生きる決意、死なない決意
およそ二時間の会議が終わり、源田達は飛龍に戻った。
「作戦に変更はありません。全艦明日未明に出港、作戦開始は明後日現地時間〇五三〇。現地の我が海軍第一艦隊戦艦部隊の陽動が第一弾作戦となります」
源田の報告に山口は頷いた。
「我が二航戦飛行隊の現着予想時間は?」
「〇六三〇前後を予想しております」
山口が腕組みをする。
「さて、一時間近い長丁場。なんとか乗り切って欲しいな四隻の戦艦には…」
「連携作戦が上手く機能してくれればよいのですが」
源田の言葉に山口が頷く。
彼らが語る連携作戦とは、約三週間以上もオブジェクトの飛翔する海域を、文字通りギリギリの位置で見張り続けた日本海軍の戦艦部隊。扶桑、山城、霧島、日向の四隻の超ド級戦艦が行う、機動部隊航空隊が到着する前にオブジェクトを航空作戦海域に誘導する為の初段作戦であった。
この最前線に張り付く四戦艦は、十一月に行われた連合艦隊再編成で第一艦隊から切り離され、新たに臨時編成された遣ソロモン艦隊に真っ先に組み込まれたもので、山城が新たな第二戦隊旗艦、扶桑が戦列艦。第三戦隊の旗艦としては、四隻の中では一番新しい、それでも就役からもう二十年以上経過した日向が受け持ち、戦列艦として最古参艦の霧島が入った。
ここに最新鋭空母の飛龍が加わり、機動部隊護衛として第二艦隊から切り離された重巡戦隊から選抜される形で、先の海戦で被害を受けた青葉と衣笠に入れ替わる形で妙高と足柄、さらに那智の三隻が駆けつけていた。同行した駆逐艦は十八隻。日本海軍が本気になって対オブジェクト戦闘を睨んでいるのがわかる。
さらに日本海軍は、状況を見て高速機動の可能な水雷戦隊をほぼ全力でこの海域に送り込む予定で、現在その再編成の真っ最中だった。
山本長官はこう平沼首相に言い切った。
「今必要なのは、何より逃げ足の速さ。だから、駆逐艦はごっそり持って行かせます。空母はこの先消耗品になりましょう。駆逐艦には、脱出した操縦士を拾い上げ助ける任務を優先して割り振る、それが今後の連合艦隊の戦い方の基本となります。有効にオブジェクトを倒す手段が見つかるまで、この方針は変えません」
おそらく武将としての山本五十六の本能と緻密に情報を精査し状況を読み解ける才覚が、この戦いがまさに生存競争なのだという真実を見抜いていたのであろう。
「君はこの先、日本政府に何を望む?」
首相の問いかけに山本はきっぱり言い切った。
「まずパイロット、そして戦闘機、さらなる空母。その先は、他の国が考えましょう」
最前線の盾となり、日本海軍が摺り潰れるその日まで、山本は戦い抜く腹を決めていた。
山口は、その山本の心情を痛いほどよくわかっていた。
航空作戦を重要視し、海軍航空隊をここまで育ててきたのは山本五十六であり、その庇護の下で提督にまで上り詰めたのが山口多聞なのだ。山口は、文字どおり山本の秘蔵っ子なのである。
その山口は、自分に課せられた重責を職務であると割り切り、どんな困難にもくじけぬ覚悟を決めていた。
「どんな地獄を見ても怯まぬ心、散っていった三並提督や将兵たちの魂に報いる為にも…」
源田の報告を聞いた後、瞑目した山口は己の言い聞かせる為、そう小さく口の中で呟いた。
この先、自分に待ち受けているであろう過酷な運命を、予感ではなく確実なる予想として頭に思い浮かべながら…
この作戦を立案するにあたっては、前の海戦で死地から生還した一航戦の航空参謀秋山の助言が大きく反映されていた。
戦死した三並少将に、生きて連合艦隊司令部に報告しろと命じられた彼は、文字どおr屍を乗り越えるようにして生還を果たした。
そしてオブジェクトの脅威を余すことなく山本長官に伝えたのである。
この話を聞いた山本が山口に言ったのが、この言葉であった。
「あれは人間の知る戦場ではない、悪魔が作った地獄以外の何物でもない。いいか、この先どんな状況になっても怯んではならぬ。そして、貴様は生きて戦い続けねばならぬ。日本のためなどではない、人類の未来のためにだ」
いったい何が待ち受けているか、山口にはまだ想像も出来てはいない。
だが、そこに既存の戦訓など役に立たぬであろう戦場が待っている事だけは確かだった。
「強かに、そして狡猾に…」
山口は静かにもう一度瞑目すると、大きく肩で息をし、まだ室内に居た源田に言った。
「今夜は酒保を開けさせろ。ただし、操縦士は二合までだ」
源田が首を傾げた。
「生きて帰ることに固執しろというのに、酒をふるまうのですか?」
山口が笑って答えた。
「この世の方が地獄よりましだって思えば、皆這ってでも帰ってくるだろう」
源田も笑った。
「了解しました」
兵士に死ねというのは簡単だ。生きて帰れ、これほど難しい命令は無い。
相手が自分より確実に強大な相手だと知れているのだからなおさらだ。
それでも山口は、パイロット達に誰一人死んでほしくなかった。
オブジェクトに対抗できるのは、今現在戦闘機を操る彼らだけだとよく理解しているからだ。
「さて、私も酒をたしなむか」
山口はそう言うと、当番士官を呼ぶために司令官室の電話の受話器を掴み上げた。
その夜、空母飛龍では殆どの乗員が静かに酒の味を楽しんだ。
この世にある事の意味を噛みしめるかのように。この味を忘れず、もう一度口にしようと心に誓う為に。
決戦は目前だった。




