①
麦畑で遊んでいた日々から数年が経ち――今はサリューナもウィンクルムも十四歳。
まだ幼いながらも、二人は自身の進むべき道を決めた。
ウィンクルムは植物についての研究、サリューナは世界にはびこる害獣と戦う術を身につけるべく、二人は揃って冒険者養成学校へと進学する。
とはいえ、サリューナに限ってはウィンクルムが行くから付いて来たというのが理由の大部分を占めていたのだが。
男子寮の二〇七号室――二人部屋の共同スペースのキッチンで、サリューナは調理をしていた。
今はまだ新学期も始まっていない準備期間。サリューナはウィンクルムの部屋で、こうして空いた時間を過ごす事が多かった。
全寮制の冒険者養成学校。新入生たちは正式な入学前に入寮を許される。世界の北東に位置する地沃国の離れ小島にあり、周りは樹海と海。休暇があってもそうそう自分の国元には戻れるものではない。
この寮の間取りはミングル。キッチン、シャワールーム等は共同スペース、後は個室が二部屋付いている。
サリューナにあてがわれた女子寮の部屋と同じ間取りだ。
もちろん男子寮なのでルームメイトは男性。サリューナ達の一年先輩だと聞いている。実地訓練を兼ねた遺跡発掘チームに抜擢されたらしく、入室して一週間経つがサリューナ達はまだ“彼”を見た事が無い。
あまり寮則等も厳しくない校風だが、男子寮に女子が入り浸っているのは良くない事――サリューナもそう思わないではない。
とはいえやっぱり双子の片割れと過ごす方がサリューナにとっては気が楽だった。
(ウィンのルームメイトさんが戻ってくるまでは――いいよね。それにあまり自分の部屋に居たくないんだもん)
赤の他人相手では、同性とはいえ気後れもすれば気も使う。
(それでなくてもあの女は……)
一瞬、自分のルームメイトの女性の姿が脳裏をかすめた。
それを振り払うようにサリューナは頭を振る。
そして鼻歌混じりのハミングで美しい旋律を奏で始める。思い出したくない事を忘れるように。
腰まで届く長い蒼銀の髪は鼈甲色のバレッタで今は後ろにきっちり纏められている。丈が長いオリーブグリーンのくつろいだ作りの半袖ワンピースに、レモンイエローのエプロンも、彼女の均整がとれた肢体に似合っている。
そして陶器のように白い肌、蒼銀の長い睫毛に縁取られた琥珀色の瞳は、光の反射にその濃淡を変え煌めく。
つんと少し上を向いた鼻、あどけない薄桃色の唇、まだ幼さは残るもののサリューナは美しい少女に成長していた。
彼女は小さな食卓の上に、手際良く調理したものを並べていく。
鮮やかな緑のディル、ケイパーを散らしたスモークサーモンのサラダ――薄いスライスオニオン、鮮やかな黄や赤のパプリカの千切り、半月切りにしたミニトマト……白地にサーモンピンク、赤や黄、緑の食材が彩りよく盛られている。
干し葡萄、砂糖漬けの杏、ダークチェリー等を混ぜ込んだパネトーネ生地のパン。綺麗に切られた断面は、卵を多く使っているため濃い黄色を見せていた。
「う~ん、私の好きなものばっかりだとウィンすねるしなぁー。メインディッシュくらいは――仕方ない。譲歩してあげますか」
サリューナは戸棚から白い皿を出しながら、おどけて舌を出す。赤ワインで煮込んだ肉の香りに、ローリエ、セロリ等のハーブと香味野菜の香りが重なる。
鍋の中には牛すね肉の赤ワイン煮込み。これだけはウィンクルムの大好物である。仕込みに三日はかかるので、今日作るまでは秘密にしておいた。知らない人がたくさんいる食堂で食事を取るよりも、ウィンクルムと二人の時間を過ごした方がサリューナとしては安らぐ。
「早く帰ってこい、ウィン!」
銀色のレードルを持ち、鍋相手にすごんでみてもウィンクルムが戻って来る訳がない。
準備期間として入寮した途端に、ウィンクルムは図書館通いを始めた。二十四時間常に解放されている図書館。ウィンクルムはついつい時間を忘れて、調べ物に没頭しているようだ。酷い時には外が真っ暗になっても戻ってこない。
(ウィンは勉強好きだからなー)
勉強より体を動かす方が好きなサリューナとしては、学業への準備を済ませた現在は特にする事も無し。
「でも、お腹すいた……。今日も遅いのかなー」
椅子に座り、テーブルに突っ伏しながらサリューナは呟いた。
暇な時間を一人芝居でごまかすにも限度がある。
かといって、一人で食卓に着くのは嫌なもの。
窓から見えていた夕陽はほとんど沈んで、空は青紫色に暮れなずんでいく。
突然、ぴくっとサリューナは反応して身を起こした。廊下から部屋へ向かって足音が聞こえてきたからだ。
「おかえり、ウィン!」
サリューナはドアを開け、部屋の前で止まった足音を出迎えた。
そうして彼女は固まる。
その人はサリューナより頭二つ分は高い。褐色の肌、黒い髪も髭も伸びきり、埃と汗に塗れた姿をしていた。どう見てもウィンクルムでは無い。
「え、あれ? ここって男子寮の二〇七号室だよ……ね?」
戸惑いがちな低い声が、サリューナの耳に届いた。
固まりながらサリューナは“彼”を凝視する。
なぜなら目の前にいたのはウィンクルムではなく、まったく知らない男性だったからだ。