第一次ソロモン海戦4
航空艦橋に居た艦隊司令の三並は、加賀が沈むのは避けられないと判断し、艦長阿部大佐の進言通り司令部を移す命令を出し、急ぎラッタルを下り始めていた。
「この敗北には何か原因がある。オブジェクトがどうして奇襲してこれたのか、これをどうしても解明する必要がある」
海に飛び込める舷側の甲板まで下りた三並は、作戦参謀の秋山大尉の胸ぐらを掴みそう吠えた。
「もし、儂が救助されなかった場合、貴様が責任をもって連合艦隊司令部に全状況を伝えろ、貴様は何としても生き残れ!」
そう言った次の瞬間、三並は作戦参謀秋山を海に向け全力で突き飛ばした。
「司令!」
宙を落下しながら秋山が叫んだが、彼の目は火に包まれ始めた艦橋の方に引き返す三並少将の姿を捉えていた。
三並は率先して脱出するのを潔しとせず、阿部艦長の残る航海艦橋を目指し引き返し始めたのだ。
その間にも加賀の火災は拡大し、傾斜も徐々にきつくなっていた。その一方上空では、大混乱としか表現できない状況が現出していた。
夕月からの指示は飛んだが、これをきちんと受信し理解できたパイロットは全体の半数に満たなかったのだ。この為、退避する小隊長機に追従せず攻撃を続行する者や、逆に単独で編隊から離脱し退避を始めるものなどで、戦闘機隊の統制は完全に乱れ切った。
この混乱に拍車をかけることになったのが、飛行隊長の大森機の被弾であった。
感情に任せオブジェクトの一機に突っかかった大森は、三度目の攻撃態勢に入った瞬間にオブジェクトの放った光線によって左翼の先端部およそ三分の一を吹き飛ばされてしまったのだ。
大森機は一度錐もみ状態で落下を始めたが、機体安定性が抜群の九六式艦戦は、必死の舵当てでコントロールを取り戻し、高度二百程度の地点で水平飛行に戻った。だが、スロットルを開いても高度は鈍くしか上がっていかず、ましてや空戦の継続は困難な状況だった。
しかも大森は、夕月から出された指示を受信できていなかった。この為、自分の戦闘指揮が困難と判断した大森は、戦闘を継続せよという意味の青い発煙弾を打ち上げてしまったのだ。
この為、無電を受信していなかったパイロットの殆どは大森の撃った発煙弾の指示を優先すべしと考え、オブジェクトに無駄とも思える空中戦を挑み続けることになったのだ。
この頃には、加賀は操艦も難しい状況に陥っており、ついに阿部艦長は全乗組員に上甲板の指示を出した。これは総員退艦を意味する。
戦場はもう混乱の極地に至っており、海上にある駆逐艦や巡洋艦は、味方の戦闘機がそれこそ入り乱れていることもあり全艦対空戦闘を中断せざる得なくなっていた。
おそらく、その戦闘艦艇からの攻撃が止まったことが契機だったのだろう。いきなり戦況が変わった。それも、最悪の方向に。
ここまで一見バラバラに戦闘を行っているように見えたオブジェクトであったが、なんと十機がまったく同時にこれまで見せたことのない放射状に放つ光線を撃ったのだ。
「こ、これは!」
たまたま燃える加賀から海面に飛び込み浮かび上がった瞬間、第二次攻撃隊を率いる筈だった白根大尉は、信じがたい大惨事を目撃することになった。
瞬間的に十五機を超える味方戦闘機が、炎上し墜落を始めた。いや、それだけではなかった。海上を進んでいた艦隊のうち、四隻の駆逐艦が火柱を上げ次々に爆発していった。しかも、その中の二隻は文字通り爆沈し、数十秒足らずで海の下に消えてしまったのだ。
完敗。それ以外に思い浮かぶ言葉はない。白根は頭の中が真っ白になる感覚を覚えた。
彼は気付いていなかったが、放たれた光線の一本は炎上する加賀の艦橋を捉えており、その一撃をもって艦隊の指揮組織は壊滅していたのだった。艦隊司令と艦の指揮組織が瞬時に消滅したのである。
この時のオブジェクトからの攻撃に対し、位置的に加賀の影に入っていた重巡青葉は奇跡的に無傷であった。
青葉の艦長広瀬は、一分ほどの観察で状況をほぼ把握し、現在艦隊の指揮権を持つのは自分だと判断した。同型艦の衣笠は重巡戦隊の二番艦であり、戦隊の旗艦は青葉であるからだ。
