ひかりとやみ
1 やみ
目に映っているものは正常だったけど、考えている事は狂っていた。誰も知る事の無い私だけの感情。夜空の星を
眺めていると湧き上がってくるどうしようもない感情。それは、嫉妬であり羨望であり憎しみでもある。それぞれが
入り混じって私だけの狂った愛情になる。これは誰にも言った事がないし、言ったところで理解してくれる人なんて
いない。同じ感情を抱いた人以外に、理解する事は不可能だから。たった一人を除いて。
私には姉が一人いる。姉はとても利発で頭が良くて、なんでも器用にこなせる人だ。私と違って美人だし、明るい。
でも全然嫌味ではないし、本当に素敵な人。そんな姉のことが、私は昔から大好きだ。今日も姉と一緒に、ベランダ
から星を見ていた。いつもの狂った感情を抱えて。冬が近づいているせいか、ベランダは凄く寒い。私は星の少ない
空をじっと見つめていた。
怖い顔して何を考えているの、と姉がきいてきた。
「将来のこと」
私は、当たり障りのない返事をする。姉はクスッと笑って。
「それ、嘘」
と、優しく答える。私の考えはすっかり姉に見透かされている。唯一、私を深いところまで理解してくれているの
は、姉であった。あなたって何考えてるか分からない。私は良くそういわれるけど、姉だけは決まって、瑞希は分か
りやすいね、と言う。姉と私の間には姉妹という絆以上の、何か特別な繋がりがあるんだと思う。その繋がりは父と
母とのものよりも、海よりも深い。ひとりじゃ何にもできない私を支えてくれる存在、それが姉。いなくなったら、
きっと私は一人になってしまう。そんな事を考えただけで、涙が止まらなくなる。
「瑞希?どうしたの、いきなり泣き出して」
気付くと姉が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。姉の長い睫毛がはっきりと見えるほど距離が近くて、どきっと
する。私はあわてて涙をぬぐって、かすれた声で返事をする。
「ちょっと、怖くなっちゃっただけ」
意識がはっきりすると、ひざがガクガク震えていた。私は立っていられなくなって、そのまま座り込んでしまった。
冷たいコンクリートの感触が脚から伝わってくる。
「瑞希、安心して。お姉ちゃんはいなくなったりしないよ」
座り込んで、声を上げている私の頭を優しく撫でながら言った、いつもの暖かい声で。やっぱり、私の考えている
事をわかっている。私が泣き止むまで、姉はずうっと私を優しく抱きしめて、撫でてくれていた。私が落ち着くと、
姉は私の手を優しく握って言った。
「もう大丈夫だから、部屋に戻ろう。このままだと、体冷えちゃうから」
私はゆっくりと立ち上がり、こくりと頷いた。姉の暖かい手に触れているのが心地よくて、このままずっと手をつ
ないでいたかった。私は甘えるように姉に寄り添う
「お姉ちゃん。手、まだ握っていてもいい?」
姉は何も言わずに、優しく頷いた。そうして小さな白い両手で、私の左手を包んだ。敏感なものをそっと包むような
力で。その手は暖かくて、触れているだけで、ささくれだった気持ちが穏やかになっていくのがわかる。
暖房の良くきいた部屋は、少し暑いぐらいだった。今まで外にいたから、余計にそう感じたのかもしれない。姉の
部屋を見回していると、机の上に写真が飾ってあった。女の人と男の人が、一緒に写っている写真だ、誰だかまでは
知らないけれど、女の人は姉にそっくりだ。それを見た瞬間、心の奥底に、どす黒いものが浮かび上がってきた。すぐに
かっとなった私は、写真立てを掴んで、床にたたきつけた。姉が大きな音に驚いて、私のほうを見る。床に転がっている
写真立てを見ると、姉は、凄く悲しそうな顔をした。私はわけがわからなくなって、大声で喚き散らした、涙がどんどん
