鏡【短編】
円には現実感がない。自分が此処に存在していることが不思議であった。
鏡の前に立てば、自分の姿がうつる。われながらスタイルがいい。どのような顔をつくれば良いのか分からない。
まだ大人というには乳臭く、少女というには垢ぬけた女の姿に、円は満足する。
それでも円は不安である。「鏡にうつっているから何なのだ! だからといって、それはわたしが存在している理由になるものですか!」と心のなかで叫んでみる。「ものですか!」という芝居がかった言いかたに、心のなかとはいえ恥ずかしくなる。
鏡にはほんのり頬をピンク色に染めた自分がうつっている。自分で見ても、頬の染まった円の姿は、可愛らしい。こんな顔で見られたら女の子でも赤面してしまうわね、とひとりごちて、寂しくなる。
Tシャツからのびる、肌の白い下膊を抓る。
痛い。円の指先に下膊の柔らかい皮膚に触れている感覚があり、安堵する。
自室には円ひとりだけしかいない。円は声にだして呟いた。
「自分で自分に触れても、しょうがない」
鏡の前でひとり呟く自分を無表情で見つめる。少しだけ左右の目の大きさが違う。誰かに指摘されことはないけれど、自分ではすごく気になる。
もう少し胸が大きければいいのだけれど……。
Tシャツの上から申し訳程度に膨らむ胸を突きだしてみる。
形には自信がある。しっかりと上を向いて、漲っている。
同じ教室の男の子が『青木は綺麗でスタイル抜群だけど、おっぱいが小さい』というようなことを話しているのを聞いてしまった。それを聞いて以降、周りの女の子の胸の大きさを観察するようになったが、これといって円と変わらない気がしている。かといってなにか豊胸のための努力をするつもりもない。
学校には行っていない。行かなくなって一カ月程度だろうか。高校二年生の夏休み明けの始業式から行っていない。
初めのうちは、ただ面倒だった。始業式なんて授業があるわけでもないし出なくても大丈夫だろうと思っていた。始業式が終わってから友達に遊びに誘われるのも面倒だった。
円は友達とカラオケに行ったり、化粧品を見に行ったり、ファミレスで無為な時間を過ごすことが苦手だった。
いつも周囲の友達には気をつかっていた。少しでも目立った発言をすれば、陰でなんて言われるかわからない。それでなくとも円は目立つのだ。
そのままなんとなく学校に行く気がなくなってしまった。いつでも登校できると思っていると、そのタイミングが分からなくなってくる。
自分で考えていたよりも周りに気をつかうことがストレスだったのかもしれない。
円が自分の存在に現実感をもてなくなったのは最近である。
誰かに触れてほしい、と思った。