第一次ソロモン海戦3
急報に驚いた三並司令が、加賀の艦橋横のデッキに飛び出し空を見上げると、物凄い速度で接近する幾何学的フォルムをした飛翔体の姿が十個ほど視認出来た。
「ば、馬鹿な! 何故奴らがこっちに! 我々がここに居るのが判っていたというのか!」
加賀の阿部艦長も外に飛び出し、これを確認していた。
「一度に十機だと、これまでそんな事例は報告されていない!」
この時、重巡青葉の艦長は事態を把握すると、すぐに判断を下し通信士官に空母加賀への発光信号での進言を送った。
加賀の通信士がすぐにこれを解読、まったく間髪入れずに艦長と司令に報告した。
「青葉艦長広瀬大佐より具申、加賀至急退避の要を認む」
三並は飛行参謀と顔を見合わせ、すぐに斜め上のスポンソンに居る阿部に怒鳴った。
「艦長、ただちに転舵だ!」
阿部は承知を示すため大きく両手で丸を作り艦橋に引っ込んだ。
三並は続けて航空参謀に怒鳴る。
「第一次攻撃隊を呼び戻せ大急ぎだ! 直衛の六機ではまったく数が足りん!」
その通りであった。上空にあった六機の戦闘機は、敵の襲来を察知し既に攻撃態勢に移っていたのだが、六機がバラバラの目標に突っ込んで行った結果、余った四機のオブジェクトはあっさりと迎撃の網を掻い潜っていた。
おそらくこの取り漏らしたオブジェクトが艦隊に到達するまで三分とかからない。
無線室から、攻撃隊を率いる大森に「艦隊敵ニ急襲サル」の緊急電が平電、つまり暗号化されずに送られた。
これを受信した大森はそれこそ飛び上がらんばかりに驚いた。
「艦隊が襲われたやって!」
無電は総ての航空無線周波数で送られていたので、飛行中の全機が同じ内容を受信している。
混信防止のため中隊単位で周波数は微妙に変えてあるのだが、その全てに同じ内容の緊急電が流れたわけである。
大森は解放式のコックピットの両脇に大きく腕を伸ばし、バタバタと動かした。
全機反転の緊急合図だ。
日本海軍機には会話のできる無線が標準装備されていないから、こうしたサインが事前に決められているのだ。さらに細かい指示には手持ち式の黒板を使うこともある。内容をチョークで書いて、隣機に示すという使い方をするが、ベテランは大体身振り手振りで意思疎通ができるようになっている。
飛行隊長の指示で各戦闘機は三機ずつの小隊単位で反転をする。緊急時の反転もちゃんと手順が決まっており、旋回の方向はきっちり決められている。そうでなければ空中衝突の危険があるからだ。
しかし、事情が事情である。こうなったら大きな編隊を維持しているより各隊に進路の選択を任せた方が早い。大森は大急ぎで機内の電鍵を叩き部下に無電で指示を出した。
「反転後、各個突撃セヨ」
モールス信号だから長い内容は打てないし。聞く方も解読が難しくなる。まあ、この程度の長さなら飛行学生の頃から叩き込まれている無線解読術で受信と同時の口で発音し内容を把握できる。
小隊を率いる先頭の各機が了解の意を示すため主翼を上下に振って見せた。バンクというこのサインは、パイロットたちが最も多用する意思表示のサインであった。
戦闘機の群れは、一斉に百八十度のターンをすると、編隊長の判断で最短と思えるルートに各々加速を開始した。
発進からの時間を計算すると、彼らは既にかなりの距離を進んできてしまっていた。艦隊に戻るには、全速でも十分以上の時間は必要だ。
艦隊に彼らが戻るまで、上空にはたった六機の直掩戦闘機しかいない。加賀とその護衛艦隊の命運は、そのたった六機の戦闘機に委ねられたとも言えた。
その六機の戦闘機たちは一見するとかなり善戦しているかに見えたが、実際には変幻自在なオブジェクトの尻に食いつくのが精いっぱい。それも一機が一機に対応するだけで手一杯。
当然、日本側の迎撃の網をすり抜けた四機のオブジェクトは、まっすぐ艦隊に向け突進し攻撃態勢に入っていた。
そして、そのうちの二機は、最初から空母加賀を目標に接近してきた。
既に大転舵で加賀の甲板は傾斜を始めている。
