スパルタの性事情
今年、大学一回生になる長男が6月に誕生日を迎えました。誕生日プレゼントに何が欲しいのか、嫁さんが長男に問いかけます。長男は、バジルの苗が欲しいと答えました。長男は料理を作るのが大好きで、特にパスタの調理が得意です。そのパスタに、乾燥ではなく生のバジルを振りかけたかったようです。その話を聞いた僕は、バジルの種と土とプランターを用意しました。そのバジルに水をやるのが僕の日課の一つになっています。
芽が出て双葉になり、プランターが緑色に染まり始めました。ただよく見ると、同じように種をまいたのに芽には大きなものや小さなものがあります。小さな芽は全て間引くことにしました。指を伸ばして引き抜きます。根が十分に育っていないので、スッと手ごたえなく引き抜くことが出来ます。満遍なく間引いていくと、僕の掌に野球ボールくらいのバジルの塊が出来ました。その日は嫁さんが晩ご飯の当番だったので、そのバジルを手渡すと、カツオのたたきに振りかけてくれました。とっても美味しかったです。そんな間引く行為を思い出しながら、ギリシャの古代国家ポリスの一つであるスパルタを連想しました。
僕はこれから、人類の性の歴史を紹介していきます。その知識の多くはポッドキャストで配信されている「コテンラジオ」からのものです。ご興味のある方は、是非とも聞いてみてください。ユーチューブでも配信されています。世界の歴史を様々な切り口で紹介されていて、人間の偉大さや愚かさを堪能することが出来ます。
性の歴史を語るうえで注意事項があります。未成年の方は、読まないようにしてください。性的な知識というのは人間の成長過程の人格に強く影響します。ただ、何が良くて何が悪いのかという価値観は時代により変化するものです。そうした客観的な視座を持つことが出来るのなら、知ることで成長の一助にはなると思います。責任は持てませんが……。
これから話す性の歴史は、現代の価値観では享受できない内容ばかりになります。特に、中世ヨーロッパでは女性に対しての人権がありません。不快な思いをさせること間違いなしです。ただ、そうした歴史をなかった事には出来ません。女性の人権に限ったことではありませんが、そうした暗い過去の歴史に蓋をする動きがあります。歴史操作ですね。良くないと思います。人間は、失敗から学びを得て成長する生き物です。その人間が集まった組織なり国もまた同じだと考えます。過去の歴史を見つめなければ、同じ過ちを繰り返すと思うのです。
今回、性の歴史を僕なりに俯瞰することで試みたいことがあります。常識の破壊です。正しいと思っていたことを、立ち止まって考えなおす。そうした切っ掛けを、性の歴史を通して探ってみたい。
――俺は正しい。
この思い込みが、どれだけこの世の中で不幸を生み出してきたかということを感じて欲しいのです。
――男らしいって、なんですか?
――女らしいって、なんですか?
