論文を作れるのは、たった一人しかいないということを。
「あの子はようやく……好きなことができているんですね。」
「……ああ。」
毎月のように飛び出してくる、探求心の塊のような論文。
そこに込められた、飽くなき知識への渇望。
野心すら感じられるこの論文が示す姿こそ、本来のあの子なのだろう。
「楽しくて仕方ない。どうしても、この世界を捨てられないって……泣きながらああ言われた日が、まだ昨日のことのように思い出せるよ。」
「ええ…。どんな形でも、あの子が今純粋にこの世界を楽しめているなら、少しでも浮かばれますね。」
「本当に。あの子の心は、もう二度と日向を見てくれないんじゃないかと……それだけが、どうしても悔しかった。」
「私たちも動揺していて……あの時は、深海に落ちていくあの子の心をすくい取れなかったものね。」
二人で身を寄せ合い、今もくすぶる後悔に浸る。
ティータイムのホットミルク。
そのお供にテーブルに広げる、宝物の実験器具と自由帳。
あの子自身も忘れたあの子を忘れないように、まるで懺悔のごとく、二人でこの時間を過ごした。
すばらしいという言葉では足りないほどの天の才。
それ自体に罪はないが―――それが輝きを放つには、あの子は酷なほどに幼すぎた。
せめて、才能が開花するのがあと五年でも遅ければ……
今はもういない兄も、まだ理性的に現実を受け止められたかもしれない。
弟だって、兄との距離を取りつつ、自分の能力をコントロールできたかもしれない。
そして自分たちも、それぞれの心に寄り添って、二人の絆が壊れないように立ち回れたかもしれない。
そんなことを思い出したら、きりがなくて……
「どうせなら、このまま―――」
願いは、みなまで言葉にならない。
後悔の時間を打ち壊すように、インターホンのチャイムが鳴り響いたからだ。




