懺悔室で会いましょう
性の歴史について、第2回目です。今回も18歳未満お断りの内容になっております。そこの所を理解したうえで読み進めてください。
僕という男の視点で話をさせて頂きますが、女性に対して僕は性的に興奮します。10代の頃の僕はとても奥手で、女性に話しかけるという行為そのものが苦手でした。そんな僕が性的に興奮した際にとる行動といえばマスターベーションになります。若い頃からお世話になってきた営みです。このマスターベーションという行為は、人間に特有の行動で、動物では一部を除いてあまりみられません。というか、人間と違って動物には繁殖期があり、この繁殖期以外では性的に興奮しないのです。ですから、マスターベーションをする必要がない。そうした意味では、マスターベーションはとても人間的な行動であります。
――マスターベーションは人類の文化だ!
そんな恥ずかしいことが言いたいわけではないのですが、切っ掛けさえあれば、どんな時でも性的な興奮を発動できる人間だからこそ、動物にはない性的な文化が醸成されていったのは間違いのないことです。今回は、そんなマスターベーションにまつわる話から始めたいと思います。
マスターベーションが、歴史的にクローズアップされたのは中世ヨーロッパです。それ以前からも行われていたのでしょうが、文献に残すほどのことではなかった。なぜ、注目されたのかというと、その行為がキリスト教の教義に反していたからです。
中世においては、マスターベーションはキリスト教会により規制されていました。基本的にマスターベーションは一人でやることなので、言わなければ誰にも知られません。しかし、聖職者はそうしたマスターベーションを暴き出すために少年に語りかけます。
「友よ、自らの物に触ったり擦ったりはしなかったか?」
普通、そんな質問に答えることは出来ません。しかし、当時の価値観では欲望を抱き快楽に耽ることは、悪魔が身に乗り移った所業だと解釈されていました。そのまま放置してしまうと地獄に落ちてしまうのです。神父は、キリスト世界での倫理観を語り、懺悔室にて少年に告解を迫るのです。どのようなマスターベーションであったのかを、事細かに聞き出しました。マスターベーションにも、罪の高低があるのです。手を使うことは勿論いけませんが、道具を使うのはもっての外。動物との性交は異端者の所業とされました。
そもそもキリスト教は、セックスに対して否定的でした。セックスは、欲望に塗れており快楽を伴ないます。その快楽こそが、不浄であり罪とされました。そのままでは天国に行くことが出来ないのです。理想はセックスをしないことが素晴らしく、一生童貞でいる事、処女でいる事を称賛します。教会は、牧師の妻帯を禁止し、女性も修道院に行くことを勧めました。しかし、それでは子供が生まれません。実際に、中世ヨーロッパの人口は、そうしたキリスト教の影響で減少傾向になります。
キリスト教は、性に対して様々な規範を作り監視するようになりました。夫婦間であってもセックスが出来ない日を設けたり、セックスをした後は教会への入室を禁止しました。性交する場合の体位は正常位のみで、騎乗位なんてもってのほか。フェラチオに至っては悪魔の行為とされ、25年間の節食と禁欲が課されたりしました。現代にも通じますが、不倫や強姦それから近親相姦は勿論のこと獣姦も規制されます。獣姦に関しては、規制しなきゃいけないほどにやっていたんだなと驚かされました。先史時代では男色行為は一般的だったのですが、キリスト教においては徹底的に忌避されます。当時、ペストが流行して多くの人々が亡くなりました。このペストの原因が、男色の所為だと教会により決めつけられます。男色行為が発覚すると火あぶりの刑に処されました。
基本的にマスターベーションは一人でやることなので、言わなければ誰にも知られません。聖職者は、そうしたマスターベーションを暴き出すための技術を磨きます。マスターベーションの罪深さも段階があり、道具を使うと罪が重くなりました。
そもそも、なぜキリスト教はそこまで性に対して厳格だったのでしょうか。それは、源流であるユダヤ教に由来します。ユダヤ教は、食事や衣類それに性といった人間生活の営みに対して厳しい規制を設けました。その戒律を守ることは、神との契約であったわけです。イエス・キリストは、そうした厳しい戒律に対して異論を唱える形で誕生しました。イエス自身は神の愛を語りましたが、性的なことに関してはそれほど言及はしてはいなかったようです。ところがイエスの死後、弟子のパウロはユダヤ教由来の厳格な性を復活させました。その性の概念が、近代まで受け継がれるのです。日本においても、明治維新に西欧の性の概念が輸入されました。それまで性に対して比較的奔放だった日本も、世代を繰り返すごとに性に対して厳格になっていきました。
