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第二次ソロモン海戦3

 この頃、ハンナとテオドールは、空中に居た。だが二人とも操縦桿は握っていない。

「キク、高度はなるべく低く保って」

 ハンナはそう言って操縦桿を握る松本キクに命じた。

「了解です隊長」

 キクが操縦しているのは、アメリカ製の双発飛行艇PBYであった。この機体は、飛行艇であるが車輪も持っており水陸両用で使える機体で、二年前からアメリカ海軍での運用が始まっていた。

 これもつまりDC3輸送機同様に、アメリカ側からの供与品というわけだ。

 南十字義勇軍飛行隊で水上機免許を持っているのは、キクを入れて三人しかいない。ハンナは、その中で一番着水技術の優れたキクを指名してこの機体を戦場に向け飛ばしていた。

 PBYは極めて速度が遅い。時速はせいぜい二百キロ程度しか出ない。

 だが操縦安定性は抜群で、航続距離も長い。この為、救難飛行艇としてまさにうってつけの存在だった。現にアメリカでは海軍以外に沿岸警備隊の海難救助用として就役が始まっている。

 初めて飛ぶ戦場の空にキクは緊張していたが、海の上を飛ぶのには全く抵抗がなかった。

 自分は日本海を超え遥か満州に飛んだのだ。こんな近隣の島が視界に入る海上に恐怖など覚えはしない。それにケアンズからガダルカナルまでの長距離飛行も、彼女に自信を深めさせていた。

 今キクの神経は、オブジェクトの存在にだけ注意を向けていた。

「無線によると、英軍が孤立させたオブジェクトに波状攻撃をして損害を与えつつあるようです」

 テオドールが報告した。

「ここまでに日本海軍は戦艦三隻を失っているのよね。落としきるまで、残りのオブジェクトを引き付けていられるかしら…」

 ハンナが不安そうに言った。

「今、英海軍は最後の戦闘機隊にバトンタッチしたようです。オブジェクトは残り一ブロックまで削ったようですね」

「そう、でも追い込まれたオブジェクトは何をするかわからない。対策はしているのかしら…」

 ハンナは憂い声で言ったが、英軍はしっかりそこを踏まえ準備をしていたのだった。


 オブジェクト撃墜作戦のトリを引き受けたアークロイヤルの戦闘機隊。これこそが、英海軍が仕掛けた最後の賭けであった。

 急ごしらえの着艦装置を付けてまで艦載機に改造したハリケーン戦闘機には、左右の翼にそれぞれ四挺の七・七ミリ機銃が装備されている。つまり一度に八挺の機銃による強烈な弾幕が張れるのだ。

