OSとしての人権
学生の頃、大学ノートによく日記を書いていました。晩御飯がステーキで美味しかった……みたいな日記ではなく、悩んでいることや楽しかったことに対する思いを怒涛のように吐き出していました。その量も一度書き始めると2ページから3ページだったりします。内容は読めたものではありませんが今振り返ると、書き出すことで落ち込みかけた僕の精神をコントロールをしていたように思います。50代になった今も案外と似たようなもので、誰が読むのか分からない面白くもない話を偉そうに書いています。ただ、若い頃と大きく違うのは使っているツールです。学生の頃はノートに書き込んでいましたが、現在はパソコンのキーボードを叩きネット上にアップしています。
パソコンで文章を綴る時、僕はマイクロソフトのWordやOneNoteを使っています。パソコン本体をハードと呼ぶのに対し、それらはソフトウェアと呼ばれています。僕が子供の頃のパソコンは、電源を入れると真っ黒い入力画面が最初に現れました。そこにプログラムを打ち込まないと使えません。つまり、パソコン1台につき、1つのプログラムしか使えないのです。当時はBASICという専門雑誌があり、完成されたプログラムが掲載されていました。そのプログラムを、キーボードを叩き一から入力していくのです。現代のようにクリックしたらダウンロードが始まるのとは訳が違います。そうしたパソコン黎明期に革命を起こしたのがWindowsでした。――厳密にはMS-DOSとか先行OSが存在していましたが、社会現象として革命的でした。
Windowsが画期的だったのは、マウスを使ってウィンドウをクリックするだけで、プログラムが起動したことです。また、複数のプログラムを同時に動かすことも出来ました。このOSの誕生により、パソコンそのものの使い勝手が全く変わります。このWindowsはOSと呼ばれ、ハードとソフトウェアを繋ぐものとして機能しました。
OSの役割は、ソフトウェアがハード上で快適に動くように管理することです。その姿はまるでオーケストラの指揮者のようです。バイオリンやチェロ、フルートにトロンボーン、それに打楽器を演奏する奏者から最高のパフォーマンスを引き出し、全体のバランスを考え、指揮者は注意深く指揮棒を振ります。譜面はプログラムに該当します。指揮者、演奏者、譜面、それぞれが混然一体となることが必要で、どれか一つが欠けても演奏は成立しません。ここで、それらの中から重要なポジションをあげるとしたら指揮者でしょう。高度な論理的計算を元に全体をコントロールしなければならないからです。
人類の歴史を見た時、どの時代にも指揮者に該当するものが存在していました。狩猟採取で生きてきた原始時代は小さなコミュニティーをまとめる村の長が中心者ですし、農耕が発展すると封建社会が形成され王様が誕生しました。現代の日本では、総理大臣が日本の指揮者になると思います。ただ、制度上では主権は私たち国民にあり、選挙によって間接的に総理大臣を選出することになっています。だから、総理大臣だからといって、何でもできるわけではありません。指揮者としての力が無ければ、国民の支持が無くなります。敗戦を経験した日本は、独裁的な政治を否定しました。新しい憲法によって、一部に権力が集中しない仕組みを採用しています。その仕組みは三権分立といい、司法権、立法権、行政権の三つに権力が分けられております。このように、現代の日本では、指揮者がかなり複雑化していることが分かります。
コンピューターと国家の仕組みを単純に比較する試みは、無理があるかもしれません。ただ、組織の構成という意味では似通ったところがあります。このOSについて、もう少し踏み込んで考えてみたいと思います。
コンピューターにおけるOSとソフトウェアは、立場の違いはありますが、どちらもプログラムで構成されております。プログラムはコンピューター言語を使用しており、この言語が共通だからOSはソフトウェアを管理することが出来ます。
例えば、オーケストラであれば、指揮者も奏者も共通の譜面を使用します。その譜面はドレミファソラシドといった体系化された音楽ルールをベースにしており、もしこのルールに相違があれば音楽を奏でることが出来ません。同じように、国家も同じことが言えると思うのです。
現代の日本においてこの共通のルールとは法律になります。この法律は社会的な変化に合わせるように、まるでWindowsのように現在もバージョンアップを繰り返しています。ただ、バージョンアップを繰り返すにしても、そこには一定の規律が存在します。その方向性を定めたものが憲法になります。日本国憲法には、重要な概念として三つの要素があります。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三大原則です。この三つの原則を守りながら法律は作られております。つまり、この三大原則は日本という国の指針であり、且つ日本の精神と考えることが出来ます。
