じいちゃんの味噌汁
トンビの声がする。
産まれてから幾度も来たこの場所
毎回、この場所に帰ってくる頃は
手のかじかみが酷くなる季節になっている。
「おう、おかえり。」
いつもと変わらない声、いつもと変わらない空間。玄関の灯油缶の匂い、仏間の匂い
「あぁ、ここはいつ来ても変わらない」
胸の奥にある安堵を噛み締めていた。
「できたぞ、食うか。」
じいちゃんがそう言いながら鍋ごと
持ってきたのは「味噌汁」だ。
ここに帰ってくると毎回作ってくれる
沢山の野菜、ほのかに甘さが香る味。
じいちゃんの「優しい味噌汁」が大好きだ。
この味噌汁もじいちゃんの家も何もかも
知っている「刻」大好きな「刻」から変わらぬまま変わらぬままのこの場所が大好きだ。
この世の中で生きている以上「変わっていく刻」に慣れていかないといけない。
いつの間にかそれが当たり前になっていた。
慣れる事が慣れないといけないに変わっていた。変わらない「刻」変わらない「場所」が消えていく世の中で自分の存在ごと消えてしまいそうになる。
そんな時、じいちゃんの家に戻ってくる。
変わらない「刻」変わらない「空間」
変わらない「味噌汁」変わらない「優しさ」
ここに戻ってくると沢山の「変わらない」がある。消えちゃいそうな自分を戻してくれる。もう少し、この暖かさに浸ろう。
そう思いながら、またじいちゃんの
味噌汁を口にした。
味噌汁を飲み干し、少しの余韻に浸る。
時を刻む音だけが空間を独占していた
感覚の中で15分程度経った頃
じいちゃんに別れたを告げた。
そしてまた
庭のたんぽぽが咲いた
シワ1つもない
スーツを着た仲間が増える
今日から新しい日々が始まる。
忙しくなっていく日々
スタートから走り出す人も居れば
ゴールテープを切る人も居る。
それが世の中だ。
何事においても「スタートとゴール」は
付いてくるものだ。
憂鬱な気持ちを背に玄関をあけた。
スーツを着た自分と満開に咲いた桜が
揺れ動く川の水面に写っている。
落ちていく花弁が次々と川に流れていく
携帯の時刻は8時ちょうど
歩くペースを上げないと
遅刻してしまう。
そんな思考と同時に余計な思考が流れる
「人生」いや、「日常」のように。
幾度、桜の季節を迎えようが
この川の光景を目にする事には
多少の抵抗感が拭えない。
最初から、この光景に抵抗を
おぼえた訳ではない。
この光景を目にするという事は
同時に誰もが納得し
自分を超えすぎない人間を
育てなければいけない
この世の中で、社会で。
自分の居る世の中がその瞬間から
何かあれば、全て自分が
悪いと決められる世の中に変わっていく。
余計な思考をめぐらせてる間に
携帯の時刻は8時15分をさしていた
どう足掻いても、遅刻確定だ。
こんな日々を過ごし、また
幾度も季節を繰り返せば
またこの光景を目にする
抵抗感の現れだ。
そしてまた、今年も1つの季節が
桜のように一瞬として散っていった。
マグロのように止まる事のない毎日
見えのしない深海の底に居る気分だ
蝉の声で起きる。
起きた途端始まる灼熱の1日
友人からのメッセージが届いている
「この間、海に行って来た」
あぁ、みんな楽しい毎日を
過ごしているものだ。
送られてきていた写真の中には
友人ともう1人写っていた。
過去には3人でよく遊んでいた
友人2人だった。
仕事ばかりの自分を気遣ってくれたのか
いや、連絡さえ来なかった。
久々の連絡がこれだ
自分の存在が円の中から消えたのか
そんな、被害妄想しか浮かばない
被害妄想の塊だと自分でも自覚している。
友達からの、いや。
友達だと思ってた奴からの
連絡の返し方に迷っていた
蝉の声と外ではしゃぐ子供の声だけが
耳に届く中で15分程度だろうか
思考を止めて考える、世の中みたいに
矛盾している行動を起こしながら
送った返信は、さぞ
おかしかったと思う。
友達と言う「円」はいつでも簡単に
形を変えてしまうものだ。
「円」から外れてしまえばもう入れない
同じ「円」に居た時間がどんなに長くとも
最初から自分が居ないかのように
「円」から外れてしまう。
学ばないと言われたら
そうなのかもしれない。
ただ、毎回期待をしてしまうのが人間だ
今度は「円」の中に入れるだろうかと。
ただ、その期待がいつの間にか
「期待」から「責務」に変わるのが
人間の厄介な所だ。
入らなければいけない
円から外れてはいけない
そんな「責務」に変わると
人は自分を殺す。
自分を殺した先にあるのは
悲しみや絶望しかないというのに
同じ事をする。
学ばないと言われたらそこまで
なのかもしれない。
海開きと同時にやってきた絶望を
