ロシアンガールズ戦場へ向かう
ソ連の旭東地区最大の都市ウラジオストック。ここに欧州からシベリア鉄道を使い、空軍部隊の将兵と機材が続々送り込まれていた。
「日本の海軍の輸送船部隊と商船も協力を申し出てくれた。ありがたい話だ」
港で分解されたまま梱包されてきた戦闘機の列を見ながら、この一大航空部隊の総指揮官に任じられたストチコフ空軍大将は部下のメコフ少将に言った。実際にソロモンに向かう第一陣を指揮するのは、このルリチェンコ・メコフ少将である。
「ラバウル基地にはまずポリカルポフIー16戦闘機九十機を送ります。操縦士は予備も含め百十五名、整備員総数八百名の陣容です」
「英国や日本からの情報をもとに、モスクワでは新たな戦闘機の開発製造を急がせている。ポリカリポフの性能では速度面などで不安が残るという判断だ。ヤコブレフ技師が中心に高速戦闘機の仕上げに入っているらしい」
ストチコフの言葉にメコフは頷いた。
「対オブジェクト戦闘にはやはり速度が重要になりますか」
「第二次ソロモン海戦で、それは確定的になった。空中戦の概念は大きく変化し、各国とも高速かつ大火力の戦闘機を量産する方向に突き進む模様だ」
するとメコフが少し渋い顔をした。
「その状況で、ベルシャンスカヤ大佐の連隊から切り離す戦闘機大隊にはI-153を持たせるのですか。彼女たちはあまりいい顔をせんでしょうな」
「仕方あるまい。チャイカ隊は我が軍の指揮を離れ義勇軍の傘下に入ると正式決定したのだ。現状彼女らに与えられる最新鋭の機体はあれしかない。機体の原設計が古くとも、性能的には十分に第一線で通用する仕上がりになっている筈だ。スペイン内乱の教訓を全面的に取り入れ再設計した機体だからな」
二人が話しているのは、スターリンがドイツのハウレル大統領に恩を売るためと称して、ソビエト空軍から分離しハンナの率いる南十字義勇軍に送る決定をした一個飛行大隊の件であった。
ソ連空軍は、新たに女性だけで編んだ飛行三個大隊を作り戦闘機連隊を作った、その指揮官にカテリーナ・ベリシャンスカヤ少佐を二階級特進で大佐に任命し充てた。
ソ連空軍内での正式飛行隊名としては、第五十八戦闘飛行連隊。連隊は第五八六戦闘機大隊、五八七爆撃飛行大隊、五八八夜間戦闘爆撃飛行大隊の三個飛行大隊で編成されていた。先述の通り、この部隊のパイロットは全ソ連空軍から選抜された女性パイロットだけで構成されていた。いや部隊の全員が女性なのだ。整備員まで含め四百名が全部女性兵士。
この中の戦闘機大隊である第五八六大隊の通称がチャイカ隊なのであった。大隊のパイロットの平均年齢二十歳という本当に若い部隊である。
チャイカは彼女たち五八六戦闘機大隊が装備するI-153戦闘機の愛称でもある。I-153は上翼式のガルウィングを備えた旧式な形状である。元になったI-15戦闘機がスペイン内戦でイタリアのカプロニ戦闘機に完敗した経験から、全面的に性能を向上させ再設計されたのがI-153なのであったが、既にこの時期にはソ連軍の戦闘機の中心は、全金属製低翼で引き込み脚を装備したI-16に移行していた。
そのI-16でも戦力として対オブジェクト戦に期待できないとされているのに、このチャイカを与えられた女性パイロットたちの心境は決して穏やかではあるまい。
女性だけが集約され、しかもそこに二線級の装備を手渡し、さらに部隊を割って一部を義勇軍に、実に当事者からすれば理不尽な人事に思えたろう。
こうなった経緯には、クレムリンでベリヤがスターリンに語ったように、粛正による指揮官不足が大きく関連していた。
女性高級士官は、陸上部隊でならさほど抵抗なく受け入れるであろうが、ソ連空軍内では女性パイロットへの評価は相対的に低く、ここから指揮官を作り出し一般部隊の指揮官に置いても、部下が不平を漏らす可能性が高かった。そこで、女性を一元的に集めこの指揮もまた女性に執らせれば問題は解決するというソビエト流の合理主義に則った解決策だったのだ。
誰が見てもこれは厄介払いである。
その事は、当の本人たちが一番よく理解していた。
そして、その中でも義勇軍に送られることになった第五八六戦闘機大隊の面々の心境は、目も当てられないほど荒れまくっていた。
「頭来る、なんで空軍を追い出されなきゃならないのよ」
「チャイカなんかでまともに戦える相手なの? 日本の戦闘機がバタバタ落とされたってニュース見たわよ。あれ、イタリアの戦闘機よりはるかに高性能だって話を聞いたわ」
ウラジオストックの港近く、民間から借り上げた狭いアパートの一室に押し込まれた第五八六戦闘機隊のパイロットたちが不平を言い合っていた。
