⑧
『模擬戦闘訓練用システム――Real virtualization起動』
機械で合成された無機質な女性の音声が、静謐な空間に響いた。
『個人認証開始……承認……素体を仮想空間にエンコードします』
戸惑いがちな双子を思いやる事も無く、システムは空間を歪ませていく。
クリーム色した無機質なリノリウムの床が、剥き出しのコンクリート壁が、大小様々な長方形の素子となり剥がれ落ちていった。そして辺りの風景は広大な樹海へと変貌を遂げる。
鬱蒼と茂る樹木に絡まる蔦、腐葉土の積もった大地。湿った土特有の香も、熱帯密林独特のむせかえるような草いきれも、全てが忠実に再現されていた。
「わわっ、何これ、どうなってるの?」
ウィンクルムは素っ頓狂な声をあげ、辺りをきょろきょろ見回した。サリューナはいつでも動けるように構えつつ、腰に下げた短剣の柄に触れる。
『あはははは、簡単に言うと“異空間”を形成して、その中で戦うシステムなんだよ。中で怪我しても現実には影響しないの。いきなり戦闘開始じゃないから、そんなに緊張しなくて大丈夫だよ~?』
二対二の方がいいねとオペレーター役を買って出たリーハが、笑いながら説明する。ウィンクルムは笑い転げるリーハに、ありがとうございますと赤い顔で呟いた。
『エンコード完了……素体着床確認……神経デバイスとの連結を開始します』
好奇心、緊張、不安――それらがないまぜになった表情で、双子達は辺りを見回す。
「とりあえず害獣は出ないパターンで、地沃国の樹海を選択しておいたよ。一学期末のオリエンテーションで行くからね」
イェクームの発言に、双子は神妙に頷く。そういえば予定表に樹海探索と書き込まれていた事を、双子は思い出していた。
「確かに慣れておいた方がいいですよね。入寮して知り合えたのが皆さんで、僕達運が良かった」
ウィンクルムの発言に同意して、サリューナも頷く。
「運がいいか、どうかは……。これは訓練用のシステムだから実際には怪我したりしない。気楽に、と言っても痛みは感じるんだけどね。いきなり実戦で行くより、少し慣れておいた方がいいかなと」
シャマイームは苦笑しつつも、双子に優しく語りかけた。
『CAUTION……連結中は目を閉じないで下さい……連結中は目を閉じないで下さい……』
緑色のレーザー光が個々の網膜パターンを読みとるために、四人の瞳を撫でる。普段なら気に留めない微小な埃が舞っているのを、サリューナは眺めていた。
生徒全員の手首にはめられている個体識別用の腕輪と、網膜パターンで、個体の情報を読みとり、異空間へと転送する。
システム内で負った怪我は現実世界にまで影響しない。終了後には、全てが“無かった事”となる。だが負傷における痛み、それに伴う精神的苦痛も、システム内では現実のもの。
Real virtualization――それは、この冒険者養成学校が誇る画期的な戦闘訓練システムである。
肉体には損傷を与えず、現実と同じ戦闘を体験出来る――各国の学生達が共同研究し、科学力と魔法の技術の粋を集め作りあげたものであった。
「旧バージョンは精神だけを飛ばすものだったけど、それじゃ体が鍛えられないって実際に中で戦闘出来るシステムを作りだしたんだよ。ただ、俺達はそっち方面は門外漢なのであまり詳しくないんだ」
シャマイームがそう言って肩をすくめるのを見ながら、彼の専門は何なのだろうとサリューナは考えていた。
『連結完了……五感及び交感神経の正常接続を確認しました。訓練を開始して下さい』
正常にシステム接続終了したのを、相変わらず無機質な女性の音声が告げた。
虚構の樹海の中で、双子とシャマイーム達は十歩程の距離を開け、対峙している。
「ちゃんと二人とも動きやすい靴で来たね~。感心、感心。それじゃ俺とシャマイーム、サリューナ嬢とウィンクルムさんの組み合わせでいいの? 先輩組の意地にかけて、万が一負けたら何でも言う事を聞いてあげよう」
のほほんとした口調でイェクームが双子を眺め、笑う。
