9 梅雨季限定黒い森ケーキ愛好家の葛藤(フォレノワール)
歩道を歩く肌に紫外線が突き刺さる。
昼前だっつーのに、こりゃ、焼けるな。
お肌の曲がり角はとうに過ぎている。対してお手入れもしていないのに、日焼けが気になる。
日差しが強いのに、風が冷たい、そんな五月の最終週。週末となればスーパーに行くのが楽しみだ。
あるかな?
去年は、一度しか見なかった。
今年はどうだろうか。
日常的に通っているミニスーパーは、夜遅くまで開いていてくれるのだが、品ぞろえがイマイチ。だから、休みの日に行く大型スーパーは俺にとっては特別感がある。
一人で食べるには多い。それにカロリーが気になる。
運動といえば、スーパーへの往復くらいだ。
やめとくか?
去年も悩んだ。それで買わなかった。
やっぱり食べたい!
たった一週間の内に欲望に負けて、次の週末の買い出しを楽しみにしていたのだ。
なのに、なかった。
売り切れかと思ったが、翌々週もなかった。
今年は、同じ轍は踏むまい。
カートを取って、さっそく探し始める。
あった!
足を速めて手に取ったのは、アメリカンチェリー。真っ赤を通り越してやや黒みがかった西洋のさくらんぼだ。酸味も甘味もはっきりと強い。
よし! フォレノワール焼くぞ!
ドイツの黒い森ケーキにちなんだケーキ。それもホールケーキを焼くには、それなりに決断力がいる。
カートに普段の買い物の他、生クリームと、ダークチェリーの缶詰を追加する。
結果、帰りの荷物が重いが、男子たるものスーパー帰りにエコバッグで指がうっ血しようとも、つらさを顔に出さぬものだ。ましてや、今からケーキを作るとなればなおさら。
メロンパンやらケーキやらを日常的に作って食べているくせに、会社では、辛党で通っている。週末に食いたいもんを食うために、月~金曜は、甘い物を取らないようにしている。
武士は食わねど高楊枝。男子たるもの瘦せ我慢するものである。
週末くらい、好きなもんを食わせろい!
帰宅したら、飯より先にココアスポンジを焼きにかかる。
15cmのケーキ型を用意して、ココアスポンジの準備をする。
卵白と卵黄を分けて、ミキサーで泡立てる。
俺はもっぱら別立てだ。
卵白と卵黄を一緒に泡立てるのを共立てというが、俺にとっては難しい。別に泡立てた方が、狙った通りのメレンゲの固さに仕上がる気がする。その分、ボウルが二ついるから面倒だが、貴重な食材、限られたカロリーでうまいもんを食うには仕方ない。
小麦粉を混ぜた生地に、バターで溶いたココアを混ぜていく。一度犠牲生地を入れたココアは、バニラ色の生地に混ざりよい。
いいぞいいぞ。もっと混ざれ。
二色の境目があいまいになっていく。
もっと混ぜる。
どんどん細かいマーブル模様になっていく。
「ふふ~ん♪」
鼻歌が出るのもつかの間。あっという間に混ぜ終わってしまう。
いくばくかの物足りなさがあるが、すぐに型に注がねば、せっかくのメレンゲが台無しだ。
トロトロ、たらん。
重力に任せてボウルからケーキ型に生地を垂らす。
最後にへらで集めるのだが、これは楽しくない。なんだか生地が粘っこくなる気がする。
空気を抜けば、あとは優秀なオーブンレンジが仕上げてくれる。
その間に、ゆっくり洗い物をして、ようやく飯の仕度だ。
スポンジが焼けたら、冷やしてからクリームを塗る。たぶんこれは夕方になるだろう。
食べるのは明日。
時間がかかる。正直待てない。
買った方が早いし、確実にうまい。
何なら、店のフォレノワールは、芸術的な美しさまでそなわっている。
だけど、お店にはないもんがあるのよ。
俺は毎年、六月が近づいてきたら、スーパーにアメリカンチェリーが並ぶのが楽しみだ。
見つけたら、毎年のように悩む。
作るか、作らないか。
スーパーの中をうろつく間も、何なら帰り道も、通勤電車の中でも悩む。
そんで、やっぱ作ろうってなった時には、もう週末が楽しみでたまらんくなる。
バスが目の前で行ってしまっても、取引先が理不尽でも「家に帰ったらフォレノワールがある」と思えば、些細なことである。
こればかりは譲れない楽しみだ。
だもんで、決して完成を急いてはいけない。
では、また明日。ごきげんよう。
コーヒーを淹れ、眼鏡が曇る。
いかんいかん。
拭いたばかりの眼鏡ごしに、できあがったフォレノワールを見る。
白い生クリームにチョコ色のスポンジにダークチェリーが映える。
このコントラストが好きだ。
パシャリと写真を撮ってSNSに投稿、する前に、写真にでさえ惚れ惚れする。
「やっぱいいよな」
フォレノワールはかっこいい。
フォークで突き刺した弾力、ほろ苦いスポンジを包むクリーム。生のアメリカンチェリーの酸味がチョコに負けていない。
このバランスが好きで、毎年悩むのだ。
一息ついて、SNSでフォレノワールと検索してみる。
「いいねいいね」
お店のも、自家製のも、出てくる出てくる。仲間たち。
梅雨季限定黒い森ケーキ愛好家たち。皆、同じように葛藤したのだろうか。
限定とつけば、なおさら楽し。