その状況の中、発進準備を終えていたパイロットたちは事態を把握し大急ぎで対応に追われた。
「エンジンを止めろ! パイロットは急いで両舷の対空甲板に脱出しろ!」
自分もバランスを崩しながらも、飛行隊長白根が大声で怒鳴る。実戦経験豊富な彼は、今の状況が極めてまずいのを良く心得ていた。
キルスイッチでエンジンを強制停止させたパイロットたちは、整備兵と共に大急ぎで飛行甲板の両横に長く続く一段下がった対空砲や機関銃の居並ぶ舷側の対空甲板に転がり落ちていく。
動き出す前の戦闘機、それは滑走路に置かれたただの可燃物でしかない。それが今ここには密集している。それが何を意味するか、航空機に携わる軍人なら皆心得ていた。
なにより、存在自体が貴重なパイロットは危険から逃れなければならない。飛行機は工場で作れるが、パイロットは育てるのに途方もない時間が必要なのだ。守るべきは兵器ではなく人材だ。
白根の逃げろの指示も、三並司令の即時転舵の指示も、こういった背景で出されたものであった。
上空では護衛戦闘機と対空砲火の網をかいくぐったオブジェクトが、加賀を攻撃すべく急接近した。
加賀の砲火は全く命中する気配がなかった。英軍の巡洋艦エンタープライズが交戦した時と同様に、オブジェクトの動きに全く照準が追い付かないのだ。
オブジェクトはもう指呼の間にあった。
加賀が危機に瀕しているこの頃、反転した後にバラバラに増速した第一次攻撃隊の戦闘機群は、艦隊への最短距離をとるため高度の低い雲に全機が飛び込んでいた。ベテランパイロットたちは一人残らず同じルートを選択したわけだ。
「くそ、こちらの動きを読んでいたとしか思えない! 失策や!」
第一次攻撃隊隊長の大森は奥歯が噛み砕けるのではないかと思えるほどの歯ぎしりの音を響かせスロットルを全開にする。
もはや大編隊はその姿を崩し切り、小隊単位で全力で母艦を目指している状態だ。そして、隣の機体すら確認できぬ雲の中を突き進んでいる。これが実戦でなかったら、危険すぎて絶対にやらぬ選択だ。
艦隊は、反転を開始した加賀を守る形で全艦が転舵しつつ対空砲戦を行っているが、味方の護衛戦闘機もいるので、その弾幕はどうしても密集しない。
しかも、転舵の統制が取れていないため日本海軍の駆逐艦の一隻に豪海軍の駆逐艦が衝突寸前まで接近するという事態まで起きた。
この時、直掩戦闘機をかいくぐって来た二機のオブジェクトのうちの一機が光線を放った。
無論目標は、空母加賀である。
眩い光線は、帯状に飛行甲板上の戦闘機の列を薙いだ。一瞬で数機の艦戦が爆発し周囲にその爆風が及んだ。
「まずい、これは敵の注意を加賀から背けねば!」
加賀の飛行甲板で発生した大爆発の閃光を目撃した重巡青葉の艦長が叫び、航海長に急転舵で加賀に接近するよう命じた。
一方攻撃を受けた加賀では、甲板上の無傷の戦闘機までもが、被弾によって爆発した機体の飛び散った破片や火の粉によって次々と誘爆や炎上を始めていた。
ペラペラのジュラルミンでしか表面を覆われていない九六式艦戦は簡単に燃料タンクに火が入ってしまうのだ。
「このままじゃ飛行甲板全体が火の海じゃあ! 後方から順次戦闘機をデッコーしろ!」
状況を確認した飛行長が怒鳴る。デッコーとは、甲板の機体を海に投棄することだ。
大慌てで整備兵たちが、無傷の機体に取りつきこれを押し出し始める。
「手すきの操縦士、デッコーを補助!」
白根大尉が叫び、一段低い対空甲板から慌てて飛行甲板に這い上がる。パイロットの命を守るのも大事だが、艦が沈んでしまったら元も子もない。
その間に、もう一機のオブジェクトが加賀に接近してきた。だが、これに向け驀進してきた青葉から猛烈な対空砲火が向けられた。実に正確かつ密集した弾幕で、縦横無尽の機動をするオブジェクトでさえ攻撃進路をとれず退避せざるを得なかった。
「やるな青葉の砲術科」
三並少将が、これを見て大きく安どの息を吐いた。
この間に加賀は。百十度程度まで転舵を終え、増速を開始していた。もうこうなっては空母には逃げる以外に選択肢はないのだ。