16世紀ヨーロッパにおいて、ルターの贖宥状(免罪符)に対する批判から宗教改革が始まります。贖宥状とは、現世の罪が許され天国行くことが出来るとされたお札です。キリスト教は現世において罪を犯した場合、その罪を償うために三つの段階を必要としていました。まずは、犯した罪を悔いて反省する「痛悔」、次に、司祭に罪を告白してゆるしを得る「告白」、最後に、罪のゆるしに見合った「償い」です。最後の「償い」の裁量は教会が判断するのですが、一般的に重い償いが課せられました。贖宥状は、この償いをお金で解決できるのです。つまり、性的に外れた行為を行ったとしても、お金があれば許されるのです。この贖宥状の存在を、ルターが弾劾したのでした。
この頃、グーテンベルクの活版印刷技術が誕生します。ルターの教会批判の内容が印刷され、多くの人々に喧伝されました。更には、聖書が翻訳され人々が自由に読めるようになります。それまでのキリスト教世界では、聖書は教会の牧師でなければ読めないものでした。ルターは、聖書に書かれていることが神の声だと主張します。ここから、聖書をもとに原始キリスト教に回帰しようとする運動が活発になっていきました。
宗教改革は、ローマ由来のキリスト教を大きく二つに分断します。それまでのローマを中心とするキリスト教をカトリック。改革的なキリスト教をプロテスタントと呼びました。プロテスタントは、様々な分派があり一口でまとめるのは難しいのですが、便宜上プロテスタントとしてまとめます。
プロテスタントは、カトリックの腐敗を糾弾しました。カトリックは、対抗する様により厳格な倫理を説き始めます。プロテスタントとカトリック、どちらがより倫理的であるのかを競い始めました。皮肉なことに、プロテスタントの誕生は、より厳格な性を人々に課すことになったのです。
未婚で妊娠すると、公開で鞭打ちの刑に処されました。不倫が発覚すると町から追放されます。悪魔の行為とみなされていたフェラチオをすると、何と処刑されるのでした。その動きは、大きく発展することになります。人々は、他人のわいせつ罪について簡単に訴えるようになります。告発があると、教会は裁判を始めました。
このような世の中で最も虐げられたのは、未婚で妊娠した女性です。結婚もしていないのに妊娠したということは、快楽に身を任せた悪魔の所業だとみなされたのでした。裁判にかけられると処刑されてしまいます。多くの場合は、男性の身勝手で結婚が出来なかったのに、断罪されるのはいつも女性でした。女性の選択は限られています。ひっそりと子供を中絶するか、町からの逃亡です。このような厳しい倫理観を人々に課す動きは、その後、魔女狩りへと発展していきました。ドイツのある村では、女性が最後の一人になるまで処刑されていったようです。何故、そのような極端な結果になってしまったのでしょうか。
当時、女性は信仰心が弱いと解釈されていました。信仰心が弱い女性は、悪魔とセックスをして直ぐに転んでしまう。その様に考えられていたようです。魔女になった女性には痛覚がない場所があると考えられていました。魔女であるかを審判するために、女性の身体に針を刺します。審判者は、痛くないというまで体中に針を刺し続けました。女性は、痛さから逃れるために「痛くない」と叫びます。すると、魔女だと断定されるのです。拷問する側は、女性に対して他に仲間がいないかを、更に問いただします。当時、異端者はサバトと呼ばれる複数による乱交をしていると考えられていました。女性は拷問の苦しさから思いつくままに名前を挙げていきます。そうして、次なる犠牲者が生まれていくのでした。
ここまで述べてきたことは、諸説があります。反論もあるかと思います。僕自身も、一つの側面からの話ししか出来ていません。しかし、魔女狩りが行われたことは事実です。戦争と同じように、このような非道徳的な行為が行われたことは直視する必要があると思うのです。これは、どこか違う世界の話ではありません。厳然と、僕たち人間が行ってきた歴史です。僕たちの身近でも、大なり小なり似たようなことが起こる可能性がある話だと思います。次回は、売春について、僕なりの考察をまとめてみたいと思います。