「同じ戦場に行くのに、あたしらだけ別って、まるで落第でもした気分ね」
パイロットたちがぎゃあぎゃあ言っていると、ノックもなくドアが開かれ、やや年長の女性士官が入って来た。
「はい、黙りなさい。あんたらに不満があるのは百も承知よ。でも私の話を聞きなさい。まずは起立!」
いきなり語尾で言葉をきつくしたのは、戦闘機大隊を率いるタマラ・カッツァリア少佐だった。
若い女子パイロットたちは、一斉に立ち上がり直立不動の姿勢をとった。
「まあ、あなたたちの中には学校に行っていてもおかしくない歳の子もいます。騒がしいのは許します。でも、任務への不平は禁止です。特にオルガ、貴女中隊長でしょ、十代の子と一緒になって不平を言うのやめなさい」
「了解です、タマラ大隊長」
びしっと背筋を伸ばしながら答えるのは、オルガ・ヤミュシュコワ中尉。中尉と言っても、まだ二十三歳。周りのパイロットと姦しくしてしまうのも仕方ないのかもしれなかった。
「廊下まで一番響いていたのは、貴女の声ね。クラビア曹長」
名指しされたソバカスだらけの下士官パイロットはぶるぶると首を振った。
「いえ、あたしよりリリー伍長の方が声が大きかったであります」
そう言って、クラビア・フミチェバ曹長は隊で一番若いリリー・リトバク伍長の方を見た。まだ十七歳のリリーは首をすくめ顔を真っ赤にしている。
オルガ中尉がため息を吐きながら言った。
「どっちも大差ないわ。とにかく、大声で不満言ってたの全員なんだから」
大隊長のタマラは苦笑して頭を掻いた。
「まあ、元気があるってことで不問にしておきますけど、今からする話をきちんと聞いて」
タマラは軍服の胸ポケットからメモを取り出し読み始めた。
「これは私たちが参加する南十字義勇軍から正式に来た電報です。あちらの司令官のドイツ人女性パイロット、ハンナ・ライチェさんからの私信の形ですが、これは私たちへの熱烈なる歓迎の挨拶です」
若い女子パイロットたちは顔を見合い、目を大きく見開いた。
ドイツと円満な関係にあるソビエトでは、ハンナの名前は広く知られている。ここに居る何人かは、彼女に憧れ飛行機操縦の道を選んだくらいだ。
「ここに大変興味深い一文がありました。現地で、私たち全員に新機材を用意したいので、到着に合わせドイツから新型機を取り寄せます。あなた方の到着と機体の到着どちらが先になるかは分かりませんが、あなた達は我々義勇軍の大きな希望です。どうか無事に戦場まで到着してください、ハンナ・ライチェ」
その場にいた全員が、歓声を上げた。
「やった! さよならチャイカだわ!」
クラビア曹長が叫んだ。
慌ててオルガ中尉が咳払いするが、パイロットたちはあちこちで抱き合ったり飛び上がったり収拾のつかない状況に陥っていった。
その様子を見ながら、タマラはもう一度苦笑して呟いた。
「もうちょっと内緒にしておいた方がよかったかしらね」
騒ぎはしばらく収まりそうもなかった。
第五八六飛行大隊が船に乗り込んだのは一月五日だった。乗り込んだのは、日本の民間輸送船であった。分解されたままの四十機のチャイカと共にパイロット三十八名と整備要員八十名が船に乗り込み、ニュージョージア島に建設の始まった国際連盟管理の国際部隊最前線基地に向かい、そこで機体整備後にガダルカナルの南十字義勇軍基地に向かう手筈になっていた。
ハンナたちの居る基地は、現状亀裂に最も近い軍事基地である。
ガダルカナルは海峡一個でマキラ島に接しているのだから当然だ。
それでも、直線距離で見れば基地から亀裂までは二百キロ以上ある。だが、国際部隊が展開するラバウルもポートモレスビーも遥か彼方、新基地の置かれるニュージョージアでも亀裂まで五百キロの距離を置いている。
これは万一の奇襲に備えての選択で、統一する指揮系統のない国際部隊は、即応が難しいという判断でお位置に最前線基地を作る形で妥協したのだ。
これに対し、まさにオブジェクトが最大速度で飛来したら出現から二十分以内に攻撃も予想されるガダルカナル基地は、二十四時間臨戦態勢のまったく気の抜けない基地と言えた。
現在オブジェクトの常時周回範囲はギリギリガダルカナルにはかかっていないが、マキラの北側にあたるウラワ島は完全にその中に取り込まれていた。
更にマラマシケ島でも度々オブジェクトが目撃されるようになっていた。
第二次ソロモン海戦後、マキラ島の西部海域には日本から新たに派遣された戦艦榛名と金剛、そして英海軍の戦艦ロイヤル・ソブリンとラミリーズが警戒線を敷いていた。
そしてその警戒線の事実上の南端部は、ガダルカナル島に展開した南十字義勇軍が担っていた。




