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ラウンド20 喧嘩の後は……

 その後、二人の間には話し合いと呼べる会話はなかった。



「こんの、食らえ!」



「甘いわぁ! そんななまっちょろい球など―――うっぷ!」



「甘いのはどっちだよ! この程度のフェイントに引っかかるなんざ―――ちぃっ!」



「おやおやぁ? 注意力が散漫だよ、アルシード君?」



「はっ、負け犬の遠吠えってやつ? あんたはもろに食らったけど、こっちはかすっただけだもんねーだ。」



「完璧に()けられていない時点で、どんぐりの背比べだな。」



「言ってろよ。喧嘩を買ったからには、全力で勝ちにいくからな! 僕、これまで勝負に負けたことないもんで!」



「奇遇だな! 私も、人生で黒星はつけたことがないんだ! どんな些細な勝負だろうと譲らん!!」



 もはや、本来の目的などそっちのけ。

 いつの間にか二人は、クッション投げに没頭するだけになっていた。





 そんな時間が続くこと―――二時間。





「さすがは、ルルア一番の猛者(もさ)……体力は、化け物級か…っ」



「そっちこそ……軍から身を引いて研究室にひきこもっている割には、体力も身体能力も(なま)っていないようだな…っ」



 双方大量の汗を流し、全身で息をしながら睨み合う。



 お互いに髪は乱れに乱れて、家具にかすったり転んだりで、全身は(あざ)や小さなかすり傷だらけ。



 室内には二人が投げたクッションの被害を受けた小物たちが散乱し、目も当てられない状態になっていた。





 そんな中―――ぽとり、と。





 ジョーが、片方のクッションを手放す。

 深くうつむく彼の額から、いくつもの汗が照明の光を反射しながら落ちていった。



 そして……



「―――はは……」



 ふいに、彼の体が震え始める。

 それに釣られて、ノアの体も同じように痙攣(けいれん)した。





「ははは……ははっ………あははははっ!!」





 どちらからともなく大声で笑い、二人で床に座り込む。



「ああもう……ばっかみたい! なんで僕たち、こんなことしてたんだっけ?」



「さあな、忘れた! でも、ものすごく楽しかったな!!」



「嘘でしょ、これが? 頭大丈夫?」



「なんだ! アルだって、楽しかったから笑ってるんだろう?」



「楽しいっていうか、滑稽(こっけい)だよね。金曜日の夜ともなれば、たくさんの大人がお酒を手にしてるっていうのに、僕たちときたら……ガキかよ! もう!!」



「いいじゃないか、少年の心! 酒を片手にくたびれるより、クッションを片手に若返った方がいいだろう?」



「いや、よく考えてよ。これ、若返りじゃなくてもはや退化だから。」



「でも、汗と共に言いたいことを言い合うなんて、健全ですばらしいじゃないか。酒が入った時の愚痴ほど面倒はものはないぞ? 絡み酒なんか最悪だ。」



「それには同感。僕、飲みの席って好きじゃないんだよねぇ。ただでさえ知能指数ゴミなのに、それ以下になってどうすんだっての。……まあ、情報を仕入れるために、あえて飲ますんだけどね。」



