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南十字の下に集いし者たち

 馬淵蝶子たち日本人四人を乗せたベアテの操縦するDC3輸送機がケアンズに到着したのと同じ日、シンガポールを経由したマリーとエミーそしてジャッキーを乗せたデハビランド機も同地に着陸しようとしていた。

 運命とは思わぬ悪戯をするものである。

 先に到着し、キクと二人できよ子を車いすに乗せていた蝶子は、何か予感めいたものを感じ着陸態勢に入ったイングランドの旗を尾翼に描いた民間機を見上げた。

「キクさん、あの機体やっぱり義勇軍に参加する人たちよね」

「でしょうね、ここに居るのはどうやら義勇軍に入る人たちばかりみたいだから」

 キクはそう言うと、飛行場のエプロンに並んだいろんな国のラウンデルを描いた雑多な航空機を見つめた。中には遠く南米ブラジルのそれまで見えた。

「女性ってどれくらい居るのかしら?」

 きよ子が不安そうに蝶子を見上げ言った。

「どうかなあ、ここまで操縦してきたベアテちゃんも女性だし、少なくはないと思うけど…」

 そこに一人の若い白人女性が歩み寄って来て声をかけた。

「あなた方が、日本からの友人ね」

 少し離れた所に立っていた木部しげのが、短い髪を撫でつけながらその女性に近付き、器用に西洋式の、それも男性がする挨拶。つまり、その女性の手を取り唇を押し付けてから答えた。

「そうさ、お嬢さん、僕たちが日本から参加者だよ。お嬢さんは、事務の方かな?」

 すると白人女性は、ニコッと笑って答えた。

「ようこそ南十字義勇軍飛行隊へ、私がここの総司令官ハンナ・ライチェです。貴方が、木部しげのさんね、そしてそちらの大きな方が馬淵蝶子さん、三つ編みの方が松本キクさん、そして…」

 ハンナが、車いすの長山きよ子の手を握り優しい声で言った。

「そんな体で良くおいで下さいました、長山さん。私は貴女を心から歓迎します」

 きよ子は、ハンナの手を握り返しながら言った。

「私がお役に立てるかは判りません。でも、ここに来ることだけが私に課せられた運命だと信じてやって来ました。どうぞ、末席に置いてやってください」

 ハンナは首を鋭く一回振って、力強くこう言った。

「いえ、とんでもないですわ。私は是非、私の苦手な地上における参謀役を貴女にやってもらいたい。貴方の航法策定技術が素晴らしいのは、事前の調査で判っています。どうぞ受けてください、この役を」

 きよ子の顔がぱっと輝いた。

 そのきよ子の肩を蝶子の大きな手がガシッと掴んだ。

「良かったね、きよ子!」

 きよ子は満面の笑顔で蝶子を振り仰ぎ、頷いた。

「ええ、有難いわ」

 そこまで、やや呆気に取られていた木部が、はっとしてハンナを見た。

「総司令官… お嬢さんが、いえ、ハンナさん…、君があのハンナ・ライチェなのかい?」

 ハンナが苦笑いしながら木部に答えた。

「あのが、どのことかは判らないけど、私はハンナ・ライチェ。ドイツのパイロットよ」

 その瞬間にキクは気が付いた。

「お蝶、この人が、滑空世界記録保持者のハンナ・ライチェよ! あの回転翼機でオリンピック会場を飛んで見せた世界最初の人間よ!」

 蝶子は「あっ」と言って、目の前の金髪女性を見下ろした。ハンナは蝶子より小柄だ。

 ハンナが頭を掻きながら答えた。

「まあ、この部隊には、あたしなんか霞んじゃうような世界記録保持者がゴロゴロ参加するのよね。あまり、そういうの言わなくてもいいかも」

 日本人四人組は驚いて顔を見合わせた。

「ゴロゴロって…」

 その時、先ほど着陸態勢に入っていた英国機は無事にランディングを終え、彼女たちの居るタキシングポイントに移動してきた。

「さあ、また新入りさんの到着ね」

 ハンナが腰に手を当て双発機を見上げて言った。


 この時、デハビランドの操縦桿を握っていたのはマリー・ヒルズであった。

 パイロットとして抜群の視力を誇る彼女は、滑走路の降りたその瞬間に自分の目指してきた理由、その相手の姿を見つけていた。

 居た!

 やはり来ていた!

