【コミカライズ】「お前を愛することはない」と言われても私はちっとも構わなかった。だって欲しかったのは、優しい夫ではなく綺麗なお家だったから。
お家が欲しかった。
物語のように綺麗なお家。
呑んだくれの暴力を振るう父親なんていない清潔なお家。
意地悪で不機嫌な継母なんていない明るさに満ちたお家。
ひとのものを盗んでばかりの異母妹がいない安らぐお家。
古くて汚い今にも崩れ落ちそうなあばら家ではないお家。
白い壁、ぴかぴかの床、大きな出窓に、星空の見える屋根裏部屋。広いお庭に咲くかぐわしい花々。木登りができる立派な大木に、楽しそうな子どもの笑い声と庭を駆け回る大きなもこもこの犬。ゆり椅子でくつろぐ好々爺。
居場所のない毎日の中で、唯一の楽しみは空想の中で理想のお家を作り上げることだった。どんなに空腹でもどんなに寒くても、理想のお家と素敵な家族のことを考えていれば、現実の苦しさなんて全部忘れられた。そんな生活に終止符が打たれたのは、16歳の誕生日を迎えた日のこと。
「喜べ。出来損ないのお前を嫁に欲しいと言う奇特な申し出があったぞ。高位貴族の考えることはわからんな」
「……承知しました」
「こんな陰気な女が金になるのだから、養ってやった甲斐があるというものだ。借金が帳消しになれば、本当の家族だけで楽しく暮らせるぞ」
父親と継母と異母妹が耳障りな声で騒いでいる。妹と言うが、ほとんど年齢は変わらない。父は結婚当初から母を裏切っていた。
どうやら私は、実家の借金を返済してもらう代わりに訳あり男の妻になるらしい。この国の成人は18歳だが、それまでは婚約者として同居し、高位貴族の妻としてふさわしい礼儀作法を学ぶことになるそうだ。
婚約者から正式な妻になるまでの二年間、ちゃんと生きていられるのかしら。失礼ながら密かに首を傾げた。持参金を求めるどころか、実家の借金を肩代わりしてまで嫁を欲しがる高位貴族なんて怪しすぎる。青髭のようなことになるのではないだろうか。
そんなことを考えていたが、婚約者となる男の家を見た瞬間、この婚約を心から喜んだ。なぜなら婚約者の住む屋敷は、昔から思い描いていた綺麗なお家そのものの姿をしていたからだ。ここに住めるなら、多少の不幸せくらい我慢できる。たとえそのうち死ぬことになったとしても。
「金で買われて嫁ぐなんてかわいそうね! 奴隷と一緒じゃない!」
けらけらと手を叩いて笑い転げる異母妹。奴隷扱いなら、今だってさほど違いはない。少なくとも見た目だけなら、完璧に理想の家に引っ越せるのだ。それだけで私には十分だった。
***
「お前を愛することはない」
そう言い捨ててきたのは、この家の嫡男だ。今になって思えば本当に彼がそう言ったのかもわからない。ただ、部屋に入った瞬間そう言われたような気がしたので、自分の耳を信じることにした。もちろん、発言の意図を確かめることはしない。
なぜなら彼は真っ暗な部屋の寝台の下に潜り込み、人間に怯える野良犬のようにうなり続けていたからだ。自分の家にやってきた婚約者に向かって敵意と共に叫ぶ言葉なんて、それくらいだろうと判断させてもらった。
いきなりの言葉に面食らったが、何より驚いたのは男の姿だった。彼は、全身もじゃもじゃの黒い毛玉姿をしていたのだ。この巨大な黒い毛玉が、本当に人間なのかも判断はつかない。それに比べれば、「愛することはない」などと言われた事実は別に気にもならなかった。
それに私が欲しかったのは、優しい婚約者ではなく綺麗なお家である。金を払ってでもお飾りの妻が欲しい婚約者と、婚約者の素敵なお家に住みたい私。どちらもお互いを見ていないのだから、気にする必要はない。それから私は、この理想のお家で素敵な家族として暮らすべく頑張ることにした。
婚約者となった毛玉もとい嫡男は、極端な人間嫌いらしい。私が近づくと毎回うなり声をあげてくる。なるほど、野犬のようなありさまでは繊細な高位貴族の子女たちには手に負えなかったに違いない。