当たり前のように語られる男や女の定義は時代の変遷と共に変わってきました。その時代時代で語られた定義は、それぞれが社会的な正義だったのです。正しいことだと皆が信じ享受していたのです。しかし、その正義の為に多くの方が苦しんだ歴史がありました。死刑なんか当たり前に行われます。そうした不幸の歴史を経て「人権」という概念が18世紀ごろに生まれます。その「人権」の扱いも、現代においてはまだまだ発展途上の段階で、人類は模索しています。その証拠に、最大の人権侵害である戦争はまだ繰り返されています。
最初にご紹介するのは、紀元前にギリシャ半島に存在していた都市国家スパルタです。お隣にはアテネという有名なポリスも存在していました。アテネでは、ソクラテスやプラトン、それからアリストテレスといった賢人を多く輩出しています。両国は、当時にしては珍しく民主国家でした。一人の王様が国の方向性を決めるのではなく、選出された議員たちによって民主政治が行われていたのです。しかし、両国が志向する方向性は全く違いました。
スパルタというポリスは、民主的政治を行う軍事国家でした。国王が二人いて、国王は議員と協議して国の方向性を決めていきます。議員に選出されるのは、戦士としての役目を全うした60歳を超えた者たちです。20歳から60歳までのスパルタの青年や壮年は、戦士として国に忠誠を誓います。兵役は義務であり、戦場で戦いそれこそ勇猛に死ぬことが誉とされました。国の中枢を担うスパルタ人は3万人ほどいて、彼らは農耕や家事を行う奴隷を20万人ほど抱えていたようです。
スパルタの子供たちは生まれた時から、戦士になるべく試練にさらされます。誕生した時に、丈夫な大人として育たないと判断されると洞窟に捨てられます。僕が育てているバジルのように、引き抜かれるのです。運よく捨てられなかったとしても、その段階で戦士として育てられるのか奴隷として育てられるのかの選抜が行われます。
戦士として育てられることになった男の子たちは、7歳になると母親の元から引き離されて何もないバラックに集められます。与えられるのは体を隠せる布一枚。何もない状態で、戦士としての教育を受けることになります。スパルタの教育は、教育なのに育てるといった考えがありません。食べるものは極限まで制限され、身一つで生きる術を叩き込まれます。
スパルタの戦士に求められる価値は、強い戦士になることです。肉体は極限にまで鍛え上げられ、その肉体美の美しさを競います。贅肉は許されません。贅肉があるとそれは怠慢とみなされ、鞭打ちの刑に処されたそうです。そんな男だけの過酷な世界で、一つの性的なことが奨励されました。ホモセクシャルです。
多感な十代という成長期に、スパルタの戦士は男同士で恋愛の花を咲かせます。男と男が交わる場合、一つのルールがあったようです。それは、攻めと受けが明確に決められていました。年長者が、教えを諭すように年少者を責めます。アナルセックスは行われていたと思いますが、奨励されていたのはスマタだそうです。上品とされていました。
なぜ、そうしたホモセクシャルが推奨されていたのでしょうか。それは戦争の為です。軍事国家スパルタは、戦争することで国家を運営していました。強い戦士を育てることと同じくらいに、軍としての団結を大切にします。その精神的な団結に、男と男の愛情が利用されたのでした。
そんなスパルタでの女性は、子供を産む為に存在しています。当時のギリシャにおける女性の地位は低かったとされていますが、スパルタの女性は比較的自由だったようです。それでも、軍事国家スパルタのアイデンティティはしっかりと継承されていました。女性も体を鍛えるのです。何故なら、強い子供を産むためには、母親も強くなければならないと考えられていたからです。
軍事国家スパルタの性は、かなり特異な文化に見えます。しかし、お隣のアテネも負けてはいません。ギリシャ半島の性文化は、基本的にバイセクシャルなのです。そのギリシャの中で中心的な役割を担っていたアテネでは、アリストテレスといった賢人が多く誕生していました。人間とは何か、国家とは何か、アテネでは様々な思想が誕生して、学問として確立していきます。そうした学問と同じ情熱で、性の探求も行われました。美食家が料理の追求をするように、アテネの人々は性を愉しみます。男や女といったこだわりがありません。ギリシャの小国マケドニアを大帝国に導いたアレクサンダー大王も、例に漏れずバイセクシャルでした。
バイセクシャルな性文化が、異質かというとそうではありません。実は動物の世界でも確認されているそうです。オスがオスをマウンティングするとき、ワザと性的な行為を行います。服従させるのです。動物の話が出てきたので少し補足すると、人間が動物と性交する獣姦も普通に行われていました。この話題になると、眉を顰める方がいると思います。しかし、事実です。ギリシャ神話の中にミノタウロスという怪物が登場します。頭が牛で、体が人間、手に斧をもった怪物です。あのようなモンスターが想像された背景には、獣姦という行為がありました。
性文化というのは、時代時代によってその捉え方が違います。普遍的な男らしさや、女らしさは無いということを、歴史を勉強して知りました。ただ、当時の考えを、現代に当てはめるつもりはありません。次回は、中世の性事情を紹介したいと思います。かなり暗い話になります。では。