この時、ばらばらでオブジェクトに挑んでいた上空に居た直掩戦闘機のうちの一機を操る岩本三等飛行兵曹は、敵の独特の動きに翻弄されながらも、次第にその特徴をつかみ始めていた。
「こっちの操縦動作では追従できない。だが、相手の反転方向の予測は難しくないぞ、ならやれなくはない!」
隊で最も若いのに戦闘機の操縦に関して岩本は隊でも一目置かれる存在だった。
模擬空戦では負けたことがないと言われる程の技量だが、何しろ春に部隊に着任したばかり、これまで実戦経験がなかった。
それ故か、今回の作戦では攻撃本隊の人選から外され、艦隊の上空援護を命じられた。だが、それが彼に幸運をもたらした。敵は、待ち伏せ箇所でなく艦隊上空に現れた。つまり岩本は真っ先に会敵する機会を得たわけである。
襲撃からおよそ五分が経過していたが、この間に岩本は変幻自在に飛ぶオブジェクトのうちの一機にぴたりと張り付き、その動きを鷹の目並みの鋭さで観察していた。
ここまで、彼は一度もトリガーを押さず、攻撃を控え敵の観察に専念していたのだ。
オブジェクトの動き、少なくとも彼がマークした相手には独自の癖があった。岩本はあの独特の急激な転回を意図的に引き起こさせ、その反転した先に弾幕を張るという作戦を思いついた。
操縦桿にかける力を微妙に加減しつつ、フットバーに神経を集めまず軽く機銃掃射をオブジェクトの左に放つ。そして次の瞬間、岩本は方向舵を右に切るべく足を踏ん張った。
小型の戦闘機は簡単に頭を振り、そして岩本の予想通りオブジェクトは瞬間的にその方向に向きを変えていた。
照準器を覗く必要はなかった。オブジェクトは岩本機の真正面に居た。岩本はトリガーを押す。
機首の上に設置された二挺の機銃がおびただしい弾丸をオブジェクトに向けて放った。
かなりの命中弾が出た。岩本の目は、オブジェクトの表面から黒い結晶がキラキラと輝きながら飛散するのを見た。
「やったのか!」
岩本が興奮し目を見開いたが、次の瞬間彼は思わぬ光景に直面した。
被害を受けたオブジェクトは、命中弾の出た個所を、切り離したのだ。
キラキラとした結晶を吹き出しながら、切り離された部分は海面に落下していき、残った機体はすっと真上に向けて転進しかなりの速度で上昇し岩本機から逃れていった。
人類が初めて、オブジェクトに被害を与えた瞬間だったのだが、九六式艦上戦闘機の攻撃力では相手を撃墜できないことが判明した瞬間でもあった。
「トカゲの尻尾かよ、ありゃ!」
思わず岩本は拳で前面キャノピーを叩いたが、無線がまともに通じないので彼のこの戦果に関する報告はリアルタイムでは何処にもなされなかった。
だが、後に彼のこの貴重な体験と証言は大いに役立つことになる。
同じ頃、空母加賀周辺の戦闘は熾烈を極めていた。
「出撃した戦闘機隊、間もなく艦隊上空に戻ります!」
無線室から報告が上がるが、艦橋はこの時騒然とし、まともに報告を聞いている士官は皆無の状況だった。
それも仕方がない、加賀の飛行甲板のおよそ三分の一は激しい炎に包まれてしまっていたのだ。
「消火作業! とにかく消火を優先しろ!」
「戦闘機の遺棄が進んでいません、そっちを優先してください!」
「砲科は人手が出せん! 飛行科の整備兵を甲板にあげさせろ、エレベーターを使えば早い」
誰が誰に命令を出しているのかさえ把握できぬほど現場は混乱していた。
艦長はそんな喧騒の中、口を閉ざし艦の被害状況を自分の目で確認していた。
火はまだ甲板に留まっている。だが火勢は強い。もし、これが艦内に入ったら大変なことになる。最悪、弾薬庫や燃料タンクの誘爆で轟沈という事態すら招きかねない。
一度退避したパイロットまでが飛行甲板に戻り無傷の戦闘機の海上投棄を補助する。
そこにまたオブジェクトが襲ってきた。
「まずいぞ! 伏せろ!」
白根の絶叫が響き、光線がまた加賀の甲板を真横に過った。
既に炎上していた二機の戦闘機が、この瞬間に爆発四散した。これはあまりに致命的な被害を加賀の飛行甲板に与えた。