とりあえず私はこの毛玉を、素敵なお家にふさわしい大きな犬として扱うことにした。ひとに慣れていない野良犬ならば、人間相手に威嚇するのは普通のこと。素敵なお家の理想の女主人は、そんな毛玉にも根気強く向かい合うものだ。無視するでもなく、さりとて急激に距離を詰めるわけでもなく、どんなに威嚇されてもにこにこと彼に接する私を見て、義両親はぽろぽろと涙をこぼしていた。
「こんな酷い結婚をさせたというのに、あなたはわたくしたちを許してくれるの?」
「だって、彼は大切な家族ですもの。嫌いになんかなりません」
「本当にすまない。儂たちは、君にどうすれば報いることができるのか」
「私はこの素敵なお家に迎え入れていただけただけで既に十分なのです」
本当に私は幸せなのだ。絵本に出てくるような綺麗なお家に、陽だまりのように優しいお義母さま。大きな古い大木のように安心感のあるお義父さま。ふたりは理想のお家にぴったりの義両親だ。
婚約者は婚約者となる相手として考えれば微妙だけれど、手のかかる大型犬だと思えばこんなものだろう。それに少しずつ私の存在に慣れてきたのか、声をかければ自分からお風呂に入れるようになった。あまりの臭いに耐えかねて、お風呂で洗ってあげたのがそんなに嫌だったのか。だが婚約者だろうが、愛犬だろうが、不潔は万病の元。健康管理も私の務めである。気にせずせっせと世話を焼くことにした。
***
一緒に住み始めてからしばらくたったある日、婚約者は黒い毛玉ではなく、黒い毛皮を被った人間になっていた。もしかしたら毎日風呂に入るように徹底させたおかげで、癒着していた毛皮が皮膚からゆっくりとはがれてきたのかもしれない。
「まあ、犬の毛皮を被っていらっしゃったの」
感心したように呟けば、聞き覚えのない声で返事があった。
『誰が犬か。我は、誇り高き黒狼であるぞ!』
「わたしは、犬の毛皮を被る趣味はないぞ!」
……うん? 今、返事が二種類なかっただろうか。首を傾げながら尋ねてみる。
「今夜の夕食はビーフシチューですが大丈夫ですか?」
『我は肉が喰いたいのだ! 血の滴る生肉を寄こせ!』
「わたしは人参など苦手なのだ。皿から抜いてくれ!」
やはり今回も返事は二種類。同時に返答してくるものだから、聞き分けるのが面倒くさい。どうせなら別々に話してほしいものだが、婚約者が毛皮を被っている弊害なのだろうか。それにしても、さすがは高位貴族のお家だ。しゃべる毛皮があるとは。言葉を話す他にも特殊な性質を持っているのかもしれない。
「火鼠の皮衣のように、火にくべても燃えないのかも」
『貴様、誇り高き黒狼を火鼠などと一緒にするとは!』
「燃えないけれど、好きで被っているわけじゃない!」
婚約者と毛皮もとい黒狼の関係は複雑らしい。それはさておきやっぱりまだなんともいえない匂いがするので、今夜も容赦なくお風呂に連れて行く。
「とりあえずお風呂へ行きましょうか」
『やめろ、我は風呂が大嫌いなのだ!』
「淑女としての慎みはどこへ行った!」
黒い毛玉は一緒にお風呂に入るうちに、毛皮と人間になったのだ。さらに湯あみを続けたら、一体何になるのだろう? 一応言っておくが、普通の猫や犬の場合、洗い過ぎは身体に良くない。念のため。
***
あれからしばらくして毛皮を被った人間は、四つ足の大きな黒い狼を背負った人間になった。やはり毎日風呂に入ったのが効いたのかもしれない。ドライフルーツに水分を与えると元の姿を取り戻すようなものだろうか。なるほど、お貴族さまのお家には、不思議がいっぱいだ。
毛皮の下の婚約者は、病人のように青い顔をしていた。毛皮もとい黒狼は、すっかり毛艶の良い立派なもふもふになっていたが。
綺麗なお家に住む理想の家族は、病人を日当たりの悪い部屋に押し込んだりはしないのだ。具合が悪い人間こそ献身的に看病をする。それが、綺麗なお家に住む女主人の正しい振る舞いである。
