いざ撫子たちはケアンズへ
台南の飛行場は絶好に飛行日和だった。
自分たちの荷物を持って飛行場に日本人女性パイロット四人組が木部の運転する車で到着した。
停車するとすぐに、蝶子がトランクからきよ子の車いすを取り出しこれを組み立て始めた。キクも手伝った。飛行機に積むとき以上に細かく分解しているので手間がかかるのだ。
その様子を見ながら木部が、まだ車内に座っているきよ子に聞いた。
「君が来るとは意外だった」
「そうですか、しげのさん。私には貴女が来た方が意外だった」
かつて、きよ子は良く木部と一緒に飛んだ。互いの気持ちは知れているつもりだった。
だが、木部は言った。
「人の心て外からは覗けないものさ。君は、僕がキク君に嫉妬していたのを知っているだろう」
きよ子は頷いた。
「ええ…」
「でもね、何時からかな、僕は彼女に憧れるようになった。自分も、世界に認められたい。それが駄目なら、せめて誰かの役に立ちたいと思うようになった…」
きよ子の切れる頭がすぐに木部の心理を理解した。
「飛行学校も、本当は国の役に立ちたかったんですね」
木部は肩を竦めた。
「本当に君は頭が切れる。そう言う君は、どうしてそんな体になってまでここへ来たんだい」
きよ子は少し目線を下げて木部に語った。
「私のせいで、蝶子は職業飛行家になるのを諦めた。戦争が終われば、女性でも一等免許が取れる日が来るかもしれないって二人で言っていたのに。世界一周をするという約束も果たせなくなった。だから、蝶子に翼を取り戻させたかった。それには、私も空を目指さなければ駄目だって判ったんです」
木部がきよ子を覗き込み、少し小さな声で聞いた。
「蝶子君のためだけなのかい?」
きよ子は、木部の質問の意味が判っていた。
もう一人、自分のせいで操縦席を離れた女性がいる…
彼女に対する思いは、常にきよ子の中にあった。
「勿論、鈴子にも…」
その時、キクが二人に告げた。
「出来上がったわよ、さあエプロンまで移動しましょう」
木部は、ぽんときよ子の肩を叩き言った。
「無理に語るな。僕は、女性に暗い顔をさせるのが嫌いだ。嫌な質問を許してくれ」
きよ子は、小さく「はい」とだけ答えた。
四人が荷物を持ってエプロンに移動すると、まさに滑走路に向け南十字義勇軍の迎えの飛行機が着陸するところであった。
尾翼には四個の星とVの文字が描かれていた。
その機体を見て、松本キクが驚いた。
「あれ、アメリカの新鋭旅客機のDC3型じゃないの!」
流線型の美しいシルエットを持ったその機体は、彼女たちをここまで運んできたダグラス社の旅客機DC2の後継機であり、最初はその拡大版として作られたが、結局全面的に設計をやり直しできた、文字通りの傑作長距離旅客機で、まだ日本の空では殆どお目にかかれない代物だった。
この最新鋭機、無論アメリカ政府が極秘裏に南十字義勇軍に提供した物だ。
一度のテールバウンドもなく奇麗に着陸したDC3は、滑走を続けエプロンで待つ四人の前でぴたりと停まった。
見事な腕前としか言えない絶妙な停止であった。
操縦席の窓が横にスライドし、そこからパイロットが顔を出した。
「はーい、お姉さんたちが、あたしのお客かな?」
信じられないほど若い白人女性がそこにいた。
「あ、あなたが、南十字義勇軍のお迎えのパイロットさん?」
蝶子が信じられないといった顔で彼女を見上げた。
どう見てもパイロットは十代後半である。
「そうだよ。あたしは、ベアテ・ケーストリン。ハンナ姉さんの一番弟子さ」
そう彼女こそ、ハンナがドイツから連れてきた唯一の女性パイロット。ベアテであった。
この時ベアテ、まだ弱冠十九歳。それもつい先月誕生日を迎えたばっかりだ。
しかし、彼女はこの歳ですでにドイツ空軍のテストパイロットを務めていた天才パイロットなのであった。
彼女は十七歳で飛行免許を取ると、たちまちアクロバット飛行にのめり込み、映画会社にスカウトされ、各地で曲芸飛行を披露した。
小柄で柔軟な体が、急激なGに適合したのだろう、彼女のアクロバットは誰もが驚く俊敏かつ大胆な軌跡を空に描いた。
昨年製作されたドイツの航空映画は、その空中スタントの総てを彼女が演じていた。
たまたまこれを見たハンナが、ベアテ才能を見抜き、彼女をドイツ空軍に紹介したのがこの春の事。
ドイツ空軍はベアテとテストパイロット契約を結んだ。
そう、ハンナがそのドイツ空軍テストパイロットの座を譲った後輩というのがこのベアテだったのだ。自らは苦労を承知で民間企業のクレーメンス社の門を叩き、将来あるベアテにドイツ空軍の安定した職場を与えてやったのである。その裏には、ベアテの卓越した操縦技量と小さな体躯が、自分以上にテストパイロットの適正に向いているという判断もあった。
この恩から、ベアテはハンナを実の姉の様に慕うようになった。
そして、今回の義勇軍結成に際し、ハンナが真っ先に名簿に加えたのがベアテの名前だった。
対オブジェクト戦闘に、彼女のアクロバット技術が不可欠だと強く認識したのだ。
無論、V計画関係者もあっさりこれを認め、ベアテは空軍を離れた。
実は、空軍の評価テスト段階でハインケルのHe112を誰よりも巧みに乗りこなしていたのも彼女なのであった。
「さあ、さっさと乗っちゃってね。ケアンズは遠いよ、なんなら疲れた時に誰か操縦代わってもらってもいいからね」
ベアテは人形のような小さな顔でにこやかに笑いながら言った。
日本人パイロットたちは、顔を見合わせ何も言えずにいたが、やがてきよ子が言った。
「さあ、行きましょう。彼女が言うように、ケアンズは遠いわ」
こうして、世界中から、腕に覚えのある女性パイロットが続々とハンナの掲げた旗の下へと駆けつけていったのであった。
彼女たちが戦場に出るまでには、まだ少し時間は必要だったが、この戦いにおいて彼女たちの存在そのものが勝利を得るための大きな鍵になると気付いた者は、まだこの広い世界の中に誰一人存在しなかった。
とにかく、時間がたてば侵略は拡大する。その事実を前に、世界各国が次第に本気で戦いに取り組まねばならぬ日が目前に迫っているのであった。
間もなく、負けられぬ戦いの中心を飾る女神たちは顔を揃える。
だが、その前に人類はまだ多くの辛苦を舐めねばならないのであった。




