南十字義勇軍誕生す
ハンナが消えて一分も経たぬうち、大統領執務室の別の入り口から一人の男が入ってきた。
「お久しぶりです大統領、極秘の面会の手配感謝します」
「いらっしゃい、ミスター・ダレス。さあ急いで話をまとめてしまいましょう。あなたの国がどうこの先危機を迎えた世界に関わるか、そして我が国との関係をどう修正していくかについて」
「無論、その全権をいただいて伺っておりますから。博士も大統領も、新しい提案を心待ちにしてますよ」
にやりと笑った男は若いアメリカ人であった。見た目の歳格好はハウエルと大差がない。
二人は、決して誰かに聞かれてはならぬ秘事を濃密に打ち合わせ始めたのであった。
一方、応接室に戻されたハンナは、苛々した表情で大統領の秘書の一人に訊いていた。
「わざわざ一番遠い応接室に通して、何を警戒してらっしゃるのかしら? 私が大統領の部屋に飛び込んで爪で引っ掻くとでも?」
「いえ、そんなことは微塵も思っておりません。ここを指定されたのはワイセンベルガー中尉です」
「テオドールが? そのテオドールは何処に行ったの?」
ハンナはここまで一緒に来た空軍士官の姿が見えない事に顔をしかめた。
「急いで空軍省に行ってくると申されて、ライチェ様にはここでお待ちいただくようにと言伝かっています」
「何よそれ、あたしは完全に待つだけの存在じゃない」
その言葉は現実となり、ハンナはたっぷり一時間は応接室で待たされた。その間にカップ三杯のお茶が彼女の胃袋へと消えた。プロイセン貴族の血を引く彼女は、コーヒーを好まずお茶を常飲していた。
さすがにしびれが切れかけた時、秘書の声が響いた。
「ブラウン様が到着です」
そこに現れたのは、ハンナとは旧知、同じ飛行学校でグライダー技術を学んだヴェルナー・フォン・ブラウン工学博士であった。
「やあ、ハンナ待たせたね」
彼の背後にはもう一人の男が立っていた。その顔を見てハンナは目を丸くした。
「ハインケル博士! あなたもおいでになられたのですか?」
そこに立っていたのはドイツの航空機産業の一翼を担うハインケル社の代表であり設計技師でもあるエルンスト・ハインケル博士であった。高速機の設計を得意とするハインケルは、飛行家であるハンナにとってあこがれの存在でもあった。
空軍のテストパイロットをしていた時期は、ハインケル社の航空機を何機も試験飛行させた。ハンナとエルンストは、当然旧知であり、互いをよく知る相手であった。
そのハインケル博士が言った。
「うむ、まあ大統領の表に出せない本音を実現するために助力しようと思って、ブラウン君にくっついてきた」
理解しにくい言葉であった。
「え?」
ハンナが首を傾げた。彼の言葉の意味が全くわからないという表情だ。
ハインケル博士がその反応を見て、「あっ」と小さく呟いたが、ハンナにそれは聞こえなかったし、彼もすぐに顔を横に向け何かを誤魔化した。
「まあ、とにかく大統領の所に行こうじゃないかハンナ」
ブラウンに促されハンナとハインケル博士は三人連れ立ってハウレル大統領の元に向かった。
大統領は入り口に背を向け、何かファイルのようなものを携え大きな窓から中庭を見下ろしていた。
三人には見えなかったが、大統領は微笑んでいた。何か明らかにこの一時間で変化があったようだ。
だが、次の一瞬で彼は真顔に戻った。
そして振り返らぬまま言った。
「役者は揃いましたか。では、ここからは仮面を脱いでの話になります」
ハウレルはそう言うと、恐ろしく緊張した顔で三人を振り返り机の上に携えていた一冊の書類の束を投げた。
そして一回深く頭を下げた。
「フローレン・ライチェ、先ほどは冷たい対応をして申し訳なかった。私はどうしても貴女の情熱を確認する必要があったのでね、わざとああいった形に話に持って行ったのだよ」
「どういうことですか?」
ハンナが訝しむと、横からハインケル博士が割って入った。
「我々は、彼の地、つまりあの危機に瀕した南太平洋に於いて自由に動かせる手足、それを束ねる頭脳を探していたのだよ。君にね、それを担って欲しくて大統領に君の本音をぶつけさせた、と言う次第だ」
「は? なんですかそれ? 試されたんですか、私が! いったい何のために?」
ハンナの眉が一センチは吊り上がった。いったいこれはどういう事なのだ、ハンナは混乱と軽い怒りの入り混じった感覚に表情を目まぐるしく変えた。
「まず、この書類を読んでみたまえ」
大統領は、机の上の書類をハンナに示した。
書類の表にはただ「V計画」とだけ記されていた。
「これは?」
ハンナが訊くと大統領が簡潔に答えた。
「我がドイツによる侵略者からの地球防衛計画である。この計画の総責任者は、ヴェルナー・フォン・ブラウン。協力企業はハインケル社、ユンカース社、ヴルーム・ウント・フォス社、クレーメンス社、ラインメタル社他になる。まあ約30社が他にも連なっている。現時点で既に千名以上の人員が計画に参画を表明してくれた。そして、その計画の第一段階における現地総指揮官にハンナ・ライチェ、貴女を任じたい」
この言葉にハンナが片手を上げて大統領の言葉を制した。
「ちょ、ちょっと待ってください! 先ほど大統領は派兵をしないと明言されたんじゃないのですか?」