そして、もふもふには広いお庭が良く似合う。私は婚約者のために車椅子を用意してもらい、天気の良い日はできるだけ庭に出るようにした。
椅子に座るともふもふは、背中と背もたれの間で潰れかけてしまうらしい。頭の上に移動してくるので、婚約者は肩こりが酷いようだ。そんなに重いなら、下ろせばいいのに。
婚約者の頭の上から見つめてくる黒狼は、はっはっはっはっと息をしながらテーブルの上の焼き菓子を前によだれを垂らす。服がびしょびしょになった婚約者が、なんとも言えない渋い顔で顔やら身体やらをぬぐっていた。
「犬に食べさせてはいけないものは多いのですが」
『我は誇り高き黒狼、何でも持ってくるがいい!』
「こんな馬鹿犬に人間用のものは上等すぎるぞ!」
やっぱり返事は同時のままらしい。婚約者は黒狼におやつをわけるつもりはないようなので、手ずから黒狼にお菓子を食べさせてやった。ちなみに以前、犬用の健康的なお菓子をあげたところ、大層しょんぼりされてしまったので、健康に問題ないことを確認した上で、私たちと同じものをお裾分けしている。まあ言葉を話せる黒狼なので、一般的な物差しでは測れないのだが。
「やっぱり、この家にあなた方は良く似合いますね」
『我は黒狼だぞ。貴様は我が恐ろしくはないのか?』
「わたしは狼憑きだ。疎まれこそすれ愛されるなど」
私のうっとりとした眼差しを受けて、ひとりと一匹が何やら難しいことを言っている。何をいろいろと考える必要があるのだろう。
だって、綺麗なお家の素敵なお庭には、もふもふで人懐こい大きな犬がいるべきなのだ。狼と犬の違いはあれど、ふわふわもふもふした生き物という意味では同じだ。そして、物静かなご老人も素敵なお庭にはぴったりだ。いつか車椅子ではなく、揺り椅子に座ってみてもらいたい。
「どうしたんですか、そんなに渋い顔をして」
『本当に貴様は嘘を吐いている臭いがしない』
「まさか、ここまで清廉な人間がいるとはな」
婚約者と黒狼は、たびたび私にはよくわからない話をしている。素敵なお家の綺麗なお庭で、男同士の会話をするひとりと一匹という光景もまた良いものだ。そんな私たちの姿に、義両親はまたもや涙をぼろぼろ流している。
「サロメちゃん、あなたが来てくれて本当によかったわ。わたくしたち、本当に幸せよ」
「サロメさん、君のお陰で息子は救われるかもしれぬ。なんと感謝すればよいものか」
「お義母さま、お義父さま、頭を上げてください。私は何も特別なことなんてしておりません。ただ素敵なこのお家にふさわしい家族でいられるように、少し頑張ってみただけなのです」
綺麗なお家にふさわしい理想の家族になれるように、女主人としての役割を果たしているだけ。ただ、それだけなのだ。
***
実家に残してきた異母妹が突然屋敷を訪ねてきたのは、珍しく婚約者と黒狼が外出しているときだった。なんと異母妹が言うには、私の婚約者の子どもをみごもったというのだ。彼女は幸せそうに微笑みながら、まだ薄い腹に手を当てていた。
「ごめんなさいね。でも、赤ちゃんがいるのだから仕方がないでしょう?」
異母妹は、一体どうやって私の婚約者をその気にさせたというのだろうか。素直に感心してしまった。何せ婚約者は、毛玉を完全に脱却した今でさえ私には指一本触れてこない。だから異母妹が婚約者の誘惑に成功したというのなら、その手管を教えていただきたいのだ。
異母妹と婚約者の間にできた子どもだというのなら、私はもちろん引き取ることに同意しよう。
だって、綺麗なお家に住む素敵な女主人は、婚約者が別の女性と子どもを作ったところでいちいち動じたりはしない。子どもは家の宝。特に上位貴族のように格式高い家門では、後継ぎとなりうる子どもはまったく生まれないよりも、多くいる方がいい。
「そう、それなら子どもはこちらで引き取るわ」
私の提案に、異母妹はけらけらと耳障りな笑い声を上げた。
「あら、どうして子どもを渡さなくてはいけないの? あたしが代わりにお嫁に来てあげる。だから、早く出て行ってくださいな」
