先史時代の性
「性の歴史」も今回で第3回目になりました。今回も、18歳未満の方は読まないようにしてください。
前回、キリスト教世界における中世ヨーロッパの性についてご紹介しました。当時のヨーロッパでは、魔女であることを暴くために多くの拷問具が開発され、信じられないくらい多くの女性が殺されていきます。現代の感覚では考えられない行為ですが、その根底には恐怖がありました。快楽に耽ると悪魔がその身に乗り移ると考えられていた世界では、誰もが悪魔になる可能性があったのです。信仰心を高めないと天国に行けない。そうした思想的な圧力が、人々を残虐な行為に駆り立てていきました。
そもそもイエスは、そんなことは言っていなかったはずです。社会的地位の低い娼婦に対して「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」(マタイ福音書21:31)という言葉を残しています。神による差別のない広い愛を述べていました。しかし、弟子のパウロは「みだらな者は神の国を受け継ぐことができない」と述べ、厳格な姿勢を打ち立てます。その後のキリスト教世界に受け継がれていくのでした。
僕はキリスト教徒ではないので一面的な解釈しか出来ませんが、これらの事実を通して理想と現実の乖離を感じます。いや暴走といっても良いかもしれません。イエスが訴えた思想の本質的な部分が忘れられ、思い込み、先入観、偏見、そういった論理的ではない過去から繰り返されてきた慣習が疑問視されることもなく信じられていくのです。そうした慣習に意見することも許されない社会。そうした思想的抑圧が、人々の正常な思考を奪っていきました。宗教革命によってプロテスタントが誕生しましたが、それでも既成の価値観の枠組みを超えることはありません。魔女狩りの被害は、プロテスタントの方が多かったからです。
とはいっても当時は、科学や医療が発達していませんでした。何が正しくて何が間違っているのか? という科学的な尺度がなかったのです。生殖行為を行うと、子供が出来るということは経験的に理解していましたが、そのメカニズムについては分かっていません。そうした中、17世紀に顕微鏡で精子が発見されます。男の精液の中に、小さなオタマジャクシみたいなものが泳いでいたのです。その精子を、小さな人間だと考えました。ホムンクルスと名付けます。
これは科学的に人間の性が解明される大きな発見でしたが、それまでの思想的な慣習が邪魔をします。女性の卵子も発見されたのですが、それはただの培養地だと考えられました。男の精子は、条件が整えば人間に成長すると当時の科学者は考えたのです。ここに、根源的な女性蔑視の思想が見えます。そもそも、歴史的に女性の立場はどのようなものだったのでしょうか。少し、歴史を俯瞰してみたいと思います。
石器時代、狩猟採取を行っていた頃の人類の生き方は非常にシンプルでした。お腹が減ったら果実を採取する。狩猟を行って肉を食べる。残すと腐ってしまうので、食べれるときに食べてしまう。そうしたスタンスの生活が人類誕生から繰り返されてきました。ところが、農耕という産業革命を手にすると、すっかりと生活スタイルが変わっていきます。それまでになかった概念が、次々と誕生しました。
農耕は、一人では行えません。多くの労働者を必要とします。人を統制する為に、組織が生まれ王様が誕生しました。農耕は、土地が必要です。狩猟採取時代は、小さなコミュニティーが移動しながら生活をしていましたが、一か所に定住するようになります。そこから国境という概念が生まれ、国が誕生しました。農耕は、種まきや刈り取りを決まった時期に行わなければなりません。時間という概念が生まれ、人々は未来を予測して行動するようになりました。農耕によって採れる麦や米は、貯蓄するすることが出来ます。そこから財産を所有するという概念が生まれました。また、そうした財産や土地を奪うという行為が行われ、戦争も誕生します。
そうした先史時代において、女性や子供は主人である財産でした。猿の世界でもハーレムが形成されますが、ボス猿が全ての所有権を握っています。この所有権について、少し説明を加えます。仮に、女性が男に強姦されたとします。メソポタミア文明のような先史時代においても強姦は罪です。しかし、その罪の意味が違いました。強姦された女性の人権を守るために罰せられるのではなく、男の所有物を棄損したという意味で罰せられるのです。また、処女の価値についても同じでした。
先史時代において、近親相姦は案外行われています。そもそも、人口が少ないので出会う機会がありません。古代エジプトにおいては、娘は父親と結婚するのが常識でした。そうした中、近親者であっても性行為を行う為の女性と、交換を対象とした女性という概念が生まれます。妻と娘です。当時は貨幣がありませんので、経済は物々交換によって行われていました。その交換する商品として娘を利用したのです。娘の価値が高ければ、より良い取引が行えます。若さや美しさといった価値と合わせて、処女であることが尊ばれました。男は娘を囲い込み、処女を守ろうとします。このように、娘の嫁ぎ先が政治的な力学によって決められる社会は、世界各国で近年まで行われていました。
女性の人権が認められない先史社会ですが、女性を神聖化する文化もありました。太古の昔、子供が生まれるメカニズムを人類は理解していません。性行為は行われますが、子供が誕生するのは受精してから十ヶ月を要します。その因果関係が分からなかった。ある日ある時、女性のお腹が膨らみ子供が誕生します。その奇跡的な現象を、人々は神聖化したのです。子供が誕生する奇跡は魔法のように捉えられ、女神信仰が誕生します。
そうした女神信仰は、男性の精子が必要なことが経験的に理解されるようになり、男根信仰へと変遷しました。例えば、祖先の「祖」という字は、男根を祀るという象形文字が発展したようです。男根信仰は、世界各地で様々な足跡を残しています。エジプトにおいては、死者を蘇らすためにフェラチオをする物語が残っています。他にも、先祖の男の魂を受け継ぐという意味で、男の長老の男根に幼い男の子がフェラチオをするという風習もあったようです。男根信仰は、男による権威をより強固なものにしていきました。
ところで、売春という行為は世界最古の職業だと言われたりします。その淵源は神聖巫女になります。神殿で働く巫女は、神と婚姻を結んだ女性として神聖視されていました。メソポタミアの文献にも現れますし、インドにも記述があります。僕たちが生活する日本においても、神聖巫女が確認されています。神聖巫女は、芸能に秀でていました。舞を舞い、歌を歌い、神を讃えます。また、五穀豊穣を祈り性交も行います。当時の性交は神聖さを伴なっていて、女性の子供を産むという神秘性がことさら大事にされていたようです。
時代が下ると、神聖であった巫女に変化が現れます。芸能と性交が分化されていきました。日本においては、江戸時代に吉原等が開設され芸能と性交が並立していたこともあります。しかし、そこに神聖さはありませんでした。この分野に関しては、個人的に勉強中です。僕は将来的に、聖徳太子の物語を書きたいと考えています。当時の世界観を理解するうえで、巫女の存在は欠かせません。ただ、文献が少なすぎて困っています。
次回は、性の歴史の最終回です。男の性と女の性から人権というものを考察したいと思います。では。