ラバウル多国籍軍基地
ニューブリテン島にアメリカ合衆国主導で建設されたのが、ラバウル国際連盟共同基地である。
火山に近いこの良港に恵まれた地に、アメリカは大きさの違う三か所の飛行場を作った。
輸送機の為の長い滑走路を持つアルファ飛行場、戦闘機隊が訓練を行う事を主目的に横風用を含め三本の滑走路を有するベータ飛行場、ここは単純にラバウル基地とも呼称されている。
そして、いつでも出撃可能な即応戦闘機が二十四時間待機した緊急出動に対応するマーズ基地である。ここには、日本陸軍航空隊と英空軍の精鋭戦闘機隊が常駐している。つまり両国の空母に乗れない精鋭戦闘機隊の本拠地という訳だ。
彼らは、もしオブジェクトの行動範囲が広がり西に延びてきたら、現在建設中の新基地に真っ先に投入される部隊でもある。前線基地は滑走路の造成が終わったが、まだ格納庫や整備場、管制塔と言った施設自体は完成に十日程かかる見込みであった。この為、まだ即応が可能な戦闘飛行隊は進出していない。
機材を運ぶ輸送機は頻繁に行き来しているが、現状野天でこれに指示を送る航空管制官はてんてこ舞いというのが実情で、早期に管制設備の整備が望まれていた。
そこで、大掛かりな建物より先に、電気設備や無線関連のそれが最優先で作業されており、場合によっては戦闘機隊は全設備の完成を待たず現地に進出する見込みであった。
現在後方兵站の要というべきラバウルには、日英豪を含め九カ国の飛行隊が到着し、およそ二百機の新旧戦闘機や輸送機が翼を並べていた。湾の海水面には飛行艇も数多く見える。中でも目立つのは日本海軍の超大型飛行艇九七式大艇であった。居並ぶ飛行艇の中で群を抜きでかい。
空には常にどこかの国の飛行隊が飛び、機体の確認や訓練に余念がなかった。
しかし、ラバウル基地に到着してくる各国の飛行隊は、まだ実戦に投入できるレベルに無いというのが、この国際連盟基地群の全体統括を委任された日本陸軍の今村均中将の見解だった。
今村中将は陸軍兵務局長から急遽この最前線部隊の指揮を任じられ、十一月末に赴任した。内定していた中国からの戦闘任務を解除された第五師団長就任を、陸軍大臣の指名で解除されての抜擢だった。
撤退する部隊の指揮を任せるには過ぎたる人材だという判断である。
今村こそ、この南太平洋に派遣されている日本陸軍部隊だけでなく、各国部隊との調整と指揮を任せるに足る逸材としての異例の横滑り人事なのであった。海軍での山口多門少将の艦隊司令への抜擢同様に陸軍でもこうした抜擢人事が目立ち始めていた。
その今村の詰める統合司令部にはこの日、英空軍のダグラス中将が訪れていた。
サー・ウィリアム・ショルト・ダグラスは英空軍の参謀次長。作戦担当のナンバー2だが、特命によりこの南太平洋に派遣され、年頭早々に英本国から到着していた。これまでは、ポートモレスビーの海軍との連絡会議に忙殺されていたが、ラバウルから新基地へ向かう空軍に関する本国からの情報を抱え今村を訪ねたのであった。
「お待たせしたとしか言えない。ようやく新型戦闘機隊の準備が整った。飛行隊は我が空軍でも屈指のパイロットを揃えたので、前線基地へ送り込むのに不安はない状態での到着になる」
今村の手を握りながらダグラスが言った。
「有難い話です。我が国の新型戦闘機量産は陸海軍ともまだ試作が完了した段階で、戦場に到着するのは早くても夏以降、いやこちらでは冬になりますな、とにかく半年以上先になります。それまで主戦部隊は、英国空軍に担ってもらうことになりましょう」
今村の言葉にダグラスは頷いた。
「この我が国が用意した新型機ですら、決戦兵器になり得ないのは承知しています。無論、貴国でも現在量産準備中の戦闘機が、オブジェクトに決定的優位に立てないのは承知で次の段階を睨んで兵器開発している筈ですね」
ダグラスの言葉に今村は大きく頷いた。