私は理想のお家にふさわしい女主人になれるように頑張ってきた。素敵な家族になれるように、正しい振舞いをしてきたつもりだ。けれど、素敵な家族に私は必要なかったのだろうか。理想のお家は、また私をのけ者にして幸せを作っていくのか。
急激に吐き気がこみあげてくる。何を信じていいのかわからなくなって、地べたに座り込んだ。視界がぼやけていく。
「うふふふ、久しぶりに見たわ。その顔が大好きなの」
「……何を言って」
「お姉さまが笑うなんて、許されるわけがないでしょう? お姉さまが不幸になれば、そのぶんあたしは幸せになれるんだから」
その時だった。はっとするほど爽やかな風が吹く。そして勝ち誇った顔でこちらを見下ろしていた異母妹が唐突にすっころんだ。
***
現れたのは、婚約者と黒狼だ。彼らは既におのおのに分離して自由に行動している。毎日お風呂に入り、しっかり日光浴をさせたおかげかもしれない。誇らしげな黒狼の表情から察するに、どうやら異母妹に体当たりをくらわせたようだ。気持ちはありがたいが、妊婦にしていい振舞いではない。だが、そこで婚約者と黒狼が予想外のことを叫び出した。
『なんだこの臭いは。お前の匂いに似ているが』
「わたしがサロメ以外を抱くわけないだろうが」
「ちょっと何よ、この犬は。……誰この美形?」
『我は犬ではない。誇り高き黒狼だ、嘘つきめ』
「わたしの顔を知らないということは、やはり」
異母妹と婚約者が知り合いではない? 一体どういうこと?
出会った頃よりもずっと敵意のある唸り声をあげ、黒狼が異母妹にとびかかろうとしている。傍若無人な彼女もさすがに怖かったのか、悲鳴を上げたあげく失神してしまった。
「待って、その子のお腹には赤ちゃんが」
『この女の腹の中には嘘と欲しかないぞ』
「これは彼女とわたしの従兄弟の狂言さ」
彼らの言葉に思わず、目を瞬かせた。異母妹の嘘がわかっていたからこその、黒狼の体当たりだったらしい。胸の痛みが、婚約者に背中をさすられていくうちに落ち着いていく。
「サロメ、気分は大丈夫かい?」
『大丈夫なわけあるか。馬鹿が』
「安心したら、腰が抜けました」
泣き出したいのか、それとも笑い出したいのかよくわからずに戸惑う私を、婚約者が優しく抱き寄せてきた。香水をつけていないはずなのに、甘く爽やかな匂いに包まれる。
かつて実家では、家族の邪魔にならないように暮らしてきた。泣き声がうるさいと叱られないように、笑い声が不愉快だと責められないように、じっと息をひそめるのが当たり前になっていたのだ。
最初は理想のお家と素敵な家族ごっこをするだけで満足だったはずなのに。いつからだろう、「素敵な女主人」を意識しなくても、自然と身体が動くようになったのは。
婚約者が笑う顔が見たかった。黒狼に喜んでほしくて、ボールを投げるのが上手になった。お義母さまに刺繍を教えてもらえるのが嬉しくて、苦手な刺繍に励んだ。お義父さまの話が面白くて食事の時間が楽しみだった。
理想のお家のために素敵な家族になろうと努力していたはずが、私はいつの間にか彼らが大好きになっていた。愛するひとたちがいるから、お家は素敵になるものなのだ。
「あなた方に出会えて本当に良かった」
『我も好ましく思っておるぞ。撫でろ』
「わたしもサロメを心から愛している」
婚約者に抱きしめられているうちに、なんとなくいい雰囲気になる。けれどすぐに背中から黒狼が飛びついてきて、私はその幸せな重さについ笑い出してしまった。
***
結局、異母妹は婚約者の従兄弟に騙されていたらしい。婚約者の従兄弟が、婚約者の名前を名乗り、異母妹に近づいたのだとか。異母妹は、お金で買われたはずの異母姉が婚約者の家で幸せに暮らしているらしいということを知り、ひどく苛立っていたようだ。
もしも私の婚約者が最初に出会った時のような毛玉の状態だったなら、異母妹の嘘は発覚しなかったかもしれない。婚約者は人間らしさを失っているように見えたし、細かい意思疎通ができない可能性もあった。
