第10話 百合命令
「スライム……」
通路の奥から姿を現したのは、ゼリー状の体を持つ魔法生物、スライムだった。
見た目的には可愛いと言えないこともないような外見で、プルンとした丸みを帯びた体に綺麗な透き通る青色をしている。
基本的には無害だが女の子に対して群がってくる習性があり、しかも皮膚には傷をつけずに器用に服だけを溶かすという特技まで持っている。
そのせいで今では一人前になった女冒険者の中にも、駆け出しのころにはこいつらにとても恥ずかしい思いをさせられた、という者もそこそこいる。
服を溶かしたからと言ってそれ以上何かをしてくるという訳でもないのだが、それでもダンジョン内で裸にされたら恥ずかしいなんてものではない。
ただそれでもスライムの体液はポーションの原料になるので、単価こそ安いものの需要が尽きない。そのためFランク辺りの小遣い稼ぎとして重宝されていて……今もなお、定期的に被害者を生み出しているというわけである。
「さて、それじゃあ俺が一太刀で……ってショートソードだけどな」
女になって筋力が落ちてしまい、愛用の剣が装備できなくなったことを残念に思いながらリオンは腰の剣を抜いた。
スライムの体は柔らかいため斬ることはできないが、それでも剣を鈍器のように使えば一応潰すことは出来るので対処は容易で、油断さえしなければ怖い相手ではない。
2人の前に出たリオンが、近づいて来るスライムたちに対処するためゆっくりと剣を振り上げた、まさにその時――
「!?」
――スライムの群れの半数が一斉に、普段の動きとはケタの違う素早さでリオンに近づいてきた。
「な、なんだ!?」
「「リオンっ!!」」
完全に虚を突かれたリオンが慌てて剣を振り下ろそうとしたその時、既に足元まで来ていたスライムがリオンの足にまとわりつき、それを見た2人が悲鳴をあげる。
「うわっ!?」
絡み付いてきたスライムたちはプルプルと震えながら、ずるりとリオンの足を這って上へと昇ってくる。
「ちょ……!? こ、こらっ!!」
膝の上を不定形のスライムが這いずる感触が気持ち悪かったリオンは、地面を蹴って引っぺがそうとするが、ピタリとくっついているスライムは一向に離れようとしない。
「こ、このっ……!!」
「待って! リオンっ!」
もう一度足を振りかぶった時、コゼットが杖を構えながら短い詠唱を行った。
「“ショック”っ」
そして杖をスライムに押し当てると、スライムたちが弾かれたように足から離れた。対象に衝撃を与える初級呪文、“ショック”の呪文である。
「た、助かった……ありがとな、コゼット」
「どういたしましてっ」
「大丈夫!? リオン、けがは無い!?」
「あ、ああ。何ともない」
慌てて駆け寄ってくるクレアに、リオンが答える。
「それにしても、何なんだこいつら……」
リオンから離れたスライムは、またすぐにでも絡みつこうとこちらを窺っている様子を見せ、それとは別に残りのスライムたちは周りからゆっくり距離を詰めて来ている。
「何で半分だけ、向かってきたんだ……?」
「あ……もしかして……」
リオンが剣で、コゼットとクレアが杖で牽制しながらスライムたちからゆっくりと距離を取る。
「何かわかったの? コゼット」
「この向かって来た半分って……メスなんじゃ」
「…………メス?」
「そう、メス」
「…………何言ってるんだ?」
リオンが「まるで意味が分からない」と言った感じの顔をコゼットに向けた。
「いや、あまり知られてないけど、スライムみたいな魔法生物にも、一応魂のオスメスがあるのよ」
「そうなのか!?」
「ええ、それで……あなたの【百合魅了】なんだけど……本来ならそのスキルはメスモンスターから攻撃されにくくなる、って効果もあるスキルなのね? 何て言うか、相手が好感を持って、それで攻撃をためらうって事らしいんだけど」
「どう見ても俺に向かってきてるんだが!?」
そのリオンの言葉通り、女の子なら誰でも好んでまとわりついてくるはずのスライムは、他の2人には目もくれずにリオンにまとわりつこうとしている気配がアリアリだった。
「それなんだけど……多分……魅了が効きすぎて、あなたに群がっているんじゃ……」
「えっ」
「その証拠にほら、相手に害意は無いみたいよ? あなたのブーツ、見てみてよ」
「ブーツ?」
リオンは、さっきまでスライムにまとわりつかれていたブーツに目を落とした。だがブーツに変わったところはまるでなく、さっき買ったばかりの新品そのものだ。
「ブーツがどうかしたか? 何ともないぞ?」
「その何ともないってとこが変なのよ。あれだけまとわりつかれていたのに、全く溶けてないでしょ? つまり、あのあなたに寄って来た半数のスライムはメスで……ただあなたに触りたかっただけなんじゃ……」
「な、な、な……」
「じゃあ……その……つまり、このスライムたちは女の子で、リオンに惚れちゃったってこと?」
クレアが何とも言えない表情を浮かべながら、リオンのことを見てくる。
「そんな目で見るなよ……なんかこう……アレだろ」
「だって……」
「リオン、気持ちはわかるけど、とりあえずこの近寄ってきてる連中に命令してみてもらえる?」
「命令?」
「ええ、もし魅了されているなら、言う事を聞くはずよ。だって……私もリオンに命令なんかされちゃったら、何でも聞いてあげたいって思うもの」
「ちょ!?」
「こらっ! コゼット! ハレンチよっ」
「まぁでも、ひとまずそれは置いといて……」
「置いとくのか!?」
「ほらほら、リオン、早く命令して? あの子達、今にも飛びかかってきそうよ?」
コゼットの言う通り、半数のスライムたちは我慢しきれないとでも言うようにプルプルと震えている。
「本気か……? えっとじゃあ………………『と、止まれっ!』」
半信半疑でリオンの口から出た命令は――
「お、おおお……」
「まぁ……」
「やっぱり、ね」
――スライム達を言葉通りに、その場でピタリと止めてしまった。
「決まりね、残りの半数には全く効果が無いみたいだから、そっちはオスなんでしょ」
「【百合魅了】って……スライムにも効いたのね……驚いたわ」
「俺が一番びっくりしてるよ」
念願のスキルを手に入れたリオンが、何とも複雑な表情を浮かべていた。
「もうちょっとこう……カッコいいスキルが良かったって言うか……」
元・男の子のリオンからしたら、それは至極もっともな感想だった。
「あら、でもリオン、これは恐ろしく強力なスキルよ?」
「いや、でもな……」
「それよりほらほら、次はオスと戦うように命令して?」
「えっ」
「いや、えっ、じゃなくて。あいつらを仲間割れさせて、その隙に叩き潰して体液を集めましょ?」
笑顔でしれっと物騒なことを言いながら、杖を構えるコゼットだった。




