序章2
シンガポール総督府では、英国政府から事態が軍事的衝突の懸念をはらむ重大事案であると釘を刺されており、必然的に出撃する軍艦、軽巡洋艦エンタープライズの艦長には相応の指示がなされた。
相手が謎の兵器で攻撃してきた、これは英海軍にとっても最大級の警戒を要する案件だ
太平洋沿岸はこの時期国際関係をめぐり緊張が高まっており、相手が誰であれ武力による応酬は外交の、いや世界全体の行く先に影響を与える問題となる。
この時、自身はまだインドにあった太平洋における二個の海軍戦隊を束ね前年から臨時編成されている英東洋艦隊の司令官は、エンタープライズの艦長に臨戦態勢での出撃を命じたが、その一方で、相手の正体を解明することを何より第一の課題だとも命じるのを忘れなかった。
衝突が不可避なら、相手を知らなければ何処にも話を進展させる余地がない。
まあつまりこの時点では、まだ相手が話の通じる相手だと思っていたわけである。
とにかく、相手が何者かによって、この先戦闘が拡大するか外交的手段で終息に向かうかが別れる。まずは相手の正体、国籍の確認を優先と命じた当然だ。
しかし、それがまったく不可能な相手の場合、どうすべきかなど、まだ誰の脳裏にも浮かんではいなかった。
戦争準備は、はっきり言って何も出来ていない。これは英国だけでなく多くの列強で同様だった。例外は、中国大陸で戦い続けている日本くらいではないだろうか。
エンタープライズの出撃に合わせ、謎の飛行体の素性を確認せよという命令は、同海域に隣接するすべての英連邦軍、つまり豪州だけでなくニュージーランド軍にも課せられ、速やかな進出が可能な大型航空機による偵察活動が即日で開始されたのだが、むしろこれが事態が容易ならざるものであることを浮き彫りにしてみせた。
なんと立て続けに四機の航空機が消息を絶ってしまったのである。
撃墜された可能性が高い。
それはすぐに分かった。
すべての行方不明機が、彼の飛行物体の接近あるいは視認を報告後に連絡途絶に陥ったからだ。
偵察にはこちらにも相応の強力なる反撃能力が必要だと軍部は痛感した。相手の素性を確認する前に撃ち落とされてしまったら、結局犠牲を増やすだけではないか。
しかし、この海域に武装した戦闘機は進出できない。
肝心の小型戦闘機が離着陸できる軍事施設が近隣に存在しないのだ。
一番近い航空基地からでも英連邦が所有する戦闘機では往復できない位置に亀裂は存在していた。現地まで飛べるのは、現状飾り程度の武装しかもたぬ大型機だけなのだった。
偵察機の連続未帰還の現実を踏まえ、英連邦軍は秘かに南太平洋に展開する陸海空全軍に臨戦態勢を指示し、同時に近傍に領土を持つフランス政府とアメリカ、さらには現在は同盟を解消しあまり良好な関係ではない日本国に対しても事件の詳細の報告を行った。
これは自分たちだけに降りかかった危険ではない。英国首相チェンバレンははっきりとそう認識し、事件の列強各国間への透明化を決めたのだ。
軍関係者と政府高官の協議で、この謎の存在は少なくともこれらの国の秘密兵器とは想像しがたいという結論に達していたのも彼の背を押した。報告は親書としてこれらの国の首長に届けられた。
無論、ここには学術調査隊からの意見も添付されていた。
その記述によって、謎の飛翔体の飛行原理、そして攻撃してくる兵器の正体が皆目不明であり、これは既知のいかなる兵器とも合致しない存在と断定されていた。こんな兵器は、人類に開発できる筈がないと認めたも同然の意見書だったのである。
ただ、この時点ではまだ連絡を受けた各国の対応は緩慢だったとしか言えない。
具体的に現地に対する軍事行動や偵察活動を指示した国はなかったのだ。むしろ報告書の内容に懐疑的であったとさえいえる。真実と受け取るには、話があまりに突飛すぎたのだ。
まあ、連絡を受けた国にはまだ亀裂と飛行体の詳細な映像すら届いていなかったのだから仕方あるまい。
その政府間でのやり取りが始まったのと同時進行で、英連邦軍の強行偵察活動は続行されていた。
英巡洋艦エンタープライズがソロモン諸島の東端に達したのは、一九三八年九月十四日の未明だった。まさに全速力で彼らは当該海域に到達したことになる。昼夜問わず最大船速で到達したわけだ。
遠距離航行と高速移動の両立できる軽巡洋艦ならではの仕事だ。
英政府は把握していなかったが、最初にインド船籍の貨物船が亀裂を目撃してからこの日で二週間が経過していた。
その間に亀裂は成長というか拡大していたのだが、その事実にもまだ誰も気付いてはいなかった。
夜明けにあと一時間という頃、エンタープライズは亀裂が出現した島の近傍でその動きを止めた。
