ラウンド30 十割増しの間違いだったようです
翌朝。
「………」
心地よい朝を演出するためにスピーカーから流れてくる小鳥のさえずりと木々の葉がこすれる音を聞きながら、ノアはベッドに座って硬直していた。
(ふおおぉぉ…っ。あれが……あれが俗に言う、盛り上がった男女がそのまま……ってやつか!?)
おそるべし盛り上がり効果。
戸惑いも羞恥心もなく、普通に身を委ねてしまった。
いやだってもう、そうなるのが自然というか、止まるに止まれない雰囲気だったし?
嬉しくてたまらなくて、むしろ止めないでって気分だったし?
「~~~っ!!」
毛布をぎゅーっと抱き締めて足をばたつかせながら、ノアは悶絶する。
(分かっていたはずなのに……アルもちゃんとした男だったんだって、昨日ようやく実感した気がする……)
伴侶になれとあんなに猛プッシュしておきながら、アルシードのことをどこか手の焼ける子供のように思っている自分がいた。
自分が思い浮かべるのはおとぎ話のようなふんわりとした結婚ばかりで、リアルな男女関係にまでは考えが全然及んでいなかったのだと、昨日一日でかなり思い知らされた。
「………」
ノアはちらりと隣を見る。
そこにジョーの姿はない。
どうやら、先に起きて寝室を出ていったようだ。
正直、ちょっと助かった。
隣に彼が寝ていたら、どんな話をすればいいのか分からなかっただろうから。
(平常心……平常心……)
ベッドを降りる、やっぱり戻るを繰り返すこと一時間。
腹をくくったノアは、ようやく寝室のドアを開く。
柔らかな日差しが差し込む広いリビング。
ソファーに座っていたジョーは、コーヒーをお供にタブレット端末を眺めていた。
おそるおそるリビングに足を踏み入れると、彼の肩が小さく震える。
ゆっくりとこちらに向けられた瑠璃色の双眸が、柔らかくて優しげに和んだ。
「おはよう。案外早かったね?」
(うおおおぉぉっ!! ま、まぶしい!!)
すみません。
輝き五割増しではなく、十割増しの間違いだったようです。
大量に放たれるきらめきが、衝撃波のごとく襲ってくるようだ。
「コーヒーでいいかな?」
「あ、ああ……」
ぎこちなく答える自分にくすりと笑みを零し、ジョーはリビングを出ていく。
「………」
ええっと…?
私は、どこでどうしていればいいんだ…?
自分の居場所に悩んだノアの目についたのは、ジョーがテーブルに伏せていったタブレット端末。
少しでも手持ち無沙汰なのをどうにかしたいノアは、引き込まれるようにソファーに座った。
ひっくり返したタブレット端末の画面には、細かい文字がびっしりと並んでいる。
少し読んでみて、それが薬学に関する論文であることが分かった。
(やっぱり、好きなんだな……)
ちょっと気になって、これまでの閲覧履歴を覗いてみる。
どこまでスクロールしてみても、並んでいるのは論文ばかり。
閲覧時間も朝から夜中まで様々で、暇さえあれば常に論文を読んでいるのだということが窺い知れる。
自分の才能を鼻にかけているような物言いで、周りを煽って見下す態度が常であるアルシード・レイン。
その才能の裏にあるのは、これだけの熱意。
昨日の話を聞く限りでは、今までに身につけた技術を衰えさせないための努力にも余念がないようだ。
才能の他にもこんなに魅力がある人なのに……兄の亡霊に足を引っ張られて、飛び立つに飛び立てないでいるのが歯痒い。
考えても意味がないのに、もしも九歳だった彼の傍に自分が寄り添えていたら……なんて。
そんなことを考えてしまうのだ。
「面白い?」
「え…?」
ふいに問いかけられて、無意識のうちに顔を上げる。
すると、思ったより近くにジョーの顔があった。
「………」
しばしの無言。
その後。
「あわわわわっ!?」
一瞬で全身の血液が沸騰した気分になったノアは、動揺のあまりタブレット端末を放り投げてしまった。
「おっと。危ない、危ない。」
少しも驚かず、ジョーは当然のようにタブレット端末をキャッチ。
もう片方の手に持っていたカップからも、コーヒーは一滴も零れなかった。
「まだ立ち直れてないの? それなら、もう少し落ち着くまでベッドでゆっくりしてればよかったのに。」
そんなことを言いながら、目の前にコーヒーを置くジョー。
その言葉と態度から、自分を一人で寝室に残したのは、彼なりの気遣いだったことを悟った。
(どうしてこいつは、こんなに余裕なのだ…っ)
昨日から一貫して、彼のペースに流されてばかり。
正直ものすごく悔しいのだけど、それと同じくらい嬉しくて、ここは文句を言うべきなのか感謝を伝えるべきなのか分からなくなってしまう。
「この後どうする? このまま家に送ってもいいし、軽くご飯を食べてから帰るでもいいよ?」
………?
なんだ?
思い切りからかってくると思ったのに、もう終わりか?
というか、なんとなく口調も雰囲気も丸いように思えるのは、私の気のせいだろうか…?
―――という違和感は、一旦置いといて。
「そうだな! どうせなら―――」
よくよく考えたら、これってかなり美味しい展開では?
今なら自然な流れで、アルシードをもう一日独占できるじゃないか。
いつまでも照れていたら損だ。
「こらこら。ちょっと落ち着きな。」
突然饒舌になって自分の希望を連ね出したノアに、ジョーは苦笑を一つ。
その頭を優しくなでた彼は、なんでもないことのようにこう告げる。
「時間ならまた作ってあげるから、今日は控えめにして休みなさい。初めてだったんでしょ?」