三大原則から、特に重要な人権について考えてみたいと思います。基本的人権には、様々な人権が内包されています。自由権、平等権、生存権、信教の自由等です。現在もその意味合いは拡張されていて、これまで四回に渡って性の歴史を俯瞰してきましたが、現代ではLGBTQに関する人権を認めようという機運が高まってきています。他にも、ハラスメント問題や、環境問題に対処する人権もあります。一口に人権と言っても、社会が複雑化するとともに人権の守備範囲はどんどんと広がっていることがお分かりいただけると思います。
この人権について、歴史を振り返ってみたいと思います。人権という概念は、近代ヨーロッパで起こった啓蒙思想の影響で誕生しました。啓蒙思想とは、人間の理性によってこの世の中の根本原理を見出そうとする考え方です。とても科学的な考え方で、啓蒙という言葉には、無知をひらき正しい知識を与えるという意味があります。
それまでの西欧社会は、一国の王様よりも教会の権威の方が強かった。王権神授といって、王様の地位は神から付与されるものだったからです。人々の幸福についても教会の影響力が強かった。死後に天国に行けるかどうかの差配を教会が握っていたからです。神を否定すると教会から異端者の烙印が押され、火あぶりの刑に処されます。そうした中世ヨーロッパの世界には人権という概念がありません。
そうしたキリスト教世界のアンチテーゼとして、啓蒙思想が興隆していくのです。多くの哲学者を生み出しましたが、それだけではありません。自然科学や政治思想、芸術や文学にも多大な影響を与えていきます。象徴的な出来事としてアメリカの独立戦争やフランス革命があり、歴史的に初めて君主制に依らない人権を標榜した民主国家が誕生しました。
その後、産業革命を迎えたヨーロッパは世界で最も進んだ文明を手に入れます。と同時に、特に力を付けた国家は、辺境諸国への植民地政策を進めていきました。特に世界的規模で覇権を誇ったのが、イギリス、フランス、オーストリア、プロイセン、ロシアの五大列強国です。アフリカやインド、中東や東アジアに勢力範囲を広げていきます。中でもアジアの宗主国である清王朝がアヘン戦争でイギリスに敗れるという出来事は、江戸時代であった日本にも大きな衝撃を与えました。
これは西欧諸国からの侵略行為に等しいものになります。西欧から辺境と言われた国々は強い危機感を抱くことになりました。しかし、植民地政策を進める列強諸国は侵略行為とは考えていません。啓蒙という言葉には光を照らすという意味があります。未開の地に人権意識や科学文明をもたらす行為は蛮族に光を照らす行為だと解釈し、植民地政策を正当化していたのです。そうした啓蒙思想的マウント行為は、人権という概念を世界に広げては行きましたが、同時に国家間で序列を生み出していくことになりました。列強諸国は、植民地になった国々と不平等条約を結びます。列強諸国に有利なこの条約は、相手国から国益を搾取することになり、軋轢が拡大していきました。そうした搾取される人々から、新たな問いが生み出されます。
――国家とは何なのか?
封建的な社会では、国家とは王様の権威が及ぶ範囲です。対して民主国家は、国民一人一人に主権があり、国民の集まりが国家を形成します。啓蒙思想により人権意識が芽生えた人々は、国家のアイデンティティを民族的なルーツに求めるようになりました。植民地になった国々の列強国への反発心は、国家の独立を求めるナショナリズムの思想に転換されていくのです。
1914年6月28日、ユーゴスラビアの独立を叫ぶ民族主義者の青年が、サラエボに視察に訪れていたオーストリア帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナンド大公を暗殺する事件が起きました。これが切っ掛けで、第一次世界大戦がはじまります。
開戦直後、世界の人々はこの戦争が世界を巻き揉む戦争に発展するとは全く想像していませんでした。当時の株価も目立った動きはありません。大戦以前の戦争は、国が傭兵を雇って行われていました。傭兵は職業化されており、戦争は国家事業の一つだったのです。戦争が始まっても最後まで戦うことは稀で、ある程度勝負が決すると講和条約が結ばれます。戦勝国は有利な条件を敗戦国から引き出し、経済的に潤う事が出来ました。今回も、そのようなよくある戦争の一つだと考えられていたのです。
ところが、王権から民主国家に移行していたドイツやフランスは、傭兵ではなく一般市民を徴兵して戦場に送り込む政策を行いました。徴兵の対象にはならない自国の女や子供も、後方支援として工場で働き兵器を作ります。啓蒙思想から始まった国民主権の意識は、国民一人一人に国を守るという誇りを与えました。戦争という行為が、国民の意識をまとめていくのです。その感覚は、現代で言うところの国家がオリンピックに参加する高揚感に似ていると思います。しかし、一般市民は知りませんでした、戦争がどれほど悲惨であるのかを。100年前の当時の映像が今も残されていますが、戦場に向かう若い兵士は誇らしげに笑っています。見送る人々に手を振っていました。