 マリーの顔にパッと赤みがさした。

 停止した機体のドアを開け、一番若いジャッキーが梯子を準備している間に、マリーはコックピットの横の窓を開き半身乗り出し大声をあげた。

「パピヨン! キク! きよ子!」

 いきなり名前を呼ばれ、三人は驚いてデハビランドのコックピットを見上げた。

 そこには、満面の笑顔のマリー・ヒルズが手を振っていた。

 蝶子が心底驚いたという顔で叫んだ。

「マリー姉さん! 何で貴女がイギリスの飛行機に?」

 すると、ジャッキーが降ろした梯子を駆け下りるよう出てきたエミー・ジャクソンが答えた。

「私が途中で拾ったのよ、お久しぶりねナデシコパイロットさんたち」

 エミーに最初に気付いたのは、木部だった。

「エミー・ジャクソン、君も来たのかい!」

 四人はエミーとも旧知だった。

 そう、エミーはマリーと同様にヨーロッパから日本への親善飛行を果たしており、その際に世界記録となるシベリア空路での東回り日本航路最短時間記録を打ち立てたのだ。

 その歓迎式には日本人女性パイロットは、ほぼ全員参加していた。

 キクが笑った。

「ハンナさんの言ったのは、本当だわ。もうここに世界記録保持者が三人もいる」

 コックピットを飛び出したマリーは、ジャッキーにごめんねと断り、先に機外に出ると、一気に蝶子に駆け寄り抱き付いた。

「パピヨン、会いたかった!」

「私もよマリー姉さん」

 マリーは蝶子の頬にキスをすると、すぐにきよ子に気付き、膝を折り彼女の身体も抱いた。

「きよ子、ああ、きよ子。こんな体になってまで、貴女も来たのね」

 きよ子が事故にあったのは、マリーが二度目の来日した年の秋の事。マリーは一月には離日したので、きよ子のこの姿を見るのは初めてだった。

「ええマリー、私が引っ張って来なくちゃ、お蝶もキクもここまでたどり着けなかったわ」

 蝶子とキクが頷いた。

「ええ、義勇軍参加は、きよ子の発案よ」

 マリーが頷いた。

「ありがとうきよ子、私は貴女たちが必ずこの南太平洋の空を目指すと信じ、国の空軍に見切りをつけ一人でやって来たの。その途中で、エミーに拾われたってわけ。あたしのモランソルニエでは、ここまで来るのは無理だったのよ」

