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 部屋の内と外。

 サリューナはドアノブに手をかけたまま、固まっていた。

 “彼”も鍵を手にしたまま、サリューナを見て固まっている。

 全身が埃と泥で薄汚れ、黒い髪も髭も伸び放題。チョコレート色した皮のロングコートは丈夫そうだが、ところどころ日焼けやシミで変色している。裾からは、泥に塗れた作業着と安全靴が見えた。広い肩幅、均整良くついた筋肉、衣服から少し覗く首筋や手の甲の肌が赤銅色なのは日焼けのせいだけではあるまい。

(この人がウィンのルームメイト?)

 なぜドアの覗き穴から確認しなかったのだろうと、サリューナは軽率さを悔いた。

 ――村と違って知らない男の人も多いんだから気をつけるのよ? 中には悪意を持っている人もいるのだから――

 くどくど注意していた母アルマの言葉を、サリューナは思いだす。

 今思えば聞こえてきたのは、ウィンクルムの足音と違った。いつもなら聞き間違えないのに、いくら空腹でぼんやりしていたとはいえ弛んでる証拠だ。サリューナは己の怠慢に軽く唇を噛む。

「えーと、ウィンクルム・グルカさんのお客さん、かな?」

 サリューナが逡巡している間に、“彼”はドア横の壁をちらっと見て問いかけてきた。

 廊下のドア横の壁には入室者の名札がかかっていた事をサリューナは思いだす。目の前の男性はそれでウィンクルムの名前を確認したのだろう。

「あ、あの、ごめんなさい! ここ、男子寮なのに、お留守の間に勝手にあがっちゃって……。あの、私、すぐに出て行きますからっ!」

 慌てて外したエプロンを片手に、サリューナは“彼”の横をすり抜けようとした。制止しようとして出した右手を“彼”は引っ込める。

 それは泥や埃に塗れた手が触れるのを“彼”が躊躇したように、サリューナには見えた。

「待って、部屋で一緒に食事する予定だったんだよね? 荷物だけ置いたら俺は出て行くから。気にしなくていいから――」

 部屋から出て行こうとするサリューナを“彼”は懸命に止める。だがその声は闖入者(ちんにゅうしゃ)によって妨げられた。

「シャマイーム! 頼んでいた物は手に入ったか?」

「イェクーム……」 

 “彼”は獅子が低く唸るような声を発し、険しい顔で右を向く。

「どうかしたのか?」

 イェクームと呼ばれた男性は気にした風もなく、サリューナと“彼”の方へ向かってきているようだ。足音が部屋へ近づいてくる。

 “彼”の制止で逃げそびれたサリューナは、好奇心に負けてそっと覗いてみた。

 途端に、鋼色の長い髪を軽く結わえ、鳶色(とびいろ)の瞳をした柔和な美形の男性と目が合い、慌てて首を引っ込める。

「か、可愛いーっ! 誰!?」

 しかし、遅かったようだ。

「だが、シャマイーム。お前がちょっかいを出すにはさすがに若すぎないか?」

 イェクームはサリューナの姿を一瞥すると、走りより“彼”を咎めるように茶化す。

(ウィンのルームメイトさんは、シャマイームさんっていうんだ……ああ、でもどうしよう?)

 サリューナは何とかしてこの場を逃げ出したかったが、大の男二人に出口を塞がれてはそれも叶わない。シャマイームはすぐに出て行くと言うが、どう考えても自分に気を使っている事は分かった。

 本来の部屋の主を追いだして、自分が居座るのも図々しい。

「イェクーム、お前が何を妄想しているのかは考えたくも無いが、違う。ウィンクルム・グルカさんのお客さんらしい」

 シャマイームは横の壁にかかった名札を指差し、呆れた声でイェクームに告げた。

「安心したよ。とうとうお前がそこまで爛れた学生生活を送りだしたらどうしようかと――ぶっ」

「頼まれていた土壌のサンプルな?」

 シャマイームはコートのポケットから取り出したシャーレで、イェクームの口を塞ぐ。中に入っているのは焦げ茶色の土だった。

「あ、あの、私、女子寮に戻ります。本当にごめんなさいっ!」

 慌てて頭を下げ詫びながら、サリューナは立ち去ろうとした。

「いや、折角食事作ったんだし。ウィンクルム・グルカさんと食べなよ。俺が荷物置いたら出ていくから――」

 シャマイームは慌てて、そんなサリューナを止めようとする。

「――ウィンクルム・グルカは僕ですけど、何かご用ですか?」

 小さな騒動に、また参加者が増えてしまった。図書館から戻ってきたウィンクルムの険しい声が、黄昏時の廊下に反響する。

「おかえり、ウィン!」

 見知った兄の声に、少しほっとしたサリューナは思わず叫んだ。

 ウィンクルムは足早に駆け寄ると、サリューナとシャマイーム達の間に割り込む。

「それとも僕の妹に何かご用ですか?」

 まだ幼い琥珀色の瞳に剣呑な色を見せて、ウィンクルムはその背に隠すようにサリューナを庇う。

「あ、あのね、ウィン違うの――」

「いいからサリュは黙ってて」

 シャマイームもイェクームも、ウィンクルムより背も高く逞しい。争えば負けるのは目に見えている。

 それでもウィンクルムは双子の妹を守ろうと、彼女の盾になるつもりだった。

「そりゃいかつい男二人に、大切な妹さんが囲まれていたら誤解もするよね。驚かせてごめん。俺はイェクーム・シェレグ。上の階、三〇七号室の住人だよ。シャマイームに用があってこの部屋に来たんだ。よろしくね」

 十人女の子がいたら八人は見とれるであろう甘い頬笑みを浮かべ、イェクームはシャマイームを指さす。そしてそのまま右手をウィンクルムに差し出した。

「初めまして、俺はシャマイーム・ルーアハ。君のルームメイトだ。これからよろしく、ウィンクルム・グルカさん」

 そう言ってシャマイームは、申し訳なさそうに髪の伸びた頭を掻く。

「あ、あの、すみません。変な誤解しちゃったみたいで……。僕はウィンクルム・グルカ。こっちは双子の妹のサリューナです」

 二人の自己紹介にウィンクルムは緊張を解いた。そしてイェクームと握手を交わしつつ、ウィンクルムは頬を赤く染めシャマイームに頭を下げる。

「お前が帰ってくるのを待っててやったんだ。飯食おうぜ、シャマイーム。ちょうどいいから歓迎会を兼ねてみんなで食べない?」

 そう言ってイェクームは人懐っこい笑顔で、左手に持っていた藤製(とうせい)のバスケットを掲げて見せた。

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