「我が国の軍人の中には、そうした情報を意図的に出し惜しむ輩が多い。上もそれを知っているから、口の軽い私を敢えてこの職に就けたようでしょうな。この先、戦闘機はより高出力大火力に、その方向性は何処の国でも一緒でしょう。我が国でも全航空開発関係者が動員されその次々世代主力機の研究が続いています、まず二千馬力エンジンの実用化、さらにその先、それが合言葉です」
ダグラスが笑った。
「口が軽いですか、なるほど、忌憚なく貴国の現状をお聞かせいただきありがとうございます。まあ私がここに寄越されたのも、空軍総司令官のダウディング大将に、開発の総括をやっていて実情を把握していたから、日本軍と腹を割って話してこられるだろうという理由で指名された次第です。今村さんの率直なお言葉に心底安堵しましたよ」
今村は深く頷いた。
「英国も、恐らく既に着手したと思いますが、高射速大口径砲の搭載した、新型推進機搭載の機体。これの開発が急務なようですね」
ダグラスが頷いた。
「ええ、今回間もなく到着する新型戦闘機スピットファイアでは、一部に実験的に二十ミリ機関銃を搭載させましたが、それ以外の機体の主武装は十三ミリで統一しました。設計段階では、オブジェクト撃墜を果たしたハリケーンが搭載していた七・七ミリを多数装備する予定だったのを、急遽変更させました、武双の発射速度も戦火に大きくつながる、航空機の速度の問題はまだどうしようもありませんが、武器に関しては最大限ある者を活用することで対応する、これが重要でしょうq」
「なるほど、我が軍も陸軍機に関しては、フランスのオチキス社から大量に十三ミリ機銃を購入し、急ぎ主力戦闘機の武装をこれに換装中です。ベルギーのブラウニング社製より長さが短いので、対応が楽という事でしたので、やはり考える事は同じという訳ですな」
ダグラスが「ああ」と頷いた。
「あのブラウニング社製の銃は大変性能が良いようですが、重さと長さがネックのようです。主翼にしか搭載が出来ないだろうと航空開発者は漏らしていました。ですが、当面はこの口径が主力になりましょうから、貴国でもこのブラウニング社の銃の採用は考慮すべきと進言しておきますよ」
今村はすぐにメモを取った。
「我が軍の上層部と政府両方に強く推薦しておきます。ありがとう」
そこでダグラスがやや声のトーンを変えて聞いた。
「ところで、日英軍以外の戦力に関し、率直な意見を聞きたいのですが。どうでしょう、ラバウル基地に集まってきている各部隊は?」
ここで、今村ははっきりと苦い顔で言った。
「彼らには申し訳ないが、現状では烏合の衆ですな。統一した指揮が絶対に必要ですが、誰が頭についても反発が出そうで、喧々諤々ですな。特にイタリアやスペイン、チェコ、ポーランドこれらの国はまったく協調する気配がないようで、互いに顔を合わせても挨拶もない状況です」
ダグラスが肩を竦めた。
「正直、この多国籍部隊の統括に割ける指揮官は我が国から供出できない。ヨーロッパの各国部隊は、我が軍の指揮官に敬意を払うとは思えない。一定の地理的距離を持っている貴国から指揮官を出してもらう、というのが理想ですがどうでしょう?」
今村が、ふむと小さく漏らしてから答えた。
「そうですなあ、まあ悪くはない提案なのですが。出来たら、フランス空軍に現地に来て指揮を統括して欲しいのですが、彼らなら周辺国を纏めるのに長けていると聞いていますから。何故に彼らは参加してくれないのでしょう」
今村が困ったという顔で言った。
ダグラスは人差し指で額を押さえ少しうつむきながら言った。
「おそらく、地理的な問題です。今、オブジェクトは西に向け行動範囲を広げる気配を見せていますが、もしこれが東に向いたら、フランス領がその正面に横たわっています。彼らはこの防衛に総ての国力を傾ける決意をしたのでしょう」
今村が、なるほどと頷いた。
「彼の国には、他国にその防衛を委ねたくないという矜恃があるのでしょうな」
「ええ、困ったプライドです」
