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スピードスター、スピードスター!

 その南十字義勇軍基地のガダルカナル飛行場にちょっとした人だかりが出来ていた。

 その中央には見慣れない飛行機が置かれていた。

「本当にいいんだね?」

 地上でハンナに念を押しているのは、ジャクリーンだった。

「ええ、やはりテストの結果このエンジンのど真ん中に据えたスイス製の機関砲は使い物にならないって判ったから、約束通り速度の方は貴女に実験してもらうわ」

 皆が取り囲んでいるのは、船で届けられた試作機。ハンナが昨日までエリコン社製二十ミリ機関砲の実験を繰り返していた機体だ。

 二十ミリ機関砲の威力は絶大なのだが、プロペラの回転軸の真ん中に取り付けられたこのエリコン社製の機関砲は、エンジンの振動の影響をもろに受け、まともに命中しないという結論にハンナは達していた。

 これは、ドイツのハインケル博士も予想していた結果だった。モーターキャノンと呼ばれるこの方式は、どうしても命中精度が上がらない。これを回避する方法をアメリカの航空機会社が研究し、やがて南十字義勇軍にもその機材が運ばれるのだが、それはまだ先の話。

 ハンナは、この新型機を愛機にするのを諦め、結局ハンナの戦闘機はベアテとエーリッヒが輸送機でケアンズに飛びハインケルHe112をフェリーしてきていた。

「それにしても、本気で速そうな機体ね」

 マリーが舐めるように試作機を見ながら言った。

「メッサーシュミット社が世界記録狙って作った機体だもの、速いに決まってますわマリーお姉さん」

 ベアテがマリーを見上げるようにして言った。

「Bf209ねえ、戦闘機には向かない機体ですわね。主翼が短すぎます。ロールしたら失速しそう」

 ビクターが翼を掌で撫でながら言った。

「うん、あたしも操縦してみてそれは感じたわ。速いだけじゃ、たぶんオブジェクトには通じない。これの量産化は無しね」

 ハンナが肩を竦めた。

「じゃあ、行ってくるわよ。地上での計測もよろしくね!」

 ジャクリーンは飛行服の腕をまくりながら小さなコックピットにもぐりこんだ。

 集まっていたパイロットたちは滑走路横の飛行指揮所前に移動し、ジャクリーンが離陸するのを見守った。

 速度実験機として作られ。戦闘機への改造を加えられたメッサーシュミットは、あっという間に離陸した。そのエンジン出力の大きさが、その短い滑走距離からも窺えた。

 コックピットで操縦桿を握るジャクリーンは、ひゅーっと口笛を漏らし、高度を一気に六千メートルまで上げた。

 メッサーシュミットはそれこそ一直線に空を駆けあがっていった。

 地上で見ていた一同が、思わず「おーっ」と歓声を漏らすほど見事な上昇ぶりだった。

 地上の無線室から声が聞こえてきた。

 きよ子の声だった。

「ジャクリーン、海上に設置した赤のパイロンが計測スタート地点です。青のパイロンまでの十キロ区間で計測します。いいですね?」

「了解よ、きよ子。まあ世界記録が出来る瞬間を見てなさい」

「ええ、頑張って!」

 ジャクリーンは機体を水平飛行に移すと、計測区間に向け進路を定め、じわじわとスロットルを開いていった。

「うっひゃあ、こりゃ痺れるわ! もう四百五十超えてる。これ、どこまで伸びるのよ!」

 メッサーシュミットは文字通り矢のように加速していく。

 地上で見ていた一同も目を真ん丸にしてそれを眺めていた。

「なにあれ、反則級のスピードじゃん。あたいも乗ってみたい!」

 ジャッキーが飛び跳ねながら言った。

「どう見ても、もうジャクリーン自身の速度記録抜いてるわよね?」

 ビクターが驚いたという顔で言った。

 その通りだった。メッサーシュミットはとっくの昔に時速五百キロを超え、パイロンの上空に達した時には六百キロすら軽く超えていた。

「うっひょお、止まらないわ! どこまで上がんのよ、このスピード計!」

 スロットルを全開にしたジャクリーンは、操縦桿にしがみつき、上がり続ける速度計を目を丸くして見つめていた。

 十キロの計測区間は、それこそあっという間に終わってしまった。

「フィニッシュポイント超えました。一回着陸して、ジャクリーン」

 きよ子の指示で、ジャクリーンは速度を落とし、ふわっという感じで滑走路に舞い降りて見せた。

 すぐに皆が駆け寄った。

「ちょっとスピードスター、どこまで回ったのその速度計!」

 マリーがキャノピーを開いたジャクリーンに聞いたが、肝心のジャクリーンはコックピットに座ったまま下を向いていた。

「ちょっと、ジャクリーン?」

 様子がおかしいのに気付いたエミーが声をかけると、いきなり馬鹿でかいジャクリーンの声が飛行場に響き渡った。

「あはははは、この計器ぶっ壊れてんじゃないの?」

「どういう意味?」

 ビクターが首を傾げジャクリーンに聞いた。

「だってさ、七百五十キロとか指してたのよ! 信じられるわけないわ!」

 だが、その直後機内の無線機からきよ子の声が響いてきた。

「ええジャクリーン、その計器は不正確みたいね」

 ジャクリーンが頷いた。

「でしょ、そんなわけは…」

 だが次の瞬間スピーカーから流れてきたきよ子の声に、一同は一瞬静まり返った。

「正確には七百五十五キロ。おめでとう、掛け値なしの世界記録、貴女は世界で一番速く飛んだ人間よジャクリーン。いい、よく聞いて、女性じゃないわよ、貴女は世界で最初に七百五十キロを越えた人間だわ! おめでとうジャクリーン!」

 ジャクリーンの表情が固まった。

 信じられない。

 誰が見てもその顔にはそう書いてあった。

 だが次の瞬間、ジャクリーンはコックピットに群がった仲間たちに手荒く叩かれ現実に引き戻された。

「やったわねスピードスター!」

「男に勝ったのよあんた!」

 もみくちゃにされながらジャクリーンは、全身から力が抜けていくのを感じだ。

 これが本物の高速飛行の世界。誰も見たことがなかった世界。自分がそれに触れたことが、信じられず力が入らないのだった。

 この様子を見ていたハンナは、ふっと笑って隣の木部しげのに言った。

「貴女なら飛行協会に、この記録認めさせらますわよね」

 木部は頷いた。

「ああ、僕に任せておいてくれ。公認世界記録をジャクリーンにプレゼントするよ」

 こうしてジャクリーン・コクランは世界一速い女性から世界一速い人間に昇格した。

 だがまさか、その自分の記録をもう一度思いもよらぬ形で破ることになるとは、ジャクリーンも南十字義勇軍のメンバーも想像だにしていなかった。

 いつ戦闘が起きても不思議じゃない場所での、束の間の楽しみを皆が共有し、その晩は夜明けまでパーティーが続いた。

 しかし、現実は厳しい。ここは戦場だ。

 彼女たちが、オブジェクトの脅威と正面から向き合うのは、この一週間後になるのだった。



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