ハンナが驚いて聞いた丁度その瞬間だった。執務室の扉が開き、テオドール・ワイセンベルガーが飛び込んできた。
「遅れて申し訳ありません閣下!」
肩で息をしながら叫んだテオドールは、何故か背広姿だった。
「ああ、ワイセンベルガー君遅かったね」
大統領が言うと、両手で膝を押さえ前かがみのままハアハアと息をしつつテオドールが答えた。
「申し訳ありません。空軍省に辞表を出して、さすがに軍服ではまずいだろうと着替えてきましたので」
これを聞いてハンナが目を真ん丸にした。
「テオドール! 貴方空軍を辞めたの!」
顔を上げたテオドールが、あれっと小首を傾げて言った。
「もしかして、まだそこまで話が進んでいませんでした?」
ブラウンとハインケル、そして大統領が同時に首を縦に振った。
これを見て、ハンナの眉がまたまた吊り上がった。
「何ですかこれ、私だけ蚊帳の外?」
明らかにハンナは立腹していた。だが、何故か彼女はワクワクする感覚に包まれていた。
ハウエルが落ち着いた声で言った。
「まあ、さっきの質問への答えも兼ねることになるが、ワイセンベルガーはライチェ君の副官になってもらう。それには、軍籍があっては困るのだ。何故なら、我が国は現段階では国家として現地に派兵をしない方針だからね」
大統領の言葉にハンナの目が光った。
「それはつまり……」
ブラウンがぽんとハンナの肩を叩いて答えた。
「義勇軍。僕は、君たち義勇軍に送る特別な武器を作り出す総責任者でもあるのさ」
「義勇軍! あたしがその現場指揮官に?」
ハンナが湧き上がる喜びを隠そうともせずに訊いた。
この問いにはハインケル博士が答えた。
「相手は空の上だからね。対処は航空機でしかできない。だが、少数精鋭である我が空軍を現地に送るわけにはいかないし、まあ大統領が説明したと思うが我が国は軍を出せば国際的に孤立しかねない立場だ。この状況で、現場の指揮を任せられる適任者は君しか居ないのだ。君は侵略者をその目で見た。そして、我が国では随一、世界でも三本の指に入る名パイロットだからね」
ハンナの目が真ん丸に見開き、口も半ばまで開いていたが、何のリアクションも出来なかった。
ここでハウレルが横から口添えをした。
「フローレン、君も言っていた国連の決議。これは、いかなる国家の参画だけでなく、組織単体での参戦も認めるとなっていたろう。その草案に持って行ったのは、我が国の国連大使の影の努力の賜物だ。つまり、義勇軍であっても参戦は可能なのだ。我々が苦労してそう話を持って行ったのだ」
ハインケル博士が大きく頷いた。
「彼ら侵略者に関する情報は逐一収集しているが、既存の兵器では当面苦戦が予想される。それでも最善の機材を揃えるため、我が社の最新鋭戦闘機He112は空軍の正式戦闘機採用試験にわざわざ落選した。なんと試作と称し予め百機以上も作ってしまったのにね、これはもう国内に置いておくよりは誰かに使ってもらうしかない。というわけでだ、私はこれを義勇軍に無償で与えることにした」
そう言うと、博士は茶目っ気たっぷりにウィンクをしてみせた。
つまり傑作と評価の高かったハインケル社の最新鋭機、これの空軍の主力戦闘機コンペ落選は出来レースで、この新鋭機は対侵略者戦用に温存し量産した。彼の話の裏側はそう解釈できる。
「あの試験の裏にそんなからくりがあったのですか、驚いたわ。メッサーシュミットより高性能なのに落選したのは、対侵略者戦に使うために敢えて自ら落ちたという事なのですね」
ハンナがなんていう事をしたのかと言う感じで首を振った。
「うむ、という訳で新鋭戦闘機の操縦をまず君に覚えてもらわなくてはね、フローレン・ライチェ」
ハインケル博士はそう言うとハンナの肩をポンと叩いた。
「僕はこれからまったく新しい技術で、防衛戦闘に特化した航空機を作るんだ。君のためにね」
今度はブラウンがウィンクを送った。この若者もなかなかの茶目っ気を持っているようである。
「というわけで、引き受けてもらえるかねハンナ・ライチェ?」
大統領がハンナに訊くと、数秒間沈黙した後に顔を真っ赤にしたハンナが叫んだ。
「とんでもない話だわ! こんな話、こんな話、断れるはずがないじゃないの!」
この翌日、ドイツ共和国の南太平洋への派兵は当面行われないという議会決議が可決されたが、これと同時に世界中に向け大々的な広告が行われた。アメリカ、イギリス、ソビエト。そして日本でも発行されたこの広告には、こう記されていた。
「命知らずの飛行家求む。性別問わず。国籍問わず。任務は人類防衛。求人主、南十字義勇軍 ケアンズの代表者ハンナ・ライチェを訪ねるべし」
この時はまだ、その広告がどういうルート、手段を使って世界に発信されたのかは、ハンナには謎だった。そのからくりが判ったのは、彼女が実際に義勇軍指揮官の任に就いてからだった。
この時点で謎の広告に反応した者はごく少数だった。まあ、多くのパイロットは自国の空軍へとそのいく先を定めていたから無理もない。
この広告に反応した多くの人間は、その枠から外れた人々なのであった…
だが、それだからこそ、確かに人類防衛の信念に火が芽生えることになるのであるが、その謎が解けるのはいま少し先の話である。
しかし、その反撃の糸口にたどり着くまでに、世界はあまりに多くの苦渋を飲まされることになるのでった……。