ここで今村は、壁に張られた世界地図を睨んだ。
「統括指揮官の件ですが、おそらく中国からの我が陸軍航空隊の撤退が完了したら、適任者を選出できるのではないかと思います。実戦経験者からの統括指揮官選任であれば、私も各国の司令を説いて回る自信もありますので、あと半月ほど待ってもらえれば纏められると思います。まあ命令を素直に聞いてくれる組織になるかは未知数ですが」
今村は遠慮がちに言ったが、ダグラスの顔色は明るくなった。
「それは助かります。陸上航空部隊も海軍同様に緊密に連携しないと、攻勢作戦も策定できないですから、とにかくお願いします」
今村が大きく頷いた。
「守勢だけでは、いつかは破綻します。より多くのオブジェクトを撃破し、あの忌々しき敵を駆逐しなければならない。その大義の下に目先の反目がいかに無意味か、真摯に説いて回りますよ」
ダグラスがもう一度今村の手を握った。
「日本軍が貴方をここに派遣した理由が判った気がします。ありがとう」
そして実際、今村はこの日の午後からラバウルに集まった各国の司令官たちを訪ね、地道に説得を行い始めたのであった。
その今村の話に最初に耳を傾け、賛同したのはポーランド空軍であった。
ポーランド軍の全体司令官は空軍のローグデン・アイダ大佐であったが、空中部隊指揮官のスカルスキ大尉を伴い訪問してきた今村に面会した。
彼らは、統括指揮官設置の件についての話を聞くと、すぐにこれを受け入れる意思を伝えた。
「日本がその大役を買ってもらえるのは、正直有難いです」
アイダ大佐は今村に言った。
「賛同いただき感謝します」
今村が頭を下げたが、アイダはすぐに渋い顔でこう続けた。
「ただ、我が国同様に素直に納得をしない国の方が多いでしょう。我々は国の事情で、大規模な部隊を派遣できなかったという背景もあり、実戦経験のある指揮官が豊富な貴国が指揮を請け負ってくれるのなら安心して兵を委ねられるという本音があります。ですが、特にイタリアやスペインなどは内戦での実戦経験者を抱えてますから素直にはいかないと思います。後塵を拝したとはいえ、軍事面では妙な意地を持つ国々ですしね。ファシズム国家は概ねそうでしょうが、とにかく見栄に固執します。ですが、それよりもこの先、間違いなく今村さんを困らせるだろう存在を忘れてはなりません」
今村が眉をひそめ訊いた。
「それはどの国の事でしょう」
アイダは、スカルスキと顔を合わせ小さく頷き言った。
「日本も絶対に意見を同じにすると思いますよ。これから乗り込んでくるソビエト軍です」
今村が「ああ」と漏らし、納得の頷きをした。
「確かに彼らは、素直に指揮を委ねるとは思えませんな。そもそも、実際に到着したらこの基地でも最大勢力になります。最終的には、我が軍と英軍を合わせたより大量の将兵を送り込むと表明してますし、自分たちが主導権を取りたがるでしょうな」
「その通りです」
アイダが頷いた。
「出来るだけ不協和音は出したくない。これは人類とあの未知の侵略者の戦いであり、我々がいがみあう事態は回避しなければならないのですが」
今村は困ったという感じで言った。
「正直、話の通じにくい相手です彼らは。どうやって交渉しても、素直に首を縦には振らないでしょうね」
この今村とアイダの懸念は、現実のものとして彼らの前に立ちはだかり、それがこの戦いのある意味人類側のウィークポイントになってしまう。
まだ、敵の正体すら掴めぬまま時間を浪費している人類は、このつまらぬ意地の張り合いで更に遅滞をさせられるのだが、その前にまだ大きな衝撃を彼らは味わう事になる。
それにはまだ若干の猶予はあったが、どんなに急ぎ準備してもこれが不可避だったと後に結論付けられるから、動き出した運命はとことん人類に対し冷酷だと言えよう。
とにかくソ連軍到着前に、現地に居る各国部隊だけでも纏めなければという今村の必死の努力は、連日続くことになるのであった。