 蝶子がなるほどと頷いた。

「それでイギリス機だったのね」

 その時、デハビランドの機内からジャッキーの声が響いてきた。

「先輩たち~、あたいの相棒どうやって下ろせばいいんすか~?」

 マリーとエミーが顔を見合わせた。

「あら、もう一人の仲間を忘れてましたわね」

 エミーが舌を出しながら言った。

 そこに、ハンナが近付き、エミーの手を握って言った。

「エミー・ジャクソン、貴女が来ることはビクターから聞いていたわ。歓迎します」

「遅くなりましたハンナ、このあとまだ英国婦人飛行クラブから二名ほど参加の予定ですわ」

「助かるわ、そして」

 ハンナは、マリーに近寄ると、その身体を抱きしめた。

「マリー! 何て心強い味方なの! 事前に一報くれれば、迎えなんてこちらから向かわせたのに!」

「いいえハンナ、私は自力で飛ぶことこそパイロットの仕事だって思ってるから、迎えはごめんよ」

 その後、マリーは笑いながら付け加えた。

「でも結局たどり着けないで、エミーに助けられたんだけどね」

 ハンナも笑った。

「でも良かった、これで三人目の中隊長の目途が立ったわ。マリー、貴女に飛行隊を一個まかせたいの、やってもらえるわね?」

 マリーが肩をすくめた。

「私が首を横に振ったの見た事あったかしら?」

「無いわね、どんな困難な挑戦でも、貴女はいつも飛び込んでいった。ありがとうマリー」

 そこでエミーが聞いた。

「ハンナ、三人目って言いましたわね。他の二人はどなたですの?」

 ハンナは、ああと言ってからエミーに答えた。

「もちろん一人目はビクターよ、そしてもう一人は、スピードスターよ」

 蝶子たちにはそれが誰かは判らなかったが、エミーとマリーはすぐにピンと来たようだった。

「あのブルジョワが、義勇軍に?」

 マリーが驚いたという顔で言った。

「アメリカはこの戦いに消極的だと思ってたわ。とっても意外」

 ハンナが苦笑した。

「まあ、彼女の場合は特殊ケースね。あたしが、偶然釣り上げた大物って感じ」

「よく判らないけど、彼女なら確かに指揮官向きね。いつも自分の店の従業員に命令していたでしょうからね」

 エミーが顔に似合わぬイギリス式ジョークで言った。

 蝶子が、遠慮がちに三人に聞いた。

「あの、そのスピードスターさんと言うのはどなたですか?」

 ハンナが、ニコッと笑って答えた。

「君たちも知ってると思うわよ、ジャクリーン・コクラン。アメリカ人の女性パイロットよ」

 この名を聞いて、キクが目を丸くして言った。

「四人目の世界記録保持者!」

 そこにまたジャッキーの声が響く。

「せんぱ~い、渡し板持ってきてくださいよ~」

 その声に、ハンナが二人に聞いた。

「あれは?」

 エミーが肩をすくめた。

「ああ、忘れて居ましたわ。私がロンドンで拾ってきた、南アフリカ産のどら猫さんです」


 世界中からパイロット、そして軍人たちが南太平洋を目指す。

 国際連盟の主導で、陸上基地飛行隊は国籍問わずまずニューブリテン島のラバウルと言う小さな町に飛行場を三個急速に造成し展開させることになった。その工事はアメリカが無償で請負い、フィリピンとハワイから大量の建設資材と人員が送り込まれていた。

 軍港に適した入り江があり、さらに飛行場を作るのに最適な平地が広がっていたのだ。

 ここは、言ってみれば最前線となるソロモンを支えるための後方兵站基地の役目を担い、最前線に近い島には別途飛行場が建設されることになっていた。

 こちらは現在候補地選定中であった。

 実は、この国連の動きとはまるで切り離され、もう一つの最前線基地が造成を既に始めていたのだが、これを多くの国の首脳たちは知らずにいた。

 それも当然で、これはドイツにおけるV計画、アメリカ側ではマーケット計画と呼ばれる対亀裂本体への攻撃準備のための基地であったからだ。同時に、アックス計画の基地も兼ねる。つまり、ここは南十字義勇軍の本拠となるのだ。

 造成に投入されているのは、アメリカ南部で名の知られた大手土木建築会社SO&M社の技師と作業員、そして大型の建設機械。

 ここに、ドイツのクレーメンス社の最新測量技術が加わり、驚くべき速さで巨大基地が出来上がろうとしていた。

 現場で工事状況を見守るのは、アメリカから派遣された航空科学技師ジャームス・ハイセンカーであった。彼はマサチューセッツ工科大学で教鞭をとっていたが、同時に予備役海軍大佐でもあった。

 本来の彼の役職はだが教授ではない。アメリカの航空開発の最先端を行くNACA、アメリカ航空諮問委員会のメンバーなのであった。

 当然、ここに赴任していることは極秘である。

「陸上の警備部隊も来週には到着し、開隊式を行う予定です」

 ハイセンカーに秘書のポートマンが言った。

「そんな悠長な事でいいのかな。あいつらはこちらの準備を待ってくれたりはしないぞ。式典など省いていいのではないか」

「あの、その、それがですね、我が国から派遣される予定の副司令官の陸軍少将、ああ、もう退役手続きは済んだから元陸軍少将のジョージ・パットン氏が必ずやるようにと申し込んできてまして」

「なんだそりゃ」

 ハイセンカーが顔をしかめた。

「それにですね、ドイツから来る総指揮官のロンメル元少将も賛同しておりまして」

 ハイセンカーは大きなため息を吐いた。

「なんなのだ、陸軍軍人と言うのはどの国も同じような人種なのかね?」

「さあ、私には判りかねます」

「まあ、いい。一週間後には、ここはあの侵略者どもへの反撃の為の一大前線基地となる。国際連盟には、せいぜいオブジェクトを牽制してもらわなくてはな」

 ポートマンが頷いた。

「そうですね、日英両海軍は空母機動部隊の主戦力をポートモレスビーに移動開始した模様ですし、次の大規模作戦は間もなく始まるでしょう」

「まあ、我々はその間隙をぬって、あの亀裂の正体を何としても探らなければならん。おそらく、国連部隊はまた大きな犠牲を払う事になるだろうが、それに目をつぶり我々は前に進まなければならん」

 ハイセンカーは、冷静な科学者の眼で東の空を睨み呟いた。

「人類に未来を迎えさせるには、この戦いは決して負けてはならない。我々だけが、恐らく今その切り札に一番近い位置に置かれている」

 冷静な表情と裏腹にハイセンカーの拳はきつくきつく握られていた。

 アメリカではその頃、決戦に向けての研究が本格始動しようとしていた。

 いずれにしろ、総てはまだ準備段階であり、人類は侵略者たちに何一つ有効な対処法を見出してはいないのであった。

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