「よろしくお願いします!」
体を動かしたくってうずうずしていたサリューナが嬉しそうにはしゃいでいるのを見て「あまり無茶しないでね……サリュ」とウィンクルムは溜息をついた。
「現実には支障が無いけど、かなりリアルに痛みは感じる。無理だと思ったら、その時点ですぐに降参していいからね?」
対するシャマイームは少し心配気に双子を気遣い、念を押す。
「平気です。父との鍛錬で怪我には慣れてますし」
にこにこしながら答えるサリューナに、イェクームは「勇ましいね」と短く口笛を吹いた。
イェクームは腰に長剣を、シャマイームはその背丈の三分の二程の長さもあろうかという刃広の大剣を背負っている。システムが個人情報を照らし合わせて、二人の武器を具現化させたものだ。
「あれ、そういやそっちは武器は? まさか護身用の短剣だけ?」
帯剣を許されている校風なので、一応二人とも護身用の短剣は腰に下げている。
「私にはウィンがいるから」とイェクームの問いに答えながら、サリューナはウィンクルムと掌を合わせた。
その途端、ウィンクルムの輪郭がぼやけ、光の粒子へ変化し霧散していく。蒼銀に光り輝く霧はサリューナの両手に集結し、二振りの刃を形成した。
彼女の腰の高さまである湾曲な刃のタルワール刀、鉈状のククリ刀。微量な木漏れ日の光を増幅したかのように、二振りの刃は淡く蒼い銀光を放つ。
そしてサリューナの周りには、細い蒼銀の鎖が幾重にも取り巻き、蠢いていた。
「長短の二刀流……?」
シャマイームは片眉を上げ、呟く。左右の腕を別々に振るう二刀流は攻守共に優れた戦闘方法だが、その分扱いも難しい。
「自在に扱えるなら厄介か」
「まったく、この剣術馬鹿が。俺はそれより鎖が気になるがな」とイェクームは片方だけ口角を上げる。
『四人とも準備はい~い? 始めるよ~?』
シャマイームとイェクームのしごきと聞いて逃げたリーハが、システム外部から音声だけで干渉する。
「俺は問題無い。それと他人事みたいに言ってるが、お前も後で訓練だからな? リーハ」と冷ややかに応ずるイェクームに、リーハは悲鳴を上げた。
十歩足らずの距離を空け四人は対峙する。
『じゃ、戦闘開始!』
リーハの溌剌とした声を合図に、四人は構える。
最初に動いたのはシャマイームだった。地を蹴り、一気にサリューナに距離を詰めると、左手で大剣を抜く。
ウィンクルムの変化した鎖がシャマイームを止めようと蠢く。だが、すぐに動きを変えた。高い金属音が連続して響き、鎖が何かを床に叩き落とす。
「針!?」
シャマイームが垂直に斬りつける。後方へ跳躍し避けたサリューナの瞳は、床一面に散らばる十数本の黒針を視認していた。視界の端に値踏みするような表情で、右手を構えるイェクームの姿が見えた。
針は大人の指先から手首程の長さで、糸のように細い。鎖の合間を縫って足元を狙っていた針に、あのままでは動きを止められた可能性も高いと思うと、サリューナは背筋が寒くなる気がした。
サリューナに考える時間も与えず、シャマイームの追撃は続く。踏み込み、横薙ぎに大剣を振るわれ、サリューナは辛くも右手のククリ刀で受け流す。斬り結んだ訳でも無いのに、腕が痺れた。
「くっ……」
体制を立て直す事も出来ず、シャマイームの一方的な攻撃を逃れるためにサリューナは低く後方へと飛びずさる。が、その着地点にはシャマイームが追撃をかけていた。サリューナは剣を交差し受けとめるが、勢いを殺す事が出来ず、より後方へ薙ぎ払われる。
ウィンクルムの鎖も何とかしてサリューナを援護しようとするが、イェクームの放つ黒針を防ぐのに精一杯でシャマイームの動きを封じる事が出来ないでいた。
そしてシステムが作りだした樹木の太い幹にサリューナの右足が着くか、着かないかの内に、シャマイームが低身で疾走。そのまま大剣を足元から振り上げる。
シャマイームの頭上を飛び越えるようにして、サリューナは刃を避けた。落下を利用してサリューナは斬りつける。が、即座にシャマイームは剣を捻り、その刃を背面で受け流す。
