ビギン・ザ・レジェンド
ワルシャワの街に雪が降り始めていた。十二月のポーランドは凍てつく。いやヨーロッパ北部は例外なく氷と雪に覆われる。
ポーランド空軍の総司令部も、窓の桟に湿った雪がこびりつき始めていた。
「北半球は冬。だが、南半球は夏の盛りに向かう。気候の変化は激しいぞ、スカルスキ大尉」
「心得ております閣下」
ポーランド空軍は、少数ではあるが欧州でも屈指の実戦力を誇る集団だった。先の一九一九年から二年間続いたソビエトとの戦争では、フランス製戦闘機を擁する戦闘機部隊が大活躍し常に制空権を維持、国土の防衛を成し遂げた。
その伝統を受け継ぐため、欧州で最も確立されたパイロット養成システムを作り上げ、自国製の戦闘機開発にも積極的だった。
現在の主力のPZL11gは設計が旧式ながら戦闘機としての安定感は抜群であった。新しく設計され試作段階にある戦闘機は、千馬力級のエンジンを搭載し列強の主力戦闘機に比肩する能力を発揮する見込みだった。
とにかくポーランドの操縦士養成熱は高く、操縦士ライセンス保持者が軽く千人を越えており、この数は実はフランス軍のそれに迫るもので、飛行機さえ充足されたら間違いなく強大な空軍を即時誕生させられる素地を作っているのだった。
残念ながら、パイロットは数多いるのに肝心の飛行機は国庫の乏しさから数が足りていなかった。
一線での使用が可能な航空機はおよそ300機弱、これは意図的に航空戦力を絞っているドイツ空軍のそれよりさらに少ない。
だが、この航空機の少なさが原因でポーランド空軍のパイロットは姓操縦士の座を得る為に猛烈な競争を勝ち抜かねばならなくなり、結果的に戦闘機部隊の正操縦士の技量は、欧州各国の実戦部隊とトップを競う程の練達ぶりを誇るに至っていた。
当然、今回のオブジェクト対抗戦闘にも彼らの参画は大いに期待された。
しかし、ポーランドにはどうしても大規模な部隊を動かせない事情があった。
なんと、この世界中が南太平洋に兵力を送るべく腐心している中、ソビエト軍がポーランド国境に兵力の集中を開始したのである。
いや、それはポーランド国境だけではなかった。ソビエトは陸上で国境を接するほぼ総ての正面で陸軍兵力を集結させ、国境を固めたのである。
まさか、混乱に乗じて侵略を開始するとも思えなかったが、その兵力集中はあまりに不気味で、ポーランド政府はその対抗に全軍で臨戦態勢を敷かねばならなかったのだ。
国民の少ない国だ、陸軍が動員されれば、空軍も必然的に臨戦態勢を敷かねばならない。
だが、南太平洋のオブジェクトを放置するのも、決して許される行為ではない。
そこで政府は苦慮の結果、心許なくはあるが一個飛行隊だけをソロモンに派遣する事を議会で決定した。パイロットは数多いても、戦闘機は元の分母が少ないのだ、これ以上の派遣は困難というのが実情なのである。
しかし、南太平洋へ派兵と言っても、そもそもが海軍力の殆どない国家であるから、空母での飛行隊運用は論外である。誰一人空母での発着艦訓練を受けた者はおらず、どこかの国の空母に便乗するという案は考えられなかったのだ。
必然的に基地を国際連盟が用意するという話に乗る形で、この飛行隊派遣は決まった。
その基地建設は現在アメリカが全力で行っているという。
空軍司令官ヴェラスコ中将の前に立っているのが、今回志願航空兵だけで編成された、南太平洋派遣部隊の空中指揮官となるスタニスワフ・スカルスキ大尉であった。
「補給などにかなり不安はある。決して最高の状態で戦いに臨めるとは思えない。苦労を押し付けるような形になりすまんな。現地における燃料や整備に関し、一部の国家が協力を約束してくれている、それに乗るような形でしか貴様らに支援は約束できないのが現状だ。補充のパイロットはいくらでも用意できるが、代替えの機体は確約できない、すまんな」
司令官は若き大尉に、本当に心からすまなそうに言った。
我が子を死地に送る父の思いを彼は味わっている。
その司令官にスカルスキは言った。
「実は司令官、一つだけお願いがあります」
「何かねスカルスキ大尉、叶えられる物なら何でも聞いてやるつもりだ、まあやれることには限りがあるのだが、とにかく言ってみろ」
若い金髪の大尉は、踵をカチッと合わせ直立不動で言った。
「部隊の名前を自分に決めさせていただきたくあります!」
司令官はにっこり笑った。
「おお、それならかまわんぞ、望みを聞いてやる。どんな名称を望む?」
スカルスキは言った。
「オシチェシコ中隊の名前をいただきたくあります!」
司令官の顔がぱっと輝いた。
「あの部隊の名を引き継ぐというのか!」
スカルスキが告げたオシチェシコ中隊とは、まさに先の対ソビエト戦争で最大の撃墜数記録を打ち立てた勇猛なる飛行中隊の名前であった。
「はい、是非に」
司令官は大きく頷き、スカルスキに告げた。
「よし、では正式に命じよう。我がポーランド空軍の南太平洋派遣部隊名を、第303飛行中隊オシチェシコ隊と命名する」
「ありがとうございます」
スカルスキが美しいとしか形容できぬ見事な敬礼で司令官に礼を述べた。
こうして、後に南太平洋の伝説と語り継がれることになる戦闘機隊は誕生した。
ポーランド国民に後世までオシチェシコの栄光と称えられる彼らの部隊名は、この短いやり取りで生まれたのだ。
対オブジェクト戦闘における中盤戦は、まさに彼らの活躍に支えられることになる。たった二十四人のポーランド人が、どれほどの働きをするのかは、まだ先の話なのであるが。
「それでスカルスキ大尉、国際連盟が準備したという新しい航空基地は何処だったかな」
司令官が聞くと、スカルスキ大尉は姿勢を崩さず返答した。
「ニューブリテン島のラバウルと言う場所であります」
「まったく聞いた事のない地名だな」
「自分も初めて知りました。ここに世界中の空軍部隊が集結するとのことです。ただ、英連邦軍と日本軍だけはニューギニアのポートモレスビーに集結する模様です。あちらには既に小規模ながら軍港があるので空母航空隊基地として利用するそうであります」
「なるほど、そのラバウルと言うのが、基地航空部隊の為の新基地となる訳だな」
「はい、そのようであります」
司令官は若い大尉に言った。
「国は我々が守り切る、貴様らは、全力で戦ってこい。ポーランド人の諦めの悪さ、戦いでのずる賢さを世界中に示して来い!」
「了解いたしました!」
スカルスキはにっこり笑って敬礼をした。
このポーランド人のずる賢い戦い方こそが、人類がオブジェクトと正面から戦うための大きなヒントになるとは、まだそれを実践することになる彼自身も知らぬ事であった。