「おお、黒い黒い。腹黒い。」



「それが僕だもんね。ははは……―――はぁ。」



 ふとした拍子に、ジョーは深い溜め息を一つ。





「人生で初めてだな。こんな馬鹿みたいに喚き散らして暴れたの……」





 その瞳に揺れるのは、どこか泣きそうな色。



「ん?」

「いえ、別に? なーんにも。」



 ノアが小首を傾げると、ジョーはすぐに首を振って微笑んだ。

 さりげなく(まぶた)を閉じたことで、一瞬見えた傷だらけの心はすぐに隠されてしまう。



「くそ……それにしても、今回の勝負は引き分けか。人生で二度目の汚点だよ。」

「どうせ、一度目はキリハだろう?」

「そーですよ。ああもう、どうしようかな……」



 ジョーは参ったとでも言いたげに髪を掻き回す。



「勝負に勝ったら、全員の前で包み隠さずに事情を説明させるつもりだったのに……引き分けとなると……」



 考えること数秒。

 ジョーは深々と息を吐く。



「とりあえず、正式に出張の通達が出る前に、一度セレニアに帰らせてくれる? 向こうに置いてある研究資料一式を持ってきたいから。」



「分かった。私のジェット機を自由に使うがいい。」



「それと、過度なスキンシップと無意味な拡散はもうやめて。マスコミになんて嗅ぎつかれた日には、腹いせに死んでやる。」



「うう…っ。か、過度なスキンシップとは、具体的にどこからだ…?」



「そうだなぁ……ハグくらいまでなら、許してあげるよ。」



「そ、そうか……」



「その代わり、僕からも一つ譲歩だ。」



「譲歩?」



 一度しゅんと肩を落としたノアが、不思議そうな表情でジョーを見つめる。





「―――名前。」





 端的に譲歩案を述べたジョーは、微かに口の端を吊り上げた。



「ルルア限定でだけど……呼びたいなら、外でも〝アル〟って呼んでいいよ。」

「………っ!!」



 それを聞いたノアの表情が、瞬く間に輝いた。



「それは―――」

「言っとくけど、名前を戻すって意味じゃないから。」



 始めにそう断っておき、ジョーはノアから目を逸らす。



「僕に、常にアルシードを思い出させる役目……それは、あんたにあげてもいいってだけだ。アルシードとしての僕をもっと見たいんでしょ? あんたがそう呼ぶ時は……外でも、アルシードとして応えてあげるよ。」



 というか、自然とそうなっているし。

 素直に認めてやるのは悔しいので、それだけは言葉に出さないでおく。



 全面に不本意そうな雰囲気をたたえた、ちょっぴりと赤らんだ顔。

 鉄壁の笑顔が崩れ去ったその姿は、間違いなくアルシードとしての彼で……



「分かった! 今はそれで十分だ!!」



 本当に。

 本当に嬉しそうに、ノアが満面の笑みで頷いた。



(とんでもない物好きがいたもんだよ……)



 心の中だけで呟く。



 先ほどまでのやり取りで、何度〝お前に惚れている〟と聞いただろう。

 もはや再確認するまでもなく、彼女が自分を好きだということは確定している。



 自分を裏切った兄を蹴落とすために生きてきた半生。

 敵を量産することはしても、味方を作ろうと思ったことなんてない。

 常に隣に寄り添う人など、それこそ論外だった。





 それなのに、こんな自分を好きになる人が―――自分自身ですら忘れようとしたアルシードを求める人が現れるなんて……





(なんか……なんか、ほだされてる気がして(しゃく)だな。)



 途端にせり上がってくる不快感。

 それが悪戯(いたずら)心を呼び起こしてきて、ジョーはにやりと笑った。



「だけどさぁ……どういう建前で、僕をアルって呼ぶつもり? 名前を戻すわけじゃないって言ったとおり、僕の本当の名前がアルシードだからって理由はなしだよ?」



「そ、そうだな……ううむ……」



「頑張って(ひね)り出してね? 納得できなきゃその場で即否定の、一発勝負だから。」



「一発勝負!?」



「当たり前でしょ。どうにかしてアル呼びをこじつけようとしてるのを何度も見られたら、周りが変に思うでしょうが。」



「アルシード! それのどこが譲歩なんだ!?」



「チャンスをあげてるだけ、十分に甘い対応だと思ってほしいね。別にこんな譲歩、しなくてもよかったんだよ?」



「くうぅーっ。なんかそのセリフ、前にも聞いたことがあるぞ!?」



「そうだったっけなぁ? いちいち覚えてない。」



「この…っ。私が今、どんなに複雑な心境か分かるか!? 可愛いが憎たらしい……だがやっぱり可愛いの繰り返しだ!!」



「ああもう、またクッションで殴らないで…っ。ってか、まだ動けるわけ?」



「ふふふ…っ」



「はは…っ」



 おふざけのようにじゃれ合いながら、二人で笑う。

 喧嘩の後は、なんとも穏やかな時間が流れていった。



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