第二次ソロモン海戦1
日本海軍の戦艦部隊は一か月近くマキラ島にほど近い海域で頑張り続けていた。
オブジェクトの行動範囲を広げさせたくはないが、無理に接触すれば被害が出る。
そこで連日、搭載の水上偵察機でオブジェクトの目撃報告が来るたびに遠くから偵察活動を行い、万一その飛行経路が人口の多い島まで広がる予兆が見えたら、その防備のため文字通り捨て身覚悟で移動する。
これをずっと繰り返してきたのだ。
ここまで海上での戦闘に発展した事は無いが、偵察機合計三機がオブジェクトに追撃撃墜され、四名の戦死者を出していた。
その戦艦部隊に、第二回となる対オブジェクト航空作戦の前段階作戦が指示され、この実働に取り掛かったのが一九三八年十二月二十二日の夜明け前の事であった。
それまで二隻単位で行動していた戦艦戦隊は部隊を完全にばらし、それぞれが独航つまり随伴艦すらいない一隻で任務の割り振られた海域へ移動した。
その戦艦部隊の先頭を進むのは、戦艦扶桑であった。
今回の作戦の順列は、なんと山口少将の発案であみだくじによって決められた。
各艦の艦長達の反応はまちまち。山城の角田大佐や日向の西村艦長は面白がったが、今回参戦の戦艦では最古参となる霧島の多田艦長は不真面目だと立腹した。
今作戦での先陣を引き当てた扶桑の岸艦長は、とりあえず無言で肩をすくめただけだったが。
その最も重要な一番手、誰よりも先にオブジェクトと接触する役を担った扶桑は、戦闘海域をまっすぐ東に進んでいた。
十二月二十二日午前五時を回ると、水平線から顔を出した太陽によって視界は一気に拓けた。
戦艦扶桑の戦闘艦橋に陣取った岸福治艦長は、舵輪を握る航海長の背を睨みながら、後方の連絡士官に告げた。
「作戦が始まったら、ボイラーは常に最大圧。機関がぶっ壊れても構わんから、最大船速を維持する。機関科にガンガン焚けと発破かけておけ」
「了解しました」
連絡士官は、艦底に近い主発動機のでんと居座る機関室に通じる伝声管に取り付き、艦橋ではなく機関室に張り付く機関長に艦長の言葉を伝言した。
すぐに機関室から返答が来た。
「爆発限界まで缶圧上げるとの返答です」
岸が不敵に笑った。
「大いに結構」
現在戦艦扶桑は、その巨体に似つかわしくない速度を維持して突き進んでいる。速度はとっくに二十ノットを超えていた。
「対空戦闘は極力抑える、この方針は変更なしですね」
砲術長が確認のために岸に聞いた。
岸は頷きながら返答した。
「ああ、司令部の指示どおりだ。あいつらを引き付ける為の曳光弾以外は、艦が深刻な被害を受けるまで攻撃は禁止だ」
そうなのだ、戦艦部隊はオブジェクトを引き付ける為の囮を担い、航空部隊の作戦準備と主作戦が終了するまでこれを誘導し続ける。だが、攻撃を受ければ超ド級戦艦でも防御しきれる保証はない。
であるから、戦艦は一隻単位で任務を受け持ち、前任の艦が倒れたら次の艦が任務を受け継ぐ捨て身のリレー作戦が予定されているのである。戦艦部隊は文字通りの決死隊である。
岸は、隣の副長に告げた。
「常に最悪の事態に備え、乗員全員はいつでも上甲板の指示に従える準備をさせろ」
「了解しました」
まだ薄明りのソロモン海を扶桑は粛々と進み、ついにマキラ島に近い海域まで到達した。
常なら誰も近づくのを恐れ、攻撃を受けたことのない漁民でさえ悪魔の海と恐れる海域に彼らは踏み入ろうとしているのだった。
「間もなく、オブジェクトの常時周回圏に入ります」
航海士官の報告に岸は時計を見た。
「現地時間〇五二九か、ほぼ予定通りだな。よし、全員臨戦態勢に入れ、これより対オブジェクト誘引作戦を開始する」
