最前線へ
新しい基地への移動準備は、ハンナの演説が終わった直後から始まった。
飛行場の隅に置かれた簡易テーブルの周りに全員が集まり、それを囲んでいた。
「ハインケルの機体に装備してある増加燃料タンクのおかげで、新基地までは無着陸で飛べるわ」
ハンナは、飛行服姿のパイロットたちに告げた。
「かなりの長距離飛行ですね、ハンナ姉さん」
ベアテが、航空地図を睨みながら言った。
「うん、だから先導を私ときよ子がDC3で行うわ。新しく編んだ中隊単位で編隊を組んで、私の機についてくれば問題なく到着できるはずよ」
「隊長の戦闘機はどうするのですか? 隊長にピストン輸送をする暇は無いと思いますが」
テオドールが聞いた。
「ああ、それは心配なく。もう現地に到着してる頃だから」
「え?」
一同が怪訝そうにハンナの顔を見た。
「ちょっとね、本国から連絡があって新型兵器のテスト機を兼ねた機体が二日前に到着したのよ。だから、部隊の所帯荷物と一緒にそのまんま高速輸送船に乗せて送り出したってわけ」
「それどんな新型機?」
マリーが目をキラッと光らせて聞いた。
「乗りたそうねマリー、たぶんあなたが乗るより先にコックピットに潜り込みそうな人が一人いるんだけど」
そう言ってハンナが見たのは、ジャクリーンだった。
「ちょっと待って、あたしを見てるって事は…!」
ジャクリーンがハンナの前にいきなり顔を突き出しすごい剣幕で訊いた。
「それ、その機体、いったいどれくらいのスピードが出るの!」
ハンナが苦笑しながら答えた。
「間違いなくあなたの世界記録は破れるでしょうね」
ジャクリーンは、ぎゅっと拳を握ると奥歯を噛み締めてから、物凄い剣幕でハンナに言った。
「あたしに乗らせなかったら、一生許さないわよハンナ!」
これは堪らないとばかりに、ハンナが両手でジャクリーンを制しながら答えた。
「わかったわよ、私が試験するのは兵器の方だから、速度の方はあなたが挑戦してみて」
「よし、手を打った!」
スピードスターはそう言ってハンナの手を力強く握った。
「ハンナ隊長、最終確認です。この島の飛行場への侵入には、西からのアプローチで問題ないのですね」
きよ子が車椅子からハンナを見上げて聞いた。
「そうよ、風向きは常に南北方向どちらかに限られていると現地から報告があって、離陸も着陸も常に横風という悪条件ではあるけど、当面は我慢して。二週間以内にもう一本の横風用滑走路も完成するはずだから」
「そんな短期間でですか」
キクが驚いて聞いた。
「ええ、これまで頑張ってくれたアメリカの土木機械に加えて、今週新たにソビエトから大量の機械が到着するの。船はもうウラジオストックを十日前に出ているから、順調ならあと三日くらいって感じかしら」
「軍用輸送船すか、かなり速度が速いんすね。あたいの乗ったイタリアの客船は、ケープタウンからロンドンまで三週間もかかりましたよ」
ジャッキーが言った。北半球から南半球と真逆だが、なるほどその航海距離は似通っていた。
「輸送船というか、軍艦そのものみたいね。ソ連軍は、駆逐艦の甲板から大砲を全部取り払って、土木機械を乗せる船を四隻も作ったらしいの。それもたったの一週間で」
「どんな国なんだソビエト、工業化が進んでいるとは聞いたけど、そんな短時間に工事できるとか信じられない」
そう言ったのはフィンランドから参加した青年飛行家のウルマン・カコネンであった。
フィンランドの国軍は、規模が小さく今回の事件でも派兵に必要な兵力と予算が作れなかった。しかも、ポーランドと同様に突如として国境地帯にソ連軍が終結したから、警戒して派兵を見送った。
この動きを事前に察知していたカコネンは、空軍への参加ではなく義勇軍参加の道を選んだのだった。
彼は元々は山岳地帯の航空パトロールを行う飛行士であった。
