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丸腰の侍たち

 日英機動部隊による第二回オブジェクト攻撃作戦が始動した頃、日英それぞれの本国では対オブジェクト作戦に関し、それぞれ違うアプローチで新たな作戦が準備されていた。

 日本の作戦を主導しているのは、これまで何も手を出せずにいた陸軍であった。

 対中戦争の休戦の目途が立ったこともあり、海軍に若干遅れながらも陸軍も人事刷新を断行した。

 夏前に一度参謀本部を離れた元作戦課長の武藤章大佐が、中国から呼び戻され、新たに新設された対オブジェクト作戦の専任の参謀として就任した。

 陸軍における対オブジェクト作戦の総指揮官は、やはり中国から呼び戻された山下奉文中将が拝命した。

 市ヶ谷の陸軍参謀本部内に設けられた対オブジェクト作戦課では、この日参謀総長の閑院宮大将も臨席しある極秘の会議が開かれていた。

「民間側の人間も到着したようです」

 作戦課の参謀の一人、長少佐が居並ぶ一同に告げた。

「正直自分はこの戦いに民間人を巻き込むのに心苦しい思いを禁じ得ない」

 山下が言った。

「しかし閣下、これは専門の技術と技量がなくして遂行しえない作戦です。我ら陸軍が全力で彼らを守る、その一点をもって協力を懇願するしかない内容の作戦だと理解ください」

 武藤も表情を暗くしたまま言った。

「とにかく、総てを説明し、彼らの助力が可能かを確認しようではないか」

 閑院宮載仁親王が言った。

「わかりました。彼らを通してくれ」

 部屋に通されたのは五人の民間人だった。

 一番年長の男が、かぶっていたハンチングを脱ぎ頭を下げた。

「東宝映画社長の植村泰二でございます。本日は、大役のご指名有難く任じるべく参上いたしました」

 植村の言った東宝映画は、会社としては前年誕生したばかりの新しいもので、親会社は宝塚劇場である。しかし、このトーキー映画専門に設立された新会社は、多くの逸材を引き抜くような形で合併の末出来上がった会社で、その撮影技術は日活や松竹より一歩抜き出ていると評判であった。

「楽にしたまえ、実際に君たちにこの役を任せるかどうか、それを決めるのがこの会議であり、君達は説明を聞いた上でこれを断る権利も持っている」

 山下がそう説明すると、民間人たち、すなわち東宝の社員たちは意外そうに顔を見合わせた。

 当然だろう。これまで、お上からの要請は一方的に押し付けられるもので、これを断るなど言語道断というのが日本の社会の通例だったのだから。

「とにかく、説明を聞いてくれたまえ。武藤君よろしく頼む」

 山下の促され、武藤は頷き東宝の社員たちに説明を開始した。

「さて、諸兄らも新聞やラジオの報道でオブジェクトの脅威に関しては承知していることと思う。十月に行われた戦闘で、我が海軍と英国海軍は大敗した。これは隠しようのない真実だ」

 東宝の社員たちは、これがオブジェクトに関わる仕事だという事は先に聞いていたので、特に抵抗なくこの説明には頷いた。

「現状我が軍も英国軍も、このオブジェクトの正体に関し事実上何一つ掴んでいない。これは報道されてはいないが、包み隠しない真実なのだ」

 これは間違いなく口外してはいけない話だ。民間人たちが一気に緊張した。

 武藤は続ける。

「そこで、我が陸軍と英国陸軍は、それぞれ別の角度からあの奇妙なる飛翔体の正体を探り、そこから彼らの弱点を考察するための観察作戦を企図することとなった」

 ここでようやく東宝社員たちは、自分たちがここに呼ばれた理由に思い至った。

「陸軍は、諸兄らに現地に赴き、あの謎の飛翔体の出現する亀裂の長期観察と撮影を担ってもらいたい。これは、はっきり言うが、生還の保証のまったく無い作戦である。民間人である諸兄らに、これを強いる権利は帝国陸軍をしても持たない。危険だと思ったらこの場で辞退してくれ」