「いいな、一度に襲い掛かると例の放射状光線を放つ危険がある。一定の距離を保ち、単機で突っ込むんだ」

 ハリケーン隊を率いるリード少佐が無線で全機に告げた。

「ブラックバーン各機はバックアップ態勢に入ってくれ」

 この指示で、三機のブラックバーンは三方向に別れ、オブジェクトを旋回する形で取り囲んだ。

 実は、この速度の遅い爆撃機は、ハリケーンと同じく主翼に八挺の機銃を積んでいる。改造の間に合わなかったハリケーンを穴埋める形でブラックバーンは投入されたのだ。

 なので、爆撃機の操縦桿を握っているのは本来は戦闘機を操るパイロットたちだった。

「さあ、撃墜して見せようじゃないか、この化け物を」

 アークロイヤル戦闘機隊は、最後のブロックだけになったオブジェクトに向け牙を剥いた。


 この時、海上では戦艦山城がまだ奮戦を続けていた。

 角田の操艦は、一定方向にだけ舵を取り続け、その緩急だけで光線の照準をそらすと言う物だった。

 ここまで日向と霧島がやって見せた小刻みに左右に舵を切るのより、こちらの方が回避の割合が大きいという結果が出ていた。

 その証拠に、戦闘開始から二十分経過しても、山城は高角砲二基を潰されただけで、船体の被害はまだ深刻なものになっていなかったのだ。

 だがオブジェクトも狡猾だった。

 ここで二機が連携して高角砲座を挟み撃つように反撃をしてきた。

「二番高角砲座壊滅」

 上甲板の士官からの報告に、角田は「うむ」とだけ答えた。

 残る高角砲は一基。これが潰えたら、他の三戦艦同様に艦内への貫通の可能性が高い反撃を受けることになるだろう。

「正念場か」

 角田がそう呟いた直後だった。

 対空監視をしていた士官が叫んだ。

「オブジェクト一機離脱します!」

「なに!」

 初めて角田の顔に表情の変化が表れた。

 彼は明らかに焦りの色を見せたのだ。

「飛行していく方角は?」

 角田の問いに、監視の士官は答えた。

「英海軍飛行隊の居る空域方向です!」

 疑問の余地なく答えはすぐに出た。

 二機のオブジェクトのうち一機は、断末魔にある仲間のオブジェクトの救助に向かったのだ。

「英海軍機に危険を通知!」

 角田が通信室に命令を出す。

「艦長、残りの一機への対応は?」

 砲術長が不安の色を浮かべながら聞くが、角田は冷静に答えた。

「戦術はそのまま、ここに引き付け続けなければ駄目だ」

 そう、それが彼の職務だった。


 戦艦山城からの急報は、アークロイヤルの戦闘機隊に届いていた。

 だが、戦闘機隊を率いるリード少佐は落ち着いて部下に命じた。

「まずこいつを墜とすことに専念しろ。もう一機が現れ危険な兆候が見えたら全員脱出しろ」

 そうマイクに告げた直後、リードは自分の戦闘機の操縦桿をひねりオブジェクトの最期のブロックに突進した。

 グラジエーダーより旋回性能では劣るが、速度は上回る。

 勘を張ってオブジェクトの回避方向を絞り一気に接近し弾幕を張れば命中弾を叩きこめる確率は上がる。

 リードは心の中でダイスを振って、その方向を決めた。

「真上!」

 トリガーを引く寸前に、リードは機首を上に向け八挺の機銃を一気に唸らせた。

 予想は当たった!

 機銃弾の向かう未来予測位置にオブジェクトの方から飛び込む形になった。

 おそらく数十発の弾丸がオブジェクトの表面を叩き砕いたはずだ。

 黒い破片が無数に飛び散り、次の瞬間空中にあった黒い塊は、まるで爆散するかのように四方へ向かって砕け散っていった。

「やった、のか…」

 目の前に広がる光景に、リードは信じられないと言った顔で目を見開いた。

 そのリードの耳に部下の叫びが届いた。

「オブジェクト一機、信じがたい速度で接近してきます!」

 戦艦山城の上空を離れたオブジェクトの一機は、なんと目算でも時速八百キロ近いであろう速度でこっちに突進してきていた。

 リードは、その様子が尋常ではないと見抜き絶叫した。

「逃げろ!」


 この時、キクの操縦する飛行艇は最初に交戦した戦艦扶桑がいた海域に到達していた。

 周辺に多くの将兵が救命艇や漂流物にしがみつき漂っている。

 戦艦は、つい先ほど沈んだようで、大きな波紋が丸く広がりつつあるのが見えた。

「同じだわ。十月に見た景色もこんなだった。でも、今回は生存者が多い。それがせめてもの…」

 ハンナが外を見ながらそう言った直後だった。

 急にハンナは、下腹に何とも言えぬ違和感を覚えた。

 いや、それはキクも同じだった。

 二人は下腹を押さえ叫んだ。その疼きは間違いなく子宮から来ていた。

「な、何この感覚!」

「怖い!」

 二人が叫んだまさにその瞬間に、惨劇は起きていた。

 一機のオブジェクトが四散し消えたその空域で、新たに駆けつけたオブジェクトが凄まじい速度で放射状に光線を連発し、空中にあった全部の英軍機を撃墜してしまったのだ。

 そして、それを契機にオブジェクトの動きは変わった。それも遠く離れた山城上空に居た一機も含めてだ。


 オブジェクトは文字通り急加速を始め、あっという間に移動を開始したのだ。

「オブジェクト本艦上空より消失! 西へ向かった、艦隊各艦は警戒!」

 戦艦山城からの警戒電が、東に向かいつつある四隻の空母に向け放たれた。

 この通信を受けたA戦闘群司令官ウェンズリーは、数十秒前に戦闘機隊が一機のオブジェクトを撃墜した報告を受けている。

 彼は必死で考えた。

 残る二機のオブジェクトの目的は、帰還しつつある空母機とその母艦。そう考えるしかない。

 オブジェクトは、航空機を戦艦以上に危険な存在と認識し、その駆逐を優先した。

 それが聡明な彼の下した結論だった。

「全空母に反転を指示、帰還途上の航空隊は不時着水を試みよ!」

 しかし、この命令は僅かながら遅かった。

 戦艦山城上空に居た一機のオブジェクトは、速度の遅いカレージアスの飛行隊に既に追いついていたのである。

 これを確認した戦闘機隊指揮官は、迎撃を断念。部下に吠えた。

「脱出しろ、一気に来るぞ!」

 その予想は当たった。

 オブジェクトは、瞬時に飛行中の全機に光線を命中させ、これを撃墜。さらに西に向かって飛行を続けた。航空機が向かっていた先に空母が居ると確信している動きだ。

 明らかにオブジェクトは学習していた。

 前回の加賀撃沈の時の状況も飛行機と空母の関係性をオブジェクトに覚えこませる助けになっていたに違いない。

 この状況はだが、瞬時に飛行隊が壊滅したためカレージアスには伝わっていなかった。

 カレージアスの艦長は、単純にウェンズリーの命令に従う形で転舵はしたが、速度を上げる配慮を怠った。

 この為、飛行隊壊滅から五分後にオブジェクトに捕捉されてしまった。


「カレージアスが攻撃を受けています!」

 アークロイヤルに報告が届いた直後だった。

「グローリアス飛行隊がオブジェクトに追撃されています。隊長は乗員に脱出を指示しました」

 ウェンズリーが必死に考える。

 オブジェクトはどうやって空母の位置を知った?