この時、キクの頭にある疑問が生じた。
「隊長、一つ聞いておきたいことがあります」
「何かしらキク」
ハンナが言うと、誰もが気にしながらもこれまで聞けなかった質問を、キクはストレートにハンナにぶつけた。
「私たち義勇軍の使うこの大量の兵器、そして資材、さらには新しい航空基地、これはいったい誰が用意してくれているのですか?」
この質問に、元ドイツ軍人以外の全員が「あっ」と声を上げ、ハンナを注視した。
「あ、言ってなかった…」
ハンナが、思わず舌を出し漏らした。
何かもうすでに全員が判っている、勝手にそう思い込んでいた節がある。
一度咳払いしてから、ハンナは言った。
「もうみんな地獄まで同行を承諾したんだから、何も隠す必要はないわね。私たち義勇軍の後ろ盾は、ドイツ共和国政府とアメリカ合衆国政府よ」
「え! ドイツだけじゃなくてアメリカまで!」
蝶子が声を上げた。
「ええ、もう陸上部隊が両国から到着しあたしたちを待っているわ、もちろん全員、民間人として義勇軍に参加しているんですけどね、そのお膳立ては各々の政府がやってくれたってことよ」
ハンナがさらっと言ってのけた。
パイロットは聡明な人間が多い。この言葉だけで、大多数の者が、ここ数か月の世界情勢の流れが瞬時に飲み込めた。
「それで、アメリカ海軍はここに居ないのね。でも、彼らは何をしてるの? アメリカの海軍力は日本やイギリスより大きい筈じゃなかった」
マリーが聞いた。
「それは私もよくは知らない、ごめん。でも、亀裂に対する決定的な兵器の開発は、アメリカを拠点に行っていると聞いたわ。それがどんな規模なのかわからないけど、軍の派遣を見合わせるほどの巨大なプロジェクトなのは間違いないわね。多分アメリカ海軍は、そのプロジェクトに大きく関わっているという事なんじゃないかしら」
ここで、テオドールが口をはさんだ。
「ハンナさん、それともう一個付け加えないといけないことが、先ほど司令部の方に報告が来ていました。さっきの演説に感動して、すっかり忘れてました」
「え? なにそれ?」
ハンナが首を傾げてテオドールに聞いた。
テオドールが、なんとなくすまなそうな顔で言った。
「ええとですね、ソ連空軍司令官の名義で送られてきたのですが、今回国際連盟の合同軍とは切り離し、女性だけで作った一個戦闘飛行大隊を年頭から二月の間に現地、つまり私たちの新基地に派遣する。その指揮権のすべてを、ハンナさんに移譲すると…」
「一個」
「飛行」
「大隊!」
ビクターとマリーとジャクリーンが目を丸くして叫んだ。
「こりゃびっくりだわ!」
ハンナも目を真ん丸にして叫んた。
ビクターが一同を見回してからハンナに言った。
「そのロシアっ娘たちが来たら、うちら一気に戦力が倍になるじゃないの?」
ハンナが指を折って計算する。
「確かロシアの空軍の編成はドイツ軍と同じだから…戦闘機だけで最低36機!」
マリーが小刻みに首を揺らしながら言った。
「大した大所帯になるわね」
「そうですね」
テオドールが肩をすくめ頷いた。
「賑やかなのは大歓迎よ」
ジャクリーンが笑いながら言った。
この時、他の女性パイロット達と全然別の反応をした女性が一人だけいた。
「ロシア娘、金髪、透き通る白い肌…」
木部しげのは、自分の唇の端からよだれが出ているのに気づかなかった。
まあ、それは置いておいて、一同は航路の最終確認作業に入り、それぞれ自分の航空地図に目的地までの経路や、予想通過地点の目印などを書き込み始めた。
地図をまじまじと見ながら、蝶子がハンナに聞いた。
「ハンナさん、このあたしたちが向かう島の名前、うちら日本人には難しくて読みにくいんですが、正確にはなんて読むのですか?」
ハンナが、ああと言って地図の一点を指さし言った。
「ここは、ガダルカナルさ」