 東宝映画の社員たちは一様に驚きの表情を見せた。

 これまで、お上からの通たちは常に一方通行。命じられたら首は横に振れない。それが日本における常識だった。

 それが、嫌なら辞めても良いと言うのは正直信じられない話で、半ば狐につままれでもした気分を味わったのである。

 だが、陸軍軍人がわざわざ呼んだ民間人に嘘をつくはずもない。

 その背後にあるものを皆が考えた時、真っ先にそれに気付いて反応した者がいた。

 東宝の社員の一人、一番の若手と思しき男が挙手をして発言を求めたのである。

「一つ確認したい事があります。よろしいでしょうか」

 山下が小さく頷いた。

「構わんよ、君は?」

 若い男は姿勢を崩さず名乗った。

「東宝映画助監督の黒澤明と言います。質問許可ありがとうございます」

 礼儀正しく頭を下げた黒澤に、山下が重ねて聞いた。

「質問とは?」

 黒澤は言った。

「問題のオブジェクト、これの脅威とはどの程度のものなのでしょう」

 この問いに、陸軍士官たちは思わず顔を見合わせた。

 これは語るべきことなのか…

 だが、山下が軽く片手を挙げ、自分が説明しようと小さく告げ、東宝映画の社員たちに向き直った。

「正直に言おう。現在世界中のどの国の軍隊も、あれに勝つ方策を見出していない。このまま彼らの数が増え続けた場合、それを押し留めるのは困難だ。早期に敵の撃退法を確立しなければ…」

 山下は一度そこで言葉を切り、一段低い声で告げた。

「間違いなく世界は彼らに屈する。この日本もやがては戦場となり、総てが焼き尽くされるかもしれない」

 東宝映画の社員たちは衝撃に絶句し目を見開いた。

 報道では知らされていない真実をいきなり突き付けられたのだ、当然であろう。

 それほどの危険だから、彼らは自分たちに行けと言う一方的命令を出せなかった。

 東宝の社員たちはそう気が付かされた。

 武藤が話を受け継いだ。

「このまま世界を彼らに侵略させるわけにはいかない。一刻も早くオブジェクトの弱点を探らねばならない。だからこそ、無茶を承知で諸兄らに現地へ向かうことを願い出ている。もし断ると言うなら仕方ない他社にあたり撮影班を…」

 そこで、いきなり東宝の社員の一人が一歩前に出て大きな声で告げた。

「その仕事、受けさせていただきます」

 ひときわ眼光の鋭いその男は、そう言うとさらに付け加えた。

「数多い映画関係者から、自分たちを選んでいただいた事、そして包み隠さずに窮状を教えてくれた真摯な態度。この状況で、要請を断るなど日本男児として出来るはずがありません」

 その潔い態度に感銘したのか、それまで口を開かなかった閑院宮載仁親王大将が問いかけた。

「君の名前は?」

 男が直立したまま答えた。

「東宝映画監督、伊丹万作」

 映画の好きな武藤が、あっと声を上げた。

「知っているのか」

 閑院宮参謀総長が武藤に聞いた。

「はい、君は片岡千恵蔵の映画を撮った監督でありますね」

 伊丹は頷いた。

「左様です」

 陸軍士官たちが、ほうと言いながら彼を見た。

 大スター片岡千恵蔵を知らない日本人はいない。

 山下が、伊丹に向け頭を下げた。

「ありがとう、心から感謝する。だが、先ほども言ったように、これは非常に危険な任務だ。陸軍は全力で君たちを守るが、最悪の事態は常に覚悟してもらわなくてはならんぞ」

「望むところです」

 伊丹は不敵に笑った。

 その時、横に立っていた黒澤が伊丹に言った。

「伊丹さん、任務を受けるの良いのですが、この内容ですと我が社の映像技師だけでは役目を熟せるか心許ない」

 伊丹はこの言葉にやや顔をしかめ頷いた。

「その通りだな。一台のカメラで追える相手ではない。となれば二台目、いや三台目まで用意しないと心許ない」

 武藤が怪訝そうに聞いた。

「どういう事かね、それは?」

 伊丹が説明をした。

「現在の商業映画は、固定したカメラのフレームに役者の方が入って来て演技をします。しかし、今回の役目では、空に浮かぶ相手に常にカメラの方が追い続けねばならない。わざわざ我々専門の映画技術者を調査隊に抜擢した以上、緻密なる映像が必要なのだという事はわかります。ですが、出来上がったばかりの新興会社である東宝映画には、三十五ミリフィルムカメラを自在に振れる技量を持つカメラマンは一人しかおりません」

 陸軍士官たちは、むっと唸った。

「では、どうすればいい?」

 山下が聞くと、黒澤がここは私にと言って前に出た。

「この二名のカメラマンを、引き抜いて調査隊に加えてください。日本が世界に誇れる腕を持つものです。一人は新興キネマの中井朝一氏、もう一人は日活の宮川一夫氏です」

 陸軍士官たちは、ふむと頷き聞いた。

「その二人に声をかける事は承知するが、彼らが承諾するという保証はないぞ」

 だが、黒澤はにやっと笑った。

「いえ、絶対に大丈夫です。お二人とも、今まで誰も撮った事のない映像を撮ってほしいと頼めば、自分の命の危険なんて関係なく二つ返事で引き受けますよ」

 そしてこの黒澤の予言は現実になる。

 日本陸軍のオブジェクト調査隊は、一月一日を目途に日本を出立することになるのだった。


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