 だが、それはどうしても判らなかった。

 ウェンズリーに出せる指示は、アークロイヤルに全速力で西へ向かえと言うものだけだった。


 この時恐らく一番冷静に状況を見ていたのは、空母飛龍にいた山口多聞だった。

 仮説を、彼は持っていた。

 オブジェクトは飛行物体を感知する何らかの手段を持っている。

 そして、その未来位置あるいは過去位置予測から、その飛行物体の飛来する元になった、すなわち空母の位置を予測している。

 そうであるなら、加賀が奇襲された理由も判る。

 多数の航空機の襲来を探知し、それを逆に辿った位置に先回りして攻撃してきたのだ。

 山口は冷静に考え、状況を分析する。

 アークロイヤルの飛行隊はもう壊滅している。これが襲われる確率は低いと信じる。

 現在飛行中なのはグローリアスと飛龍飛行隊。位置的にはグローリアス隊の方がオブジェクトに近い。これが捕捉されたら、グローリアスが攻撃される可能性は高い。

 カレージアスを攻撃しているオブジェクトが、これを仕留めたら間違いなく次の目標は自分たちだ。

 山口は命令を下した。

「飛行中の戦闘機隊を、直ちに南に向わせろ! 本艦は北に転舵!」

 西に既に向かい始めていた空母飛龍は、さらに進路を変えて北に向かった。


 母艦から報告を受けた飛龍戦闘機隊は、あと二十分ほどの飛行で母艦に帰還の見込みの位置まで来ていた。山口の決断は、間一髪で彼らを救うことになった。

 というのも、慌てて南に向かった彼らの眼下にすぐに島の姿が見えてきて、そこになんと巨大な飛行場が見えたのだ。

「おい、何だよ、あのでかい基地は!」

 生き残った戦闘機を引き連れてきた三井が目を丸くした。

 その三井の耳にした受信機に声が飛び込んできた。

「飛行中の日本軍戦闘機隊、直ちにわが部隊の基地に緊急着陸してください。こちらは南十字義勇軍基地、現在貴方たちは我が基地の目前に居ます!」

 否も応もなかった。これは指示に従うのが正解だ。

 母艦からどんどん離れていく以上、ここに着陸しなければ機を捨てる以外に道はない。

 順序もへったくれもない、だだっ広い飛行場に小さな艦上戦闘機六機は固まるように着陸した。

 停止した戦闘機に直ちに作業員が駆け寄ってきたが、その中には飛行服姿のパイロットも混じっていた。だが、コックピットから抜け出し翼の上に降りた三井は目を丸くした。

 目の前には大勢の飛行服姿の女性が立っていた。

 その中でも、背が高い黒髪の女性が進み出てきてこう言った。

「生還おめでとうございます。そして、ようこそ南十字義勇軍基地へ。私はここの飛行隊員の馬淵蝶子です」

 相手が日本人女性だと判り、三井は二度びっくりした。

「どうなってるんだこりゃ…」

 それは他の機から降りた海軍戦闘機乗り達も同じ思いであった。


 キクの操縦する飛行艇は着水と離水を七回も繰り返し、重傷と見られる日本軍の将兵合計十二名を収容していた。

「さすがに、これ以上は乗せきれないわね。諦めて一度基地に戻りましょう」

 ハンナがキクに言った。

 テオドールが、そのハンナに告げた。

「日本軍の戦闘機隊が基地に不時着したそうです、オブジェクトは現れませんでした。しかし…」

 そこで暗い表情をして彼は続けた。

「英海軍の飛行隊は壊滅、空母カレージアスとグローリアスが沈没しました」

 ハンナの唇がきっと結ばれ、数秒の沈黙の後こう告げた。

「戦いはまだ終わってない。海上に漂う、総ての将兵を救いきるまで、私たちの戦闘は続きます。さあ、キク急いで基地に戻りまたここに戻ってきましょう」

 キクは力強く答えた。

「もちろんです隊長」

 南十字義勇軍の使命、それは人類を救う事。

 戦いだけが彼女たちの職務ではないのだ。

 やがてロンメルの指示で高速輸送船残り二隻も、空母沈没地点に向け出港し、救援活動は二四時間以上続いた。

 その救援活動の終了をもって、第二次ソロモン海戦は終結したと国際連盟は公式に記録した。

 南十字義勇軍が救助した将兵だけでも総数二千八百名を超えたが、同時に多くの戦死者も収容された。

 基地に並んだ遺体の列を、空に戦うと誓った娘たちは無言で見つめていたが、誰一人そこから目を背けようとはしなかった。

 明日自分はそこに並べられているかもしれない。

 でも、この空を守らなければ、抗う術を持たぬ人間までもが犠牲になる。

 義勇軍の将兵たちは、最前線に立つという意味を改めて現実として突き付けられたのであった。


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