第一次世界大戦には、20の国家が参戦します。戦場に7000万人もの人々が動員され、1600万人の人々が死んでいきました。これは、これまでに世界が経験した事のない大規模な戦争被害です。これほどまでに多くの人々が死んでいった原因は、兵器の威力が格段にパワーアップしたことやスペイン風邪の影響もありますが、特筆すべきは塹壕戦でした。フランス軍とドイツ軍の間に、700kmにもおよぶ塹壕が掘られます。兵士たちは、塹壕に隠れながら機関銃を構えて戦いました。ここから一進一退の戦いがはじまり、戦況が膠着していくのです。戦況のバランスを維持するためだけに司令部は新たな戦力として市民を徴兵し、使い捨ての駒のように塹壕に送り込みました。近代世界は、「人権」という素晴らしい概念が提唱されたのに、皮肉にも「人権」は世界大戦への引き金になってしまったと見ることが出来ます。
人権という概念は世界中の多くの国で共通の認識とされており、国連憲章にも明示されています。少し参照してみます。
国連憲章第1条 人種、性、言語又は宗教による差別なく、すべての者のために人権及び基本的自由を尊重する。
人権は、世界標準の素晴らしい思想です。しかし、絶対に正しいものなのでしょうか。その事をこれから、客観的に疑ってみたいと思います。
国連憲章では、人権の対象を「すべての者に」と規定しています。とても素晴らしいことですが、これって可能ですか。性の歴史の最初に、僕はプランターでバジルを栽培しているエピソードを紹介しました。バジルの種を買ったことがある方は分かると思うのですが、あの小さな小袋には案外沢山の種が入っています。プランターで栽培するには多すぎました。だから、半分だけプランターに撒きます。一週間もすれば小さな双葉が現れたのですが、みるみると大きく育っていきプランターに溢れかえってしまいました。仕方がないので、僕は間引くことにしました。
先進国の出生率はほとんどが2を下回っているため感じにくいのですが、世界的には人口は爆発しています。産業革命が始まった頃の世界人口は10億人ほどでした。それから200年が経過して現在は80億人に達しています。啓蒙思想に触発された人間の可能性って凄いと思います。自由と平等に触発された人々が新しい国家運営を行い、資本主義による大きな経済的発展を遂げ、研究の成果から医療技術が劇的に進歩していき、恐ろしいくらいに科学文明が発達していきました。その結果が80億人です。その増加スピードはまだ衰えを見せておらず、数十年後には世界人口100億人の突破は確定です。地球というプランターの中で、人々が溢れかえっています。しかし、人間を間引くわけにはいきません。どうしたら良いのでしょうか。
現在、この人口の増加は様々な問題を世界に引き起こしています。貧困問題、食糧問題、エネルギー問題、気候問題、紛争問題と列挙しだしたらきりがありません。限られたパイを人々が奪い合っている状態です。ユニセフはこれら問題に対処するための指針を打ち出しました。持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)です。とても素晴らしい試みですが、現状を俯瞰すると、問題を解決するのはかなり難しいのではないでしょうか。このままでは、国連憲章の「すべての者の人権を尊重する」は力のないスローガンに終わってしまいそうです。
人権という思想そのものは、キリスト教のアンチテーゼから誕生した話を前段で紹介しました。人権は、人間が生きる権利と読むことが出来ます。この人権の意味を、素因数分解すると「自由」と「平等」という概念が現れます。この二つの概念は共に、他者と自分を比較することで意味が成立します。自由とは、自分を拘束しようとするものからの自由です。同じように、平等とは、他人と比較した場合の平等です。これらの概念は、そもそも封建的なキリスト教世界を否定して生まれた経緯から、何かを否定する性質を内包していると思うのです。
人権を守る歴史は、戦いの歴史でもありました。多くは体制に対する反抗です。戦争を行わなかったとしても、その根本的な傾向性は変わっていないと考えます。そんな事を考えていると、一つの話を思い出しました。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」です。高邁だった権利の主張が、現在では、我先に権利を貪る餓鬼の振る舞いに見えてならないのです。自由と平等を唱える者が、他者を抑圧する。そんな姿さえ見受けられます。
自由と平等を標榜する人権の考え方は、片手落ちだと考えます。自由と平等は他者と自分を比較する性質から、ベクトルが外に向いています。このベクトルを、外ではなく内に向ける必要があると思うのです。内省の力です。
長くなりました。内省の力については書きません。ただ、人権という意識は、知ってか知らずか僕たち人間に深く関わっています。その関わり方をOSと表現してみました。このOSは、中国では儒教が担っていましたし、日本では仏教が担っていました。そして、今もなお変化を繰り返し、僕たちの行動に影響しています。そんなOSのことを考えることは、とても必要なことだと考えています。何度も繰り返し言ってきていることですが、僕は聖徳太子の物語を描きたいと考えています。当時の新しいOSである仏教のインパクトを表現したい。その様に考えています。