「甲板に破孔!」
整備兵の誰かが絶叫した。爆発で、飛行甲板の中央に大きな穴が開いて、そこに炎上する戦闘機が滑り落ちていった。
この状況が示す事態はただ一つ、たとえ火災が鎮火してももはや加賀には航空母艦としての機能が喪失したという事だ。
穴の開いた飛行甲板では、発艦も着艦も出来るはずがない。
「なんという事だ!」
加賀の艦長阿部がこの状況を確認し両手で頭を抱え絶叫した。
この時、引き返してきた第一次攻撃隊の先頭グループが雲を突き抜け艦隊から見える箇所に出現した。
これが契機となった。
オブジェクトたちは、艦隊への攻撃を切り上げ一斉にこの戦闘機部隊に向かい始めたのだ。
日本機の数は一気にオブジェクトを凌駕したのだ、この転進は当然の判断だろう。
雲を抜けた瞬間、大森の目は真っ黒い煙を上げ炎上する加賀を捉えていた。
「おどれらあ! やってくれよったな!」
彼は大急ぎでオブジェクトの姿を探すと、空中集合を図ろうとしている二機のそれを確認、僚機に何の合図も送らず単独で突撃を開始した。ベテランらしからぬ、いや指揮官としての職務すら放棄した行動だった。
この感情に任せた突撃はあまりに致命的なミスであった。彼の突撃が、後続の部下たちの判断を狂わせたのだ。
隊長機が率先して敵に突っ込んでいったことから、雲から飛び出した各小隊は、我先に獲物を見つけるとわき目も振らずに空中戦を挑み始めたのだ。
これだけの圧倒的多数であたるのだから、落ち着いてオブジェクトを囲みこみ波状攻撃を仕掛ければ、機銃弾が命中する確率が上がったはずなのだ。だが、最初から組織的戦闘の図式は崩れてしまったのだ。
海上で状況を見守っていた者たちも、この致命的ミスに気が付いた。
「あれでは、敵を追い込めない」
駆逐艦夕月の艦長高橋少佐は、上空を睨み拳を握ると電信室に通じる伝声管に怒鳴った。
「平電でいい、上空の戦闘機隊に向け一時退避し集合を打電しろ」
「しかし艦長、我々に戦闘機隊への命令権はありません! 指示は空母の航空隊参謀が出さなければ!」
「馬鹿野郎、その空母は今断末魔の状態なんだ、誰も空に向かって指示なんて出せる状況じゃねえ!」
その通りだった。この直前、空母加賀はついに恐れていた事態に陥っていた。甲板に開いた破孔から内部に滑り落ちた戦闘機が起爆剤となり、格納庫内の予備燃料と銃弾が一気に誘爆してしまったのだ。
空母加賀は、文字通り火柱を噴き上げ、ついに大きく右舷に傾斜を開始していた。内部の爆発によって、喫水線の下に亀裂が発生、そこからの浸水が始まっていたのだ。
加賀の指揮官たちはこの段階で決断を迫られていた。
「艦を救うのは難しいかもしれん」
艦長は拳を握り、肩を戦慄わななかせた。
「司令部にまず並行している青葉に移乗を進言しろ、その後航空科の兵員に上甲板を指示、艦からの離脱を開始させろ」
「他の兵科への指示は?」
「機関科と航海科は最後まで粘る。炎上箇所の砲術科は順次退艦を開始して構わん」
事実上艦長は加賀の最後を覚悟していた。だが、ぎりぎりまで努力はする。しかし、危険を貴重な航空科の兵員に強いる訳にはいかなかった。
「副長、周囲の艦に脱出した乗員の救助を要請しろ!」
甲板から吹き上がる炎の熱は、既に艦橋に迫っていた。その熱に揺れる光景を前に、誰もがこの戦いの敗北を実感していた。
この時、航空艦橋に居た航空参謀は、飛行長と伝声管で意思確認を行い、自ら艦橋の外に張り出したスポンソンに飛び出し、発光信号機に飛びつき、加賀に接近していた駆逐艦夕月にメッセージを送った。
この信号は、夕月の艦橋に居た高橋艦長も直接確認していた。
「全航空機に退避を指示、戦闘を中止し龍驤の航行している地点まで撤退を命じろ」
加賀の航空参謀は、この直前に夕月が飛行隊に無電で指示を与えていたのを把握していたのだ。そこで、総ての指示が夕月に託したわけである。
混乱の中、艦隊の将兵は生存に向け必死の抵抗を試みようとしていた。




