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怖いお話(仮題)

月笛記

作者: 浮き雲



この山里に戻る日が来るとは・・・。

私は、峠の頂で、そんな感慨をもって馬を止めた。隊列を振り返る。遅れて続く駕籠(かご)には奥方が乗っている。駕籠を守る者や荷を運ぶ者、女や子どもたちなどの家臣を含めれば、総勢、50余名の隊列だ。

鎌倉を出て、今日で3日目。10年前は流罪(るざい)となって訪れた、この地に、今度は守護として(おもむ)くこになろうとは、何とも皮肉なものだ。

あの時は、庄屋の家の離れに、ただ一人住まっていた。もちろん、庄屋の家人が、なにくれなく世話をしてはくれたが、(わび)しい独り住まいであった。


突然、篠笛(しのぶえ)の音色を聞いた気がした。思わず辺りを見回し、いるはずのない影を草原(くさはら)に探す。

小夜は庄屋の娘で、よく身の回りの世話をしてくれた。月の綺麗な夕暮れには、私の(つづみ)に合わせて、篠笛を吹き、ふたりして合奏したものだった。


やがて、平家の世が終わり、許されて鎌倉へと帰る折り、小夜をくれぬかと、庄屋に頼んでみた。


「田舎育ち故、ここでは花に見えますあの()も、鎌倉ならば、ただの野花にすぎません。一時の幸せの末に、飽きられ、忘れられてしまうことは、かえってあの娘には辛かろうと思うのが、親心でございます。ご心配なさいますな。ゆくゆくは、この地の若者と(めあわ)せたいと思いますので、どうぞ、あの娘のことはお忘れください。」


いまにして思えば若気の至り。親心と、私の立場を案じる庄屋の思いなど、いかほどもくみ取れず、腹を立て、馬を駆って鎌倉へと帰ったのが、かれこれ7年前。それでも、小夜とは、すでに(ちぎ)りし仲。なかなかに思いきれず、ようやく2年前に妻をめとって、今、こうして帰ってきた次第である。


篠笛も、そういった経緯(いきさつ)故の幻と、ひとり笑って、館へと馬を進ませた。


しばらくは、(つつが)ない暮らしが続いた。もとより、肥沃(ひよく)な土地柄。年貢(ねんぐ)(とどこお)りもなく、領民のいさかいも少ない。私のような武士とは名ばかりのものにとっては、何ともありがたい領地だ。

ただ、各村の庄屋と顔を合わせた折、あの世話になった庄屋がいないことが気になり、人伝(ひとづて)に調べさせてみた。数年前に病で庄屋が亡くなり、いまは一族も離散(りさん)し、どこで暮らしているか、行方知れずとのこと。せめて、小夜の行方だけでもと調べさせたが、いずこにも嫁いだ形跡(けいせき)はなく、やはり行方知れずの報告を受けた。

小夜のことを思うと胸が痛んだが、特に手立てもないまま、(いたずら)に時が過ぎた。


やがて梅雨が明け、夏の盛りを過ぎて稲の穂が実り始めた頃、奇妙なうわさを聞いた。夜な夜な、峠に物の怪が出て、人を襲うというのだ。もとより、武士の役割は刀を取り、戦って領土を(やす)んずること。私は5人の家臣を伴い、物の怪退治へと向かうことにした。


その夜は、満月がたいそう綺麗な夜だった。(すすき)の原が風に揺れて、乾いた音が囁いていた。私たちは、芒野に身を伏せて、じっと待った。

遠くから篠笛の音が聞こえた。哀し気なその音色は、一陣の風にでもなったかのように、場所を変え、瞬く間に距離を飛んで、我々に近づいた。私は刀を抜いた。

突然、背後に篠笛が聞こえた。振り返ると、そこに、ひとりの女人が立っていた。見間違うはずもない。小夜だった。

だが、あの頃の美しく、優しげな様子は消えて、白蝋(はくろう)のような白い肌と血走ってらんらんと輝く目の色が人ならざる者の怪しい気な雰囲気を(かも)している。

それにしても、なぜ、すぐに気づかなかったのだろう。小夜が吹く篠笛の調べは、私たちが奏を重ねたあの曲ではないか。私は、思わず声をかけた。


「小夜、私だ。分かるか。」


(いぶか)しそうに、しばらくの間、私を見詰めたあと、小夜は悲鳴を上げた。途切れることのない悲鳴は天を震わせる振動となり、共鳴するように小夜の姿は滲んでいった。そして、小夜の姿は疾風へと変わり、縦横に芒の原を駆け抜けた。あとには、家臣の首が二つ転がっていた。

つむじ風が消えて静けさが戻った芒野に、再び、小夜の姿が現れる。物の怪は、まさに小夜だった。どのような因果の果てに、物の怪と化したかは判らないが、私の裏切りが無関係のはずはなかろう。そう直感した。私は、もう一度、声をかけた。


「小夜、私だ。これ以上の殺生はやめよ。恨みがそなたを物の怪に変えたというのなら、それは私のせいだ。今、お前の目の前にいる、この私を誅すればいい。」


恨みを抱いたまま、小夜を死なせてはならない。そう思った。この峠で、最初に聴いた篠笛の調べを幻と笑い、小夜が行方知らずと聞いても、その行方を探そうとしなかった己を呪った。

私は刀を下ろした。目の前に小夜が迫り、その口が裂けたように開いた。私は、ただ、小夜を抱きしめて待った。喉が切り裂かれる瞬間を待ち続けた。


苦しげな呻き声が聞こえた。小夜は、狂ったように抱きしめた腕から逃れようとしていた。憐れな小夜。恨みで物の怪に変わり果てたにもかかわらず、私を殺せないでいるのだ。

深く考えたわけではない。ただ、私は、やはり小夜を愛していたのだ。私は、小夜を片腕で抱きしめたまま、刀を逆手に持ち替えて、小夜の背中からわが身を貫いた。

二人のからだから流れ出した血が溶け合って、芒野を赤く染めてゆく。

薄れゆく意識の中に、これまでの小夜の哀しみと、それをかき消すように歓びが流れ込んできた。もはや、後悔はなかった。




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― 新着の感想 ―
[一言] 切なくて良いお話ですね。
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