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35 腹が減っては戦はできぬ(かつ丼)

 残業……。


 クリスマスイブに残業とはこれいかに?

 確かにイブに予定はないと俺が言った。だが、終電に間に合うかどうかって時間まで残業しなくてもいいはずだ。インフルエンザが流行る冬はこれだから嫌なのよ!


 この世の無情を感じながら、最寄り駅からヨロヨロと這い出る。

 寒風吹きすさぶ中、腹は減り、町の灯りは消えつつある。


 唯一この時間まで空いているスーパーに入った。惣菜コーナーには、見切り品が並んでいる。

 フライドチキン、寿司、オードブルセット……。

 くそっ! 今日はイブだったか!

 

 ふと、とんかつが目に入った。


 丼! カツどーん!


 脳内で、米な曲が再生される。

 天啓が下ったかのごとく。


 俺を救うのは、もうカツ丼しかない。


 半額に値引きされたトンカツに、お湯を入れるだけの味噌汁、ビールを買って帰途へついた。

 決してシャンパンのようなイブっぽい物は買うまい!



 真っ暗で寒々しい部屋に灯る薄緑色の小さな電気。これは炊飯器が出かけに課されたミッションを完遂したことを示している。

 グッジョブ炊飯器!

 俺を癒してくれる家電は君だ!



 マフラーをといて、MA-1ジャケットをその辺に脱ぎ捨て、マスクを外し、手洗いうがい。

 黒いあたたかハイネックのままで、玉ねぎを四分の一薄くスライスして、雪平鍋へ入れる。

 めんつゆと水を目分量で入れて中火にかける。このままでもいいが、俺はここに一つまみ砂糖を入れるのが好きだ。コクが深くなる。

 買ってきたトンカツさんを一口サイズに切り、トースターの中へ。

 こんな手間をかけなくても、いいのだが、一度かりっと温めるだけでずいぶん食感も味わいも違うのだから、仕方がない。気が付いてしまったのだ。料理とはひと手間を惜しむべからず。



 ようやく手がすいて、部屋着という名のパジャマに着替えれば、人間に戻る。腹がさらに減った。

 エアコンからはようやく温かい空気が出てくる。


 チーン!


 とんかつを温めていたトースターの音で、はっと我に返った。


 今、ちょっと寝てたな……。


 電気ケトルでお湯を沸かし、カリッと温まったとんかつをぐつぐつ煮たつ雪平鍋へ投入。

 出汁にふわっと油が浮かぶ。ヨダレが口にたまる。



 冷蔵庫から卵を二個出す。

 片手で菜箸を探しながら、もう片手で卵を割る。

 はやる気持ちが抑えられない。


 卵をほぐす音が好きだ。

 ほぐしすぎないで白身と黄身が混ざりきらないのが好み。

 全体的にかかるように入れる。

 二度に分けて卵を入れるとトロトロと固いのを両方味わえるが、そんな余裕はない。

 卵液が、ふつふつ言い始めたら弱火にして蓋をする。


 どんぶりへ飯をつぎ、ビールを一口飲んだ。


 空きっ腹に冷たいビールがよくしみる。


 七味もスタンバイ。


 用意を全てし終えると、まだ早いけれど、火を止めて蓋を開けた。

 透明になった玉ねぎの甘い香り、つゆを吸ったとんかつがふっくらとしていて、卵は火が通る寸前。


 勢いよく丼ぶりのご飯の上へ流しかけ、雪平はそのままにしてモニターの前へ。


 七味をかければ、白身とオレンジ色の黄身、赤い唐辛子に黒いゴマが冴える。

 鼻腔をかすめる甘めの濃い出汁の香り。


 木のスプーンでかきこむ。

 眼鏡が曇る。


 あぁ……卵がうめぇ……。

 体に沁み込む(めし)


 掘り起こせば、カツに行きつく。

 まずは衣だけ……

 うまぁ うまぁぁい!

 じゅわぁぁと広がる肉と油のうまみ

 衣だけで、米粒が食える。


 次は肉!

 いざ! いざっ! いざぁぁぁっ!!


 興奮ぎみに肉を頬張る。

 あったけぇぇ……。

 モギュモギュっと噛めば、染み出す肉汁と出汁。


 たまんねぇ!


 今度はたまごとお肉、次は玉ねぎとお肉、と味わえば、すぐに完食してしまう。

 物足りない気がして、味噌汁のことを思い出す。

 電気ケトルからお湯を注ぎ、即席味噌汁をすする。


 味噌汁が食道を通り、胃の形がわかる。

 飲み干して、ようやく人心地ついた。


 今度こそ空になったどんぶり鉢を脇に避けて、ゲーム機を起動する。


 さぁて、戦と参ろうぞ!

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