サリューナは着地しながら身を屈め、シャマイームの足元を薙ぎ払う。しかしシャマイームは右手だけついて後転、その体制から立ち上がりかけたサリューナの顔面に向かって左足を蹴り上げた。軽く後ろに身を引き避けつつ、サリューナはシャマイームの蹴りを追うように左手のタルワール刀で斬りあげる。
サリューナの剣を交わすのに、シャマイームは反動と右腕の力だけで後転し、すぐに構えた。少しシャマイームから距離を置き、サリューナも次の攻撃に備え構える。
そんな彼女を見て「強いね」と、シャマイームは笑った。
「シャマイームさんこそ」
少し息が上がっているのを気づかせないように、サリューナも頬笑みながら呼吸を整える。
「今度はそちらからどうぞ?」
片方の口角だけ上げ笑うシャマイーム。たぶんサリューナが隠しているつもりでも呼吸が乱れているのを見て取っているのだ。そう感じて少し腹立たしくなる。実戦経験の差なのか、それとも実力差なのか――後者だとは思いたくなかった。
「レディ・ファーストって言葉知ってます?」
挑発と余裕――彼の言葉で逆に冷静になったサリューナは、琥珀色の瞳でシャマームを見据え、冴え冴えとした声で言い返した。
「ごめん、ごめん。今度から気をつけるね?」
シャマイームの声音の中に手加減が必要だったかな? と揶揄する響きをサリューナは聞き取った。苛立ちよりも甘く見られている事に勝機を見出そうと、自分で自分に言い聞かせる。
“サリューナ……?”
サリューナの心境の変化に気づいて、ウィンクルムが念で語りかけてくる。
“大丈夫よ、ウィン”と同じく念話で答えながら、サリューナは右手を前に、左手を少し後方に構えた。同調し、武器化している護り手と遣い手は念で意志の疎通が出来る。
おかげで読まれたくない心の焦りまで、読みとられてしまうのは少し嬉しくない。
頭の芯は冷えていくのに、心は熱くなっていった。相反した理性と感情のおかげで、周りを見回し冷静な判断力を取り戻す事が出来る。
大剣使いで接近戦型のシャマイームと、針使いで遠距離攻撃型のイェクーム。二人は長く組んでいるのか、ぴったりと息が合っている。この統率された連携を崩すのはかなり困難だろう。
“ウィンはイェクームさんの手や指の動きに集中して”
先程から針を投げる前にイェクームの指先の微かに動いている。それを先読みすれば、少しはウィンクルムもイェクームの隙が突けるかも知れない。
“私はシャマイームさんに専念するから”と心の中で語りかけるサリューナに“サリュ、あんまり熱くならないでね? これって模擬戦だよ?”とウィンクルムは念を押す。
「休憩、いや、ウィンクルムさんとの話し合いは済んだ?」
どこまでこちらの能力や状況を読んでいるのか――シャマイームの問いかけにサリューナは頷き微笑む。
「じゃ、お言葉に甘えて……こちらからいきますね?」
慣れない環境で人見知りしていたが、元々は気の強いサリューナである。戦闘民族である誇り、そして戦闘能力の低い護り手ウィンクルムを守る遣い手としての誇りもある。
「シャマイーム、女の子なんだし手加減しろよ?」
そして鎖の間合いから離れているイェクームの台詞が、より一層彼女の闘争本能に火を点ける結果となる。
「お気遣いありがとうございます。でもそれじゃ訓練にな・り・ま・せ・ん・か・ら! 手加減無用でお願い致します、先輩方」
その笑い方、怖いよ……と念話で呟くウィンクルムを無視して、サリューナは大輪の花開く頬笑みをシャマイーム達に向ける。普段は百合のように清楚な印象のサリューナだが、こういった時には同等の清らかさでも、どこか睡蓮の花の艶やかさを連想させる。
「では、こちらもお言葉に甘えて――手加減無しでやらせてもらうよ?」
いいんだね? とシャマイームの藍色がかった漆黒の瞳が問いかける。
少し捲れた唇から発達した白い犬歯が覗くのを、やっぱり牙みたいとサリューナは思った。