まだ明けていない空の下でも、空に開いた亀裂は、はっきり視認できた。
「砲撃準備を整え接近する」
艦長の指示で、すべての砲填兵器に兵士が取りつき、初弾を装填し照準器に目をあてた。
双眼鏡を複数の士官が覗き。亀裂を観測する。
もちろんカメラも回り始めた。これは手持ちのカメラではなく、三脚に据えられた三十五ミリフィルムでの動画撮影だ。劇場用映画を撮影するのと同様の大型カメラである。通常の映画の十六ミリよりさらに広い範囲の撮影が可能な高額なカメラである。
軍の宣伝機関は、何処の国でもプロパガンダ用にこう言った鮮明な映像を記録できるカメラを所持している。英軍では、シンガポールや香港といった植民拠点にこうした記録部隊が常駐しており、この作戦に際し急遽同行したわけである。
「半速前進」
戦闘態勢が整ったのを確認し艦長が命じる。島までの距離はおよそ五海里。巡洋艦は徐々に速度を上げ、およそ十五ノットで島に接近した。
「飛翔体確認」
上空監視の兵士複数から報告が飛んできた。
亀裂から二機の飛行物体が、あの哨戒艇の映像にあった複雑な形の絡まった物体が、飛び出してきた。
「複数か、挟み撃ちされたら厄介だな」
露天である戦闘艦橋の指揮盤に張り付いている砲術長が呟く。
「各対空砲にそれぞれ正面に回った相手だけに対応するように指示しろ。こうなると、最新のポンポン砲が欲しかったな」
艦長が苦い顔で言った。
ポンポン砲は、英軍が開発した対空砲で複数の砲身が連動するまさに必殺の対空砲だ。残念ながらまだ新鋭の戦艦にしか装備されていない。
「来ますよ。まっすぐ向かってきている。夜目は効くようですね」
飛翔体は並行して高度千メートル程度で接近してきたが、艦の二キロほど手前で左右に分かれた。
「本気で挟み撃ちするつもりだ。戦い方を心得ている奴だ。それにしても、どうやって飛んでるんだありゃ」
砲術長が額に脂汗を浮かべながら言った。まだ南半球は春になりかけとは言え、この緯度では一年通して気温が高い。汗も浮かぶだろうが、彼の流す汗は暑さとは違う次元が齎もたらしているのは明らかだった。
「どうしますか? 先手を取りますか?」
砲術長の問いに艦長が首を横に振った。
「駄目だ。あれが何者なのか、それを探るのが優先と指示を受けている、となれば、まずはコンタクトを試みるしかない。無線の全チャンネルと発光信号で、問いかけろ。いかなる国の所属なのかを訊きだせ」
不気味な飛翔体を実際に目撃し、艦長は相手の中に人間性を見いだせなかった。これは、人類の創造物ではない。彼は声にこそ出さなかったがそう確信していた。
ひっくり返せば、今自分で出した命令が無駄な努力になるというのをほぼ確信していた。
それでも形式を保たねば軍人として職務を果たしたと言えない。何もせず引き金を引くのは、軍人ではなく臆病者の所業だ。相手の敵意とその行動を認識し、攻撃命令は初めて正統的に発せられる。
エンタープライズは、無線機と信号灯で飛行物体への質問を飛ばした。
こいつらが返事を寄越すのか?
そもそもあれに人間は乗っているのか?
艦長だけでなく、今この場で奇妙な物体を見つめている全員がそう感じ始めてていた。
とにかく、今まで見たことない異質すぎるフォルムが空中にある。
窓らしきもの一つとして見えず、幾何学形の各部はただの塊として隣のそれに接合している。どれが動力源で、推進装置なのか全くわからない。
とにかく命令に従い彼らは五分間、コンタクトの試みを続けた。
その間、問題の飛翔体は空中を旋回し艦と一定の距離を取っていた。
「無駄、のようだな、やはり……」
艦長は一瞬の躊躇ののち命じた。
「一番及び二番対空砲座、曳光弾による威嚇射撃を実施」
砲術長が頷き、各砲に直接命令を下した。実際の発砲指示権は彼にある。
三インチ対空砲がそれぞれの飛行物体の近傍に向け赤い光の航跡を曳く曳光弾を放った。
ドンという発砲音に続き、赤い光がスーッと空中を過った。
相手の動きはまさに急激に変わった。
それまでの飛行方向が全く唐突に変わった。つまりまったく旋回せずに飛行方向を変えたのだ。
こんな事、既存の航空機では不可能だ。
「なんだ今の動きは!」
戦闘艦橋の士官たちは一斉に身を乗り出し目を剥いた。
「攻撃来るぞ!」
前部の戦闘甲板で指揮をしていた甲板士官の叫びと、光線の飛来は同時だった。
相手は光、まさに発光と同時に艦は被弾していた。
激しい爆発が艦の前部甲板の左右で同時に起きた。
被弾したのは、威嚇弾を放った二つの対空砲座だった。実に正確な照準だ。
「被害確認!」
揺れる艦橋で艦長が叫ぶ。連絡士官が視認した感じでは、両砲座とも熱によると思われる防弾板の変形と爆発によって炎上を始めていた。