この瞬間、第二回となる海戦の幕は切って落とされた。
戦艦扶桑は、目には見えない悪魔の巣窟たちの居る海域への境界を、白波蹴立てて超え入った。
同時刻、一隻ごとにばらけて最小限の護衛駆逐艦だけを連れた四隻の日英空母は、それぞれが戦闘機の発進準備を終えていた。
いや正確に言うと、空母飛龍は戦闘機隊だけを準備していたが、英海軍の三空母のうちアークロイヤルの艦上には戦闘機の他に一回り大きな機体が三機待機していた。
イギリス海軍は、グローリアスとカレージアスにグラスター・シーグラジエーター戦闘機を配置。
アークロイヤルには、なんとまだ空軍でも正式配備が始まって一年しか経っていないホーカー・ハリケーンMk1を急ごしらえで艦上機に改造したハリケーンMk1(S)戦闘機を搭載、さらに三機のブラックバーン・スクア爆撃機を用意していた。
実は今回の作戦の一番重要な部分を握るのが、このアークロイヤルの飛行隊なのであった。
しかし、何故スクア爆撃機を用意したのかは、作戦が始まる前の段階では謎めいて見えた。
各空母では取り決め通り、順次その艦載機の発進を開始した。
オブジェクトによる攻撃を少しでも回避できるよう、この時点では空母はかなり後方の海域にあったが、飛行隊発進後は前進を続け、その帰還が容易なように考えられていた。
加賀が二次攻撃隊発進前に叩かれたことを教訓に、今回どの空母も必要最小限の航空機だけを搭載、これを一気に空に上げてしまう作戦を取っていた。
「始まったな」
空母飛龍から発進していく九六式艦戦を見送りながら、山口多聞が呟いた。
九機の戦闘機はものの五分で全機が空に舞い上がっていた。
今回の作戦では、航空隊は文字通り少数精鋭で編まれた。
飛龍には最初からこの九機の戦闘機だけしか載せられていない。残りの艦載機は、すべてポートモレスビーの基地に置いて来ていた。
発艦を完了した戦闘機隊は、おおむね時速三〇〇キロを維持し東に向かう。現在地点からだと、一時間強の飛行で、国際連盟が暫定的に決めたオブジェクトの占領空域に到達する。
だが飛龍飛行隊は、単純に突っ込むのではなく海上の戦艦部隊と連携を行う事になっていた。
「ヒ一番より艦隊各位、受信状況を確認願う」
空中無線を操作し飛行隊を率いる飛行隊長の三井大尉がマイクに向け喋った。
「戦艦霧島通信室より返信、感度良好、送れ」
「戦艦扶桑通信室より返信、同じ感度良好、送れ」
「戦艦日向通信室より返信、音声明瞭感度良好、送れ」
「戦艦山城通信室より返信、感度良好作戦に支障なしと判断す、各隊予定通り作戦に移行せよ」
各戦艦からの音声は、かなりはっきりと九機の戦闘機の操縦士たちの耳に届いた。
「凄いですね英国製無線の性能は」
思わずそう感嘆の声を漏らしたのは、戦闘機隊の最右翼第二小隊二番機を受け持っていた広澤二飛曹であった。
そうなのだ、前回の海戦で全く使い物にならなかった日本製の空中無線に替わり、日本の戦闘機には総て英国製の最新式空中無線機が搭載されたのだ。この戦いが始まり、緊密な関係を取り戻した日英両国は各種の機材、各々が不得手とする分野のそれを融通しあった。無線hその代表的な装備だった。
「私語慎め、指示が通じなくなる。悪口や罵りも筒抜けだと覚悟しろよ」
三井大尉がそう言って、ふっと笑い声独特の吐息を吐いたのも無線から聞こえてきていた。
飛龍戦闘機隊は、戦艦部隊がオブジェクトと接触を開始したら英海軍機が網を張る海域まで、一機のオブジェクトだけを分離させ誘導するという困難な任務が与えられていた。
