赤い巨星の決意
世界の耳目が南太平洋に向いている最中、ソビエトの首都モスクワでは、首相のスターリンが共産党政治局員たちを前に会議を進めていた。
「ようやく、世界に向け声明を出せる段階に到達したか」
スターリンは満足そうに頷いた。
「こんな非常識な行動を起こすなど、どこの国も理解を示してくれない。同志首相はそう仰いましたね。だから、ここまでの時間が必要になったのです」
若いが有能で知られる政治局員がそう言った。
スターリンは彼の名前を知らなかった。
「君が、国境に陸軍全兵力を展開させた指揮を執った人間かね?」
スターリンが聞いた。
新任の政治議長マレンコフが頷きながら彼を紹介した。
「今回新たに政治局員になったフルシチョフ同志です。大変有能な男です」
スターリンは頷いた。
「そうか、だがこれで声明を出せば、各国も我々が懸念していること、その予防のための軍事展開であることを理解してくれるだろう。同胞ドイツは、すでに我々の姿勢を擁護する政治発表の準備ができたと伝えてきている」
そこでスターリンは、一同を見回し言った。
「我が国の空は、明日から全くの無防備となる。同時に、我が国の国民に広く、空軍への参加を呼びかけ、より多くのパイロットを養成しなければならない。覚悟は良いな同志たちよ」
そこで、一人の政治委員が手を上げ、スターリンに発言の許可を求めた。スターリンが極めて優秀だと認めている男性だった。
「なにかねベリヤ同志」
「今回の作戦動員前に行った粛清によって、赤軍にもかなり上位指揮官の空席が目立っております。このため、女性指揮官の昇格を求める嘆願が来ております。空軍も例外でなく、今回の派遣部隊全体のバランスを考えますと、これは一考の余地があると存じます」
実はオブジェクトの騒ぎが起こる直前、ソビエト国内では大きな政治的粛清が行われ、延べ十万を超える人間が、収容所に送られるか、より手っ取り早くあの世に送られてしまった。
この粛清は、政治委員にも及び、ソビエトの最高諮問機関である大議会委員五十名のうち生き残ったのはわずかに三名だった。
ベリヤもその生き残った中の一人だ。彼はスターリンの眼鏡にかなったと言う訳だ。
この大粛清によって、ソビエト軍の中核にも空席が目立つことになった。
このままの状態で、なるほどスターリンがこれから発表しようとしている作戦を発動したら、指揮官の座はあちこち不足することになりそうだった。
ベリヤが言った女性指揮官に関しては、ソビエト建国以来ずっと男女同権を信条として来たこともあり、多くの女性士官がこれまで誕生していた。
ただ、まだ建国から二十年に満たない国である。上級指揮官、つまり上級佐官や将軍を輩出するには至っていない。
ベリヤは、女性指揮官に大佐以上の階級に就いてもらい、部隊指揮を委ねようと提案したのだ。
「その件に関して異存はない同志、だが一つ私から頼みがある」
スターリンはそう言うと全員を一度見まわしてから言った。
「ドイツのハウレル大統領に、一つ貸しを作っておきたいのだ。そこで…」
そのあとスターリンが提案した話は、すぐに実行に移されることになった。
そして、かねて進めていた世界に向けての声明が、この翌日大々的に発表されたのであった。
「ソビエト連邦所属の全空軍戦力を例外なく南太平洋に派遣する。併せて、本日より対オブジェクト作戦に参加する全世界の航空機に対し、ソビエト領空の自由航行を容認する。欧州からアジアの全域への航空輸送は、ソビエトがこの安全を保障する。その為の担保として、ソビエト国境がいかなる国家組織にも侵されぬよう、陸軍兵力は対オブジェクト戦闘が終結するまで、国境全域の守備にあたる」
これがソビエトが世界にぶちまけた声明であった。
なんと、ソビエト空軍はその保有する一線級の航空戦力およそ千四百機の戦闘機と輸送機爆撃機そしてこの運用のための人員を南太平洋に派遣すると言ったのだ。つまり、自国の空の警備を全く放棄して、対オブジェクト戦闘に差し向けると発表したのである。
この発表の内容に世界中がどよめいた。
それまで日和見を決め込んでいた各国も、このあまりにも潔い発表の前に、自国でも真剣に派遣軍に関する話し合いをやり直すべきだと機運が持ち上がったのである。
ずっと沈黙していたファシズム国家のイタリヤやスペインでさえ、派兵に前向きになったくらいだ。
しかし、この決定がある意味現場における混乱を生み、新たな悲劇の種になるとはまだ誰も気付いてはいなかった。