溢れてきて、どうしようもない。どうにか泣き止もうとしたけど、無理だった。両手で顔をおおって、無茶苦茶に泣いた。
姉はそんな私を引っ張って、無理やりベッドまで連れて行き、横にならせた。あの白くて細い腕のどこにそんな力があるのか、不思議でならない。
「瑞希、あなたは疲れているのよ。今日はもう寝たほうがいいわ。話は明日聞くから、ね」
姉に優しく言われてしまうと、心はざわついているのに、何も言う事ができなくなってしまった。私は、無理に声をだしてボソッと言う。
「一緒に寝てくれれば、良いよ……」
姉は嫌な顔一つせずに、頷く。小さく、いいよ、と言って。そして、私は姉のベッドにもぐりこんだ。電気を消して、
姉が入ってくる。体温が、心地良い。
「それじゃあ、もう寝ようね。私は明日、早いから」
私は不満そうに頷く。
「今日はごめんね……。おやすみ」
姉は、ゆっくりと私の頭を撫でている。まるで、赤子をあやすかのように。
「気にしていないから大丈夫よ、おやすみ」
* * * *
心がざわざわして、どうにも寝付けない。返事はないと思いつつ、姉に声をかけてみる。
「お姉ちゃん、起きてる?」
「起きてるよ、どうしたの?」
「うん、なんだか眠れなくって」
「そう。ねえ瑞希、さっきベランダで話していたときの事だけど……」
「なあに?」
姉は少し恥ずかしそうに言う。
「その、私のこと抱きたいって、思っていたでしょう?」
私はびっくりして、姉に聞き返す
「どうして、いつも私の考えている事がわかるの?」
「表情かな。瑞希って、私の事を考えているとき、いつも怖い顔をしているんだもの」
「私って、そんなにわかりやすい?」
「うん、瑞希はわかりやすい。あ、でも瑞希の考えている事しかわからない。他の人は、全然だめ」
姉の一言一言に、私の心臓は一々反応して、高鳴るものだから、酷く落ち着かない。部屋が暗くてよかったな、と
今更ながらに思う。きっと、姉の顔がはっきり見えたら、この場を逃げ出しているだろう。
「私は、お姉ちゃんの考えている事、全然わからない。だから凄く怖い。お姉ちゃんが、悲しそうな顔をしただけで、怖くて泣きたくなるの」
暗くて、顔は良く見えないけれど、姉の視線は感じる。息使いがはっきりと聞こえてきて、顔が見えているときよりも、
かえって恥ずかしかった。思わず私は姉を抱きしめてしまった。姉の反応は、割とあっさりしていて、すんなりと、私を
受け入れてくれた。事があまりにうまく進みすぎたせいか、私は突然怖くなってしまった。思考も、行動も、全てが停止
して、目の前が真っ白になった、現実味が突然なくなり、足元から、自分が消えていってしまうような感覚に襲われる。
遠くの方で、姉が私を呼んでいる声がする。だけど、もうどうでもよくなってしまった。凄く凄く大切なものが、離れて
いっているのに、私の心は酷く落ち着いている。まるで、自分の心ではないようだ、あれほど、姉と離れたくないと思っ
ていた気持ちは、どこに消えてしまったのだろう。心の虚空を探し回ってみても、気持ちの欠片すら、見つけることがで
きない。悲しいけれど、涙が出ないときの気持ちと似た、大きな喪失感が私を包んでいる。もう、どうしようもない。私はもう、
開き直ることしかできない。自分の感情に抗う力すら、残されていなかったから。残っていたのは、どうしようもない後悔と、
大きな心の闇だけ。本当に一瞬の出来事だった。私の中の狂った愛情は霧散し、虚ろなものへと変貌する。それはきっと、
誰にもとめられない事だ、姉にだってとめる事はできない。朝、日が昇って、夜、日が落ちる。そういう時間の経過と全く同じで、
抗うことも、とめる事も、できないのだ。諦めるのでもなく、開き直るのでもなく、ただ、受け入れることしかできない。