今年もまた、憎んだ。
憎んでいた季節は
木々達の色が変わる知らせと一緒に
幕を閉じた。
服や身の回りの様々なものを
変えなければいけない季節になっていた。
新しい季節の訪れが木々の色を
見ていると脳内の奥まで伝わっていく。
今、自分の頭はゴミを捨てた
ゴミ箱のように何も残ってない。
原因は自分の中ではっきりとしている
昨晩、かかってきた電話だ。
家路に着いたあと、携帯に表示された
「着信」の文字。
その文字を携帯に届けているのは母だ。
めんどくさいと思いながらも
母から届いた着信に答える。
電話に出た途端に母は言った
「元気なの?連絡よこさないで、いい会社にせっかく入ったんだから辞めちゃダメよ?」
少し黙ったあと
「わかってる」と返事をして切った。
母と話せば口から出るのは「結果」の事だ。
途中がどうとか、今がどうでは無い。
結果だ。結果が全てだ
「母」の認めるいい学校に行き
「母」の認めるいい会社に行き
「母」が周りに自慢できるいい子供になる。
全て母のシナリオ通りに動かなければ
いけない人生の中で動いている。
そんな「母」に「家」に「家族」に
疲れた。
15分の思考を巡らせることさえ許されない
子供じみた言い訳と玉砕される。
誰だって、ひとりの人間だ。
ひとりの人間として、扱われる義務がある。
「道具」として扱われていいはずがない
そう思う感情と裏腹に
母のシナリオ通りでしかない
人生しか歩めない
違う道を歩もうと
もがけば、もがくほど
歩めなくなっていく
自分はおかしいのだろうか。
わかっていても、何も変える事の
できない自分はこの世に居ては
いけないのではないのだろうか。
そんな思考ばかりが浮かぶ毎日
外を歩けば、木の色草の色が
凍える準備をしている。
無常にも過ぎていく日々の中
1年は残酷に過ぎてしまう。
自分の意思、思考関係なく
自分はこのままで、いいのだろうか。
1年の中の季節が2つ過ぎていった。
今が終われば、あっという間に
日々は過ぎ、母の元へ
帰らなければいけない季節になる。
新しい年がやってくる。
今のうちに、何とかしなければ
母との事を何とかしなければならない。
友達や仕事の事とは違う。
家族だからこそ
今、何かをしなければいけない
そう思った時には行動に移していた。
紅葉が色づき綺麗な季節になった今
母に着信を届けるのに自分にとって
都合がいい、母は紅葉が好きだからだ。
自分から母に着信の文字を届けるのは
何年ぶりだろうか
自分の心臓の音がよく分かる。
少しの静寂のあと、母の声がした
「珍しいわね、どうしたのいったい」
電話をかけた訳を伝え
自分の思考を伝えた。
母は少し黙った後に
「そう、好きにしなさい」
その言葉を後に電話は切れた。
テストで悪い点を取って帰り
怒られた時のような
失望している時の母の声だった
それなのに、自分の心の中は
「勝った、言えた」そんなような
満足感で満たされていた。
1年を過ごす中で初めて
初めてと言っても過言では無い程に
満足のある瞬間だった。
初めて充実した日を過ごした後
何週間か経って雪が降った。
また1つ季節が終わり
新しい季節がやってきた。
朝起きて、部屋を暖かさで
満たすまで凍える日々に変わった。
朝起きて、窓の外を見てみると
窓の外1面真っ白な雪で
埋め尽くされている。
この時期になると思い出す
あの場所の事を
あぁ、帰りたい
そんな事が思考を満たしていた。
部屋が暖かさを取り戻した頃
少し、荷物が入るくらいの
リュックに荷物を詰め込んで
家を出た。
今までとは違う軽い足取りで
家を出てからあっという間に
駅に着いた、そして切符を買い
電車に乗った
目的地に着くまで時間がある。
今日まで過ごしてきた今年1年を
思い返してみて
ふと考えた。
この長い4つの季節の度
15分程度の思考を巡らせていた
その刻ではたったの15分程度かも
しれないが、この4つの季節に
巡らせていた15分を合わせると
1時間15分だ。
人によっては、大したことの無い
数字かもしれないが
考えてみて欲しい。
約1時間あったら何ができるかを
軽度の仮眠、ゲーム、買い物、食事
様々な事ができる。
それを、解決もしない
思考を巡らせる時間で使っていたと
考えると今まで巡らせてきた想いが
馬鹿みたいに思えてくる。
悩んでいた事が嘘みたいに晴れていく
初めからこの思考になれば良かったのか
人間は簡単なようで難しい
改めて思った。
そう考えながらもまた、15分程度の
思考を巡らせていた。
今は無心であの場所へ、帰ろう
そう考えながら
電車を降りた。
あぁ、やっぱりここは