4 屍を超えていけ(ハチャプリ)
「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」
いらだった駅員さんの声は、何度目かだ。
ピンコーンピンコン鳴りながら電車のドアが、ようやく閉まった。
シートに座ってそれらを聞き、虚無感の中で、駆け込んだ奴に感心した。
元気やのぉ。
残業の後に、駆け込む元気が俺にはないわ。
一歩踏み出すのも億劫な疲れを引きずり、空腹を抱えているのに、我が家はまだ遠い。せめて座れているのが救いだ。
走り出した電車の中、さっきまで眺めていたSNSへ目を戻す。スイスイ動かす指を止めた。その先には――。
舟形のパンの中に、こんがりチーズ、半熟たまごの写真。
うまそう。
ジョージアのパン、ハチャプリを食べたよ。
初めて聞く名前だ。
勿論ググる。
ヨーグルトで練ったチーズ入りパン。地方によってさまざまな名前で呼ばれている。
へぇ、ヨーグルト。さすがジョージア料理。
一緒に出てきたハチャプリの写真は、まるでチーズナン。具がこぼれないように盛り上がった淵の断面にまでチーズが入っている。どこを食べてもチーズ! こんな夢みたいなパンあるだろうか?
いつぞや大手ピザ会社が出してくれた耳までチーズを思い出した。
食べたい……。
スマホの端にある時計を見る。
七時、パン生地を作ったら九時。そこから――、食べるのは十一時だ。
普段なら諦めるところだ。
だが! だがしかし! 今日は金曜だ。
金曜の夜なら、遅くまで起きていてもいいじゃな~い。
ゴールデンウイーク前夜なら、ありじゃな~い。
中三日、出勤ならカロリーだって問題な~し。
仕事の付き合いを断るときは、しどろもどろ。さくっと断ればいいものを、余計な気を回していらないことまで喋ってしまい、結局相手に「いやだったのだな」と悪印象を与えてしまう。
そんな俺だが、食べたいものへの言い訳ならツルッツル出てくる。
さっそく、材料とレシピの検討に入った。
帰りのスーパーで買う作り方になるから、本格的なハチャプリとは違うかもしれない。そこのところは許して欲しい。
水分はプレーンヨーグルトのみという大胆なパン生地を、パンこね機にこねてもらっている間に、風呂に入る。
我が家にはパン焼き機がある。
えぇ、男の一人暮らしです。
パン焼き機を、パンこね機と呼ぶには理由がある。好きにパンを焼きたいから、こねることはあっても焼くことはない。よって、こいつはパンこね機なのである。(ご清聴ありがとうございました。でも、もうちょっと読んで)
風呂から出たら、飢えた胃をなだめながら具を作る。
いたって簡単、カッテージチーズとミックスチーズを細かく切って、卵の白身とあえるだけ。
しかしながら、カッテージチーズがスーパーになかった。
カッテージチーズがなければ、作ればいいじゃない。
今宵の俺は作るに全フリである。
繰り返される駆け込み乗車に何も感じないほど、虚無っている。
こんなときは、ストレス解消に限る。
牛乳を沸騰直前まであたためて、レモンを入れてかき混ぜる。すると、すぐにモロモロとチーズっぽいのが集まる。それをザルで濾して、水分を絞ればできあがり。
大量のカッテージチーズは消費できなくとも、必要な分だけ作れば楽。
鼻歌を歌いながら、パン生地に具をのせて、のせて……。うん?
これ、二次発酵させると具が溢れないか?
実はレシピを検討してるとき、二次発酵のあるものとないものがあった。
必要か否か?
愛用しているチーズナンは、二次発酵がない。
どうするべきか悩んで、短めの二次発酵をすることにした。
なぜならば、参考にしているレシピの内、二次発酵なしの方はレシピ主が「なんちゃって」と書いてあったし、ネギを彩りに添えてあったからだ。
ハチャプリを食べたことはないが、ないからこそ、本格的に近づけたい。
でなければ、誰がカッテージチーズを作るだろうか。
二次発酵をしてから焼いた。
オーブンを開ける。
眼鏡が曇る
むぅ。
焼きあがったのは、やや盛り上がった、ややドーム状のパン。
中に納まっているべき白身が外にあふれている。
ノーン!
身体に鞭打って作ったというのに、このざまよ。
眼鏡を曇らせたまま、写真を撮った。
成功ばかりが飯ではない。
頬張ってみれば、俺好みのふわふわパン。オンチーズ。
インチーズにしかたったのに、オン。
腑に落ちないまま、SNSを起動した。
もう一度ハチャプリと検索すれば、何と駐日ジョージア大使が本格的なハチャプリレシピを公開していた。
本格的なジョージア料理を作って食べたかった。
その思いが、あるがゆえに、落ち込む。
あぁ~。どうして俺は、ググってしまったのだろう。
SNSにこんな有用な情報があったじゃないか。
絶対、ゴールデンウイーク中にリベンジする。
とろっとろのチーズ、糸をひかせてみょ~んてしながら食べよう。
そんときは、ジョージア産のワインも飲もう。
ジョージアに敬意と愛を送ります。
みなさんよいゴールデンウイークを。