運命とは、なんと残酷なものなのだろうか、逆らえるものならば、逆らえたらよかったのに。翌朝、目を覚ました私は、
ひどい汗をかいていた。姉は隣で小さな寝息を立てて、まだ眠っている。その安らかな寝顔を見て、私は心の底から安堵した。
昨日の夜、姉に抱きついてから、私はどうしたのだろう、記憶がすっぽりと抜け落ちている。大事な何かをなくしたような
気もする。地球における、太陽のような、なくてはいけない何かを。姉が消えていなくて、安堵はしたけれど、心の奥底に
それだけがずっと引っかかっていた。
その引っ掛かりがなんなのか、わかる事は無かった。ある日を境に、私の時間は、完全に止まってしまったから。
2 ひかり
不安定なものに宿る魅力に、私は勝てない。蝋燭の火のような、吹けば消えてしまうような儚さに、心を奪われる。
妹は……瑞希は、私にとって、まさにそんな存在。いつも心が不安定で、泣いたり怒ったり、感情の波が激しい。
いつ自殺してしまってもおかしくない、瑞希はそんな儚さも持っている。だから私は瑞希に惹かれているのだと思う。
でも、妹であり、女の子でもある瑞希と結ばれることなんてできない。できる事なら瑞希の恋人になりたいと、いつも
考えているけれど、きっと、それは許してもらえない。瑞希が、私の気持ちを拒否しないとわかっていても、気持ちを
打ち明けることはできない。でも……、瑞希が私に抱いている気持ちと、私が瑞希に抱いている気持ちが、一緒だという事を知ってしまった。
昨夜、私は瑞希に抱き締められた。瑞希は私を抱き締めながら、今まで私に抱いていた感情を全て吐露した。私は
凄く嬉しくて、目の前が真っ白になった。何も見えないのに不思議と感覚だけは残っていて、凄く気持ちが良かった。
これだけ幸せなら、もう死んでしまっても良い、このまま快楽に身を任せて全てを忘れてしまおう。そうして私は、
快楽の海へと堕ちていった。瑞希と一緒にいられるならば、全てを捨ててしまっても、構わなかったから。
瑞希が私を呼ぶ声がして、目を覚ました
「お姉ちゃん、お姉ちゃんってば……」
瑞希は泣きそうな顔をしている。朝からぐずっている瑞希がいとおしくて仕方がない。私は、思いっきり瑞希を
抱き締めた。……瑞希は途端に嫌そうな顔をした。
「お姉ちゃん、やめてよ!」
声を荒げてそういうと、私を勢い良く突き飛ばした。突き飛ばされた私は、勢い良く机の角に後頭部をぶつけて
しまった。頭から生暖かいものがたれてくるのが、はっきりとわかる。どんどんどんどん出てきて、私の髪を濡らしていく。
とどまることなく、私の頭の傷から溢れてくる赤いもの。不思議と、体はどこも痛くない。瑞希の方を見ると、凄く幸せそうな顔を
していたけれど、涙を流していた。大丈夫だよ、と頭を撫でて安心させてあげたかったけれど、立ち上がることも、言葉を発することも
できなくて、瑞希に微笑み返すことが、今の私には精一杯だった。
どのぐらい、時間がたったのだろう……、瑞希は泣き止んで、幸せそうに寝息を立てている。そんな瑞希の様子を見ていたら、
もう、どうでもよくなってしまった。私は瑞希が幸せなら、それで良いから。きっと、このまま死んでしまってもいいなんて思ったから、
罰が当たったんだね……。遠のく意識の中、私は瑞希の幸せそうな寝顔をずうっと眺めていた。父や母がこの部屋を見たら、どう思うだろう、
瑞希はどうやって、言い訳をするのだろう……。もう何も見えなくなった、私はどこへ行ってしまうのだろう……、このまま闇に包まれて、
消えてしまうのかな……。もっと、瑞希とお話したかったな。でも……瑞希の手で死ぬなら、それでも良いや。ごめんね、私だけ幸せなのは、ずるいね……。
全身から力が抜けて、私は、私でなくなった。単なる物言わぬ肉塊に、変わっていた。
両親や瑞希が泣いているのに、私は何もできなかった。