戦艦部隊の連携作戦は、つまり残りのオブジェクトを別海域に誘引する言ってみれば囮としての捨て身作戦なのだ。
戦闘の最初期段階を担う戦艦扶桑の艦橋の見張り員は、大型双眼鏡で白んできた空を睨み、オブジェクト出現の兆候を見逃すまいと身構えていた。
現地時間〇五四〇、ついにその瞬間はやって来た。
「オブジェクト確認。合計三機接近してきます」
見張りからの報告に岸がすぐに怒鳴った。
「手順守れ、高角砲一番より順次威嚇弾を準備」
副長が見張り所に確認を求めた。
「オブジェクトの現状を報告せよ」
見張り員は頑丈な脚に固定された双眼鏡を覗いたまま返答する。
「三機が密集隊形」
岸が、腕組みをしてふむと漏らした。
「威嚇でばらけてくれれば幸いなんだがな」
砲術長が射撃を管制する指示板の前で砲座との直接会話の為電話を握る。
「距離二千で発砲だ。焦るなよ。発砲と同時に外扉開放、脱出を急げ」
奇妙な指示に聞こえるが、前回作戦と最初の接触戦闘となった英海軍軽巡洋艦エンタープライズの戦訓を検証した結果、この方策が取られることになったのである。
オブジェクトは混戦状態にならない限り的確に攻撃を行った兵器へ反撃をしてきた。だから、威嚇を行った砲座は間違いなく攻撃対象になると踏み、発砲と同時に装填手も砲手も脱出をする手順となったのだ。囮であるから、攻撃力を残す事より敵の誘因を最優先し、砲座は発砲毎に切り捨てる、捨て身としか形容のしようがない作戦である。
威嚇一番手を担ったのは、三年前の改装で装備された連装の十二・七センチ高角砲の一番砲座。最新鋭の装備を真っ先に潰さなければならないわけだが、射程距離と口径の大きな砲からの曳光弾の方が威嚇に向いているという条件でこれは決められた。
四基の高角砲座が潰えたら、次は二十五ミリ三連装機関砲の出番となる。
主砲は出来れば使いたくない。攻撃によって弾薬庫への誘爆を起こす可能性が高いからだ。
高角砲の測距儀を覗く観測手がオブジェクトまでの距離を読み上げる。
「現在二千三百、二千二百、二千百…」
既に二発の砲弾を装填し終えている高角砲座は、密閉式の紡盾砲塔の甲板に脱出するための扉を押し開いていた。
砲塔長が叫ぶ。
「砲手以外総員退避」
その叫びとほぼ同時だった。
「距離二千です! 発砲よろしく!」
観測手は叫び装填手たちと共に甲板に飛び出した。
砲手は絵に照準を終えていた砲の発射栓を叩くと、自分も大急ぎで砲塔から飛び出した。
ドンという発射音が〇コンマ数秒の差で響き、二発の曳光弾がオブジェクトの編隊に迫った。
三機のオブジェクトは、砲弾を容易くかわす様な挙動で、即座に三方向に散り、そのうちの一機が光線を放った。
発砲から六秒後、オブジェクトの放った光線が一番高角砲の装甲を貫いた。
砲塔内に余分な砲弾は無いから誘爆は起きなかったが、この一回の攻撃で二門の十二・七センチ砲はその砲尾部分を破壊され使用不能になった。
光線は数十センチ幅で横に薙いでおり、内部に砲手たちが残っていたら何人かはその強烈な威力で体を引き裂かれていたはずだ。
冷や汗をかきながら艦内に退避する砲塔要員たちの無事を確認し、砲術長は安堵のため息を漏らしたが、まだ作戦は成功したわけではない。
岸艦長の命令が飛ぶ。
「誘導を開始する。面舵九十度。二番高角砲発砲準備!」
扶桑の現在速度は二十三ノット、ほとんど全速力に近い。その状態のまま艦は大きく舵を切った。
この動きに、上空で散開したオブジェクトは、それぞれ離れたまま扶桑の追尾を始めた。
「かかってくれたか!」
これを認め、岸は拳を握り頷いた。
正念場は、これからだ。彼の表情がそれを物語っていた。




