第2話 元には、戻せない
「無い…………」
リオンはもう一度同じ言葉を繰り返した。物心ついてからこの方、ずっと『そこ』にあった『もの』が無くなっているというあり得ない事態にリオンはほとんど呆然自失といった状態だ。
「無いって、何が……? って……え!?」
クレアが眩しさからようやっと回復してきた目をシパシパとさせながら、隣にいるリオンに尋ねる。だが、そのまだ霞むクレアの視界に飛び込んできたのは、彼女にとってもあり得ない光景だった。
「リオン……!? な、何、その……胸!! それに……背も!!」
普段から女の子にしか見えないほどの女顔のリオンだったが、その首から下は引き締まった男のそれであり、だからこそ辛うじてリオンが男であると皆が認識していたのだ、けれど。
――今のリオンは、誰がどう見ても女の子にしか見えなかった。
ほんのつい先ほどまでリオンの身長は成人男性と比較してもやや低い、といったくらいの身長だったはずだ。
それが今立ち上がっているリオンの身長はどう見てもそれに足りておらず、握りこぶし1つ半くらいは軽く縮んでしまっている。
しかもその鍛え上げられた胸筋があるはずの場所には、女性にしか無いはずの柔らかそうな双丘がその存在をこれでもかと主張していた。
そして再度確認してみても、やっぱり『そこ』には『あれ』が無い。
「ど、どうなってるんだ……!? 無い、無いぞ……!?」
「どうなってるも何も……リオン、あなた――女の子になってるわよ!?」
「そ、そんな馬鹿な……!?」
どうにか否定しようとするリオンだが、これはどう考えてもそうとしか思えない状態だった。
「――あり得るとしたら『解呪』の失敗……? でも、失敗で女の子になる『呪い』なんて聞いたことも……でも、どう見ても今のリオン、女の子だし…………あ、『無い』って……」
ブツブツと呟いていて、何かに気付いたらしいクレアがポッと顔を赤らめた。
「これは――」
無いはずのものが有り、有るはずのものが無い、その異常事態に、リオンはどう考えても原因としか思えないエルフの少女――実年齢は100を優に超えているが――の肩を思わず掴んだ。
「おい、あんた……!! 俺に何をした!?」
そこでハッと、男の力で女性の肩を全力で掴んでしまったということに気付いたリオンだが、その掴まれた方は全く痛そうなそぶりさえ見せていない。それどころか、むしろコゼットはポ~っとした表情を浮かべていた。
「す、すまん……!! 痛かったか……?」
「いえ、全然、全く痛くないわ」
そう答えるコゼットは、じっとリオンのことを見つめたままだ。
そして奇妙なことに――その首には、さっきまでそんなもの無かったはずなのに、黒い皮を金属と宝石で彩った豪奢な『首輪』が巻かれていた。
――だがそのような奇妙なことさえ今のリオンの身に起こったことに比べたら些細なことである。何せリオンの体は――男から女へと変わってしまっているのだから。
「説明してくれ! これ、一体何が起こったんだ!?」
「え、ええと……」
言いにくそうに口元に手を当てるコゼット、その頬は妙に赤く染まっている。
「あんた、『呪い』って言ってたよな!? それが原因なのか!?」
「え、ええ、そう、なんだけど……」
「じゃあ元に戻してくれ!! 『呪い』なんだろ!? 早く『解呪』してくれ!!」
「………………」
コゼットはリオンから詰め寄られ、しばしの間顔を逸らして沈黙した後――ぎゅっと裾を握り締めてリオンに向き直った。そして、
「ごめんなさい……!!!!」
深々と頭を下げた。
「本当にごめんなさい……!! 私、取り返しのつかないことを……!!」
「い、いや、何を言ってるんだ……?」
いきなり謝られたリオンが、困惑の表情を浮かべている。
「謝るのはいいから、何か間違えたってんなら早く元に戻してくれ。こんな変な状態、落ち着かないんだ。股はスースーするし……だから、な? 頼むよ」
「そ、それなんだけど……」
とにかく元に戻してくれと頼むリオンに対して、答えるコゼットの歯切れはもの凄く悪い。
でも、意を決したように開かれたその小さな口から出てきた言葉は――
「――元には、戻せない、の……」
「………………は?」
リオンにとって、信じがたいものだった。
「いや、正確に言うと、『呪い』がかかっていた状態には戻せない、というか……」
「いや、言ってる意味が分からないんだが!? 何がどうなってるんだよ!?」
「『解呪』には成功したのよ、というか自動で解けたというか……その……」
リオンから詰め寄られたコゼットが、顔を赤らめながらゆっくりと言葉を絞り出していく。
「落ち着いて聞いて欲しいんだけど――」
「これが落ち着いていられるか――!?」
「リオン! とにかく、話を聞きましょ?」
リオンと同様、いや下手したらリオン以上に動揺している様子のクレアが、それでもその手を震わせながらもリオンの肩に手を置いて制止した。
「クレア……」
「とにかく、ね? 状況を整理しないと…………私にも、大事なこと、みたいだから」
最後に呟いた言葉は小さく、リオンの耳には入らなかった。
「…………ああ、わかった……」
頭をかきながらリオンはどっかと椅子に座ったが、体重も軽くなっているらしく椅子は小さく軋んだ音を立てるだけだった。
「………………説明、してくれ。俺にもわかるようにな、何せ魔法はさっぱりだし」
「ええ……わかったわ、それじゃあまず結論から言うと――」
コゼットは深く息を吸って、吐いて、それからじっとリオンの目を見て――こう、言い放った。
「あなたは――――本当は女の子だったの……!」