「まだ加賀からの乗員脱出は続いている。だが、これを救助するためにここに留まるのは危険だ。後続の艦隊に事後の救助を要請しつつ、残存の全艦は全速で戦闘海域から脱出せよ」
撤退命令は残存のすべての艦で受け入れられ、反転をした艦隊は各々最大船速で西へ向かい始めた。
上空で退避をしていた戦闘機隊も、後続の空母龍驤の居る海域に向け反転する。もう空戦を継続している戦闘機も皆無となっていた。
必死の遁走を始めた艦隊の各艦は、それぞれに被害状況と救援の要請を、平文で打電し始めた。惨劇の結果は、この時の通信で、ほぼ時間差なく世界中に広がることになったのである。
そして、この悲痛なる叫びを、思わぬ近さで耳にした人物がいた。
「例の亀裂の攻撃に向かった軍艦が、大損害を受け救援を求め逃走中の模様です」
ビュッカー・ユングマン複葉機の後部座席で無線を聞いていた航空測量士が操縦席に向かって叫んだ。
「負けたというの? 空母が向かった筈よね」
思わず振り返ったハンナ・ライチェが信じられないといった顔で聞いた。
「複数の軍艦から同様の報告が平文で飛んでいます。日本と英国の艦隊は完全に敗北し、多数の死傷者が出ているのは間違いないようです」
ハンナは、操縦席で膝の上に固定されている航空地図に視線を落とした。
「戦場は、どの辺りなの?」
「はっきりしませんが、ここから百マイル以内なのは間違いないでしょう、その先五十マイルで例の亀裂になりますからね」
ハンナはいきなり操縦桿を倒しフットバーを蹴った。ユングマンは、グイっと方向を変えた。
「ど、何処へ向かうんですかライチェさん!」
「決まってるでしょう。助けを求めている人間がいるのよ、そこに向かうに決まっているわ」
「私たちが行っても、何もできませんよ!」
「すぐに測量母船に連絡して、向かうべき場所は私が見つけて指示を出すから。空母が負けたってことは、大勢のパイロットが戻る場所を失っているはず。不時着した機体を発見したら、母船にそのパイロットを救出してもらうのよ」
「危険ですよ、あの変な飛行物体に攻撃されるかもしれない!」
「うるさいわね、人を助けるのに自分の危険なんて考えてられないわよ。襲って来たら逃げればいいだけでしょ」
「論理が破綻してます!」
「とにかく打電しなさい!」
ハンナはおんぼろの複葉機に出せる限界まで速度を上げて東に向かった。
その結果、彼女はこの世の地獄かと見紛う現実をその目で見ることになった。
結果的に、オブジェクトは日英艦隊を追跡せずに亀裂へと戻っており、ハンナのユングマンが到着した時戦場だった海域には、加賀を含め沈没した三隻の軍艦から湧き出た大きな油の輪と、助けを求める兵士たち、そして物言わぬ浮遊物と化した屍が数え切れぬほど漂っていた。
クレーメンス社の測量母艦は、戦場の後方に控えていた日英の予備艦隊よりはるかに早くこの海域に到着し、数多の兵士を救助することになった。
この救助活動に。日英両政府から直接クレーメンス社に感謝の言葉が送られたが、同時にハンナを筆頭に惨状を目撃した彼らには、出来る限りの情報の秘匿が懇願された。
クレーメンス社は、この状況においても現地での事業継続を表明したが、英国政府からやんわりと現在の開発地域より東側への飛行と航行は止めて欲しいと要請がされた。
この報告を受け、ハンナ・ライチェはクレーメンス社の責任者にこう告げて母国ドイツに戻った。
「必ず、ここに援軍を連れてくるわ。これは、もう誰の為でもない世界そのものの為に銃を取るべき問題よ」
第一次ソロモン海戦と名付けられたこの戦闘での死傷者は二千人を超え、失われた航空機は飛行していたうち二十二機、空母内に残っていた全機、沈没した軍艦は空母一隻と駆逐艦二隻、そして先行していた艦隊の全艦艇が程度の差こそあれ損害を被っていた。
無論、敵であるオブジェクトは一機として落とすことが適わなかった。人類は文字通り完敗したのだった。




