表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

可惜夜

作者: 今牧 帳

 昔から桜のある月夜は美しいものとされ、そのため桜月夜という言葉が作られたのだろう。それが今日(こんにち)まで伝わってきたということは、今も昔も、日本人の感性は変わっていないのであろう。

 小川の流れるそばに敷物を敷き、数人の友と酒を酌み交わしていた。皆夕餉は各々(おのおの)で食べ、酒と、学生にしては背伸びした少し高価な肴を持ち寄り、名を「桜酒(さくらざけ)の会」と称して小宴会を催した。友らは文学が好きであり、言詞や素行で悪目立ちするような学生ではなかった。しばしば報道で取り上げられる学生のように、日本をより良くするための活動とか、逆に犯罪や生意気な言動もなかった。ああだこうだと騒ぐより、好い本だとか、日常のことを細々語るだとかに大半の時間を割いた。

 夜でも公園は賑やかであった。野放図な学生が半分、四〜六十の扶養者が半分といったところだろう。片方は騒ぎ足りない飛んで火に入る夏の虫、もう一方は子の寝た後の鬱憤晴らし。子という守るべき存在を差し置いて自由になれるのはいつも夜なのだ。二軒三軒連なって口裏を合わせ、子に悟られない嘘を付き、豪華な弁当を家内に頼む。「桜はいいなぁ」「月はいいなぁ」感想を言い合い、次の瞬間には愚痴を言う。奥様方も端で集まりあれこれあることないことを共感し合う。

 そうした対岸の騒ぎを見詰めていると、遊歩道のアスファルトで手持花火をやっているのが見えた。桜酒の会でも一人が手持花火を持ってきているため、いつか誰かの煙草休憩を境に袋を開ける時が来るだろう。

 只今談話は梅と桜と桃の違いについてであった。花弁の形で見分けることが出来るという。一枚ずつハート型になっているものが桜で、梅は丸く、桃はとんがり全体を見ると星の形に似ているらしい。話者曰く、今いる大学敷地内の梅桃桜(うめももさくら)の割合は、いつかの植物学科の学徒により調べられており、全てが桜、それもソメイヨシノであるという。

 話者は一通り話し終え満足したようで、缶ビールを持ちながら一番近くの桜の木をまじまじ見始めた。

 木から花弁が散り、風を受け飛んでゆく。その中の一枚に注目して軌道を追うと、それは小川へ落ち花筏の一部となった。耳にはせせらぎと草花の擦れる音が届いた。月光が(したた)かに水底まで届くから、魚が鱗をちらちら煌めかせているのが見える。銀鮒(ぎんぶな)だろうか。小川はいつも宮沢賢治の『やまなし』を思い出させてくれる。死んだクラムボン、翡翠(かわせみ)に捕食された魚、泡比べした蟹の兄弟。それと山梨。ここに蟹は生息しているのだろうか?

 ほうと息を吐き、目で夜闇を淡く捉えれば、不意に漆黒が濃紺になり、たちまち星が見えるようになった。訝しみ遠くに目を凝らせば、黎明の空が刻々とこちらに侵食してきていた。今夜は可惜夜(あたらよ)。故に迫りくる陽から逃げようと、反対方向に強く走った。心は凪であった。ただそうしなければならないと、誰かに命令されたように義務感を以って走っていた。最初のうち、走りにくさは千鳥足のためと思っていたが、それは靴を脱ぎ捨て裸足で走っているためであった。気づいたのは疲労により立ち止まったからである。

 緩急あれど走り続け三十分がたった頃、苦しく吸う息が甘く感ずられその場に倒れ込んだ。三分程息を整えた後、妙に地が硬いことに気づいた。そこに今まで駆けた芝生はなく、薄茶のフローリングがだだっ広く地平線となっていた。走るうちに服が変わったようで、寝衣の恰好になっていた。コートだけは最初と変わらぬものを羽織っていた。

 黎明は消え失せ、星明かりで歩くことができる程空が近かった。今なら星に触れられるかと手を伸ばしたが、星は手を避けるように動き叶わなかった。手を戻すと何故か濡れていた。

 諦めてあたりを見渡すと、遠くに白い何かが見えた。ゆったりとこの空間について思案しながら歩いていくと、それはベッドだった。ベッドには黒髪の少女が寝ており、彼女の着る白いスカートは大きく、ベッドをはみ出し円形に広がっていた。更に、重力をなくしたようにふわふわ浮き、無風なはずであるのに皺が寄せて返しては様変わりしていた。そのまま近づくと、彼女はこちらに気づき、特に表情を変えずこちらを見詰めた。不思議なことに、長く目を合わせても気まずさはなかった。ついにベッドフレームの(へり)に手が掛けられる位置にまで来たため、何も考えず、ふわふわした気持ちよさで縁に手を掛けた。ツルツルした感触で、冷えている。少女はいつの間にかそっぽを向いており、首の後ろで結ばさった白リボンが見えた。目線を落としスカートを見れば、蛋白石(オパール)のように幾つもの色が混ざり合って調和しているのが分かった。もう少し目を凝らすと、桜咲く昼下がりの麗かな公園が見えた。公園は遥か昔、まだ母に抱かれていた頃を思い出させ、現実への強い帰巣本能を思い出させる。

 園児の声が聞こえる。溶け合ってきた気がした。今いるこの空間と、あの公園が。耐えきれなくなり、ほぼ無意識に手を伸ばした。すると手はスカートの表面を通り抜け、公園の外気に馴染んだ。温かい、優しい、帰りたい、焦がれる。更に手を伸ばし、頭から胴、そして足先まで、するり、陽の光を全身に当てていった。


 私は穏やかに目を開けた。横になっており、どうやら学友の(もも)に頭を預けているらしかった。私は暫く、夢見心地で目を開けたままぼうっとしていた。

「おい、起きたんならどけろ。野郎の膝枕が好きなのか?」

「なわけ無いだろう。変な夢を見て、放心してたんだ」

 彼は少しの沈黙の後、こう言った。

「そういえば、お前はまだ何も話していなかったな。お聞かせ願おうか」

 今夜は可惜夜(あたらよ)。つくづくと。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