そして婚約者と婚約者の従兄弟は血縁だけあって雰囲気が似ているのだ。もちろん婚約者は相当な美男子で、従兄弟はそこそこ整った顔という感じだが。その辺りも、従兄弟がこんな無謀な計画を企んだ背景に含まれていそうな気がする。
「どうして従兄弟さんはあんな真似を。そこまで黒狼の加護に憧れがあったのかしら?」
『黒狼は守り神。無欲の人間にしか懐かない。真に家族を愛する者にしか手を貸さぬ』
「人間の汚さに絶望したが最後、狼憑きとして魂ごと喰われてしまう。もはや呪いだよ」
婚約者として外からやってきた私には知らされていないことだったが、この侯爵家には昔から黒狼が守り神としてついていた。土地を豊かにし、天災から人々を守る。そういう契約を侯爵家の初代と交わしたのだそうだ。その代償は、侯爵家の人間が王族と領民を大切に想うこと。ただそれだけ。
けれどそれがどれだけ大変なことなのか、侯爵家の人々は思い知ることになる。人間は愚かで弱い。本人がどれだけまっすぐでも、周囲の人間が歪んでいればたやすく心を濁らせてしまう。実際に本家の人間が狼憑きと呼ばれる状態になり、廃人と化す事例が相次いだことで、加護の細かい内容は門外不出となった。内情を知っていれば、婚約者の従兄弟も私の異母妹も、侯爵家の乗っ取りなんて手を出さなかっただろうに。
「私の婚約者は、自分自身の欲望に囚われるような方には見えませんが」
『王宮内の政治の裏側に嫌気がさしてしまったのさ。まだまだ青いのだ』
「あんな腹黒狸や二枚舌の狐と化かし合っていたら、誰だって嫌になる」
見返りを求めず、周囲のために働き続けることは難しい。婚約者が毛玉もどきになった理由を知り、私は驚きつつも、不思議な力を持つ高位の存在というのはそういうものかもしれないとどこか納得してしまった。人間とは違う考え方を持っているからこそ、自分たちよりもずっと弱い人間に気が遠くなるほどの長い時間、付き合ってくれるのだろう。
毛玉もどきになってしまった婚約者のため、義両親は藁にもすがる思いで婚約を調えたのだとか。義両親は、「呪いに打ち勝つことができるのは、『真実の愛』だけだ」としみじみ呟いていらっしゃったけれど実際どうだったのやら。
『だが、こやつが生きる気力を取り戻したのもまた事実。撫でろ』
「サロメに出会わなかったならどうなっていたのか考えたくない」
「素敵な婚約者と黒狼が、毛玉にならずに済んでよかったですわ」
私は相槌をうちつつ、ひとりと一匹を心ゆくまで撫でまわしてみた。
***
異母妹や両親たちに自覚はなかったとはいえ、やろうとしていたことは侯爵家の乗っ取りだ。そのままなら、かなり重い罰を受けるはずだった。婚約者の従兄弟のように。
けれど、彼らは打ち首になることも鉱山奴隷や娼館送りにされることもなかった。代わりに屋敷の広い庭には、私の知らない花が増えていた。そういえば黒狼が、せっかくだから異母妹と両親たちをまとめて庭を彩る花に変えてやろうかと言っていたような気がする。
彼らは害悪をまき散らす傍迷惑な人間だった。もしも本当に花に姿を変えたと言うのなら、少なくとも人間だった頃よりも、確実に世のためひとのためになっている。私の理想のお家は、庭も含めて本当に美しい。
さあ、お茶会を始めよう。テーブルの上には、焼きたてのクッキーと濃い目に入れた紅茶。紅茶にはミルクをたっぷりと注ぐ。綺麗なお家には、優しい婚約者と尊敬する義両親、元気な犬……もとい狼。そしていつか、可愛い子どもたちがここに加わってくれたら嬉しい。
理想のお家に相応しい素敵な家族のためではなく、ただ愛するひとの子どもが欲しい。そんな気持ちに戸惑う私に、周囲はそういうものだと笑う。私には馴染めない不思議な感覚だ。けれど、この理想の家で確かに私は幸せに生きている。
お手にとっていただき、ありがとうございます。ブックマークや★、いいね、お気に入り登録など、応援していただけると大変励みになります。