「両砲座とも壊滅的被害、炎上してます……」
「全力の反撃を上申します!」
副長が艦長に叫んだ。
「無論だ! 敵を視認できる全砲門、反撃を開始!」
巡洋艦の武装は半端ではない。主砲だけでなく、副砲を兼ねる対空砲、さらに対空銃座が多数ある。これが一斉に発砲を開始したのだから、空中には数多くの砲弾銃弾が射出され、曳光弾も無数に虚空を駆けた。
だが、これをあざ笑うかのように飛翔体は、複雑怪奇な動きをし、まったく被弾しない。本当にただの一発も命中しないのだ。
対空砲の照準は、航空機の動きを予想して発射弾の軌道修正を行うシステムが備わっている。発射時と到達時では標的の位置が変わるわけだから、目標の進行方向と速度を計算し照準の補正を行うわけだが、でたらめな動きをする飛翔体にはこれが全く通じない。
そもそも航空機は直線に飛ぶという前提でこの照準器はできているのだから、縦横に動かれたら照準補正は何の意味も持たなくなる。つまり、狙えば狙うだけ当たらないのだ。
「直接照準しろ! 見越し射撃はするな!」
第一次大戦でも軍艦に乗っていたベテラン砲術長は、すぐに相手の動きに自分たちの兵器が対応できてないと看過し、部下に向け叫んだ。
だが、これは遅きに逸していた。
連続的に爆発がエンタープライズの甲板で発生した。
主砲塔が前後の甲板で同時被弾し、爆発したのだ。
「主砲塔の防盾を貫かれたというのか!」
艦長の目が驚愕に見開かれた。艦で最も厚い装甲の一つが主砲の防弾版だ。謎の飛翔体の放つ光線は、それを容易に射抜いたのだ。
「まずいな、艦長、弾薬庫への注水を進言します」
砲術長が真っ青な顔で艦長に言った。もし、主弾薬庫に火が入れば艦は轟沈する。
「これは、単艦で組める相手じゃない! 面舵百八十度! 全速で退避をする! 甲板の各員火災の鎮火に全力で勤めろ! 対空銃座のみ適時反撃、本艦はこの海域から退却する!」
的確な判断と言えた。もし、このまま攻撃を続けたらエンタープライズは間違いなく沈んでいたろう。
幸いにも飛翔体は、追撃してこなかった。
何かを観測し記憶するかのようにじっと空中に留まり遁走する手負いの軍監を見送っていた。
満身創痍で巡洋艦エンタープライズがシンガポールの帰り着いたのは三日後、往路に燃料を消費したこともあり速度を上げて戻ることができなかったのだ。この時点でエンタープライズ乗員の死傷者は四十人を超えていた。
ボロボロな姿でセレター軍港戻った軍艦の艦影を衆目から隠すのは困難だった。
港に接近する巡洋艦は、闘いで受けた傷跡、そして火災で煤けた船体を白日に晒したまま帰還した。
当然これを見た市民たちは大騒ぎになった。
もはや事態を隠すのは不可能だった。
シンガポール総督府は、英本国の了解のもと事件を報道機関に公表した。
攻撃を仕掛ける謎の飛翔体の写真が世界中の報道機関に流れ、事態はついに列強国間だけでなく世界規模の問題へと発展した。
何一つ隠せないほど、英海軍が一方的に叩かれた事実も周知せねばならぬほど、事態は深刻になっていた訳である。
世界に名だたる英海軍があっさり負けた現実が、その証拠が目の前に横たわっているのだから、世界中が驚愕したのは説明するまでもない。
時を同じくして、英国政府の判断で、ロンドンの科学アカデミーからも謎の亀裂と飛翔体に関するニュースの詳細が明かされ、この南太平洋で起きている大事件は、その発端となった豪の哨戒艇への攻撃の件も含め電信網によって瞬時に世界中に拡散した。
英政府の対応は極めてスマートだたっと言える。科学アカデミーでの記者会見の後、首相はダウニング街十番地の首相公邸で記者を前に告げた。
「我々のいかなる呼びかけにも相手は答えず、攻撃は一方的になされた。戦闘は正統的に行われた。これは自衛戦闘であり、攻撃は敵意の下になされたと確信する」
首相はそうきっぱり言い切ったうえで、証拠としてエンタープライズで撮影された映像の公開も約束した。
豪州に集まっていた各国の叡智たちの意見は、ここに至りある点で一致を見た。
この相手と戦闘を継続するなら正規軍、それも陸海空全分野の兵力の大量動員が必要というものだ。
いや、それでも心許ないかもしれないと指摘する者さえいる。そう判断するに足る戦闘報告が、すでに彼らの手元には届けられていたのだ。
エンタープライズは、最も分厚い主砲塔の垂直装甲バーベットをあの光線で貫通されていた。いや正確にはその反対側までだ。既存の兵器でこれの相応する威力は戦艦級の主砲弾しかない。
さらに材料工学の専門家があの光線の威力を正確に計算した結果、英海軍が保有するすべての戦艦の装甲が無力化されているという結論にたどり着き、海軍だけでなくこの報告を聞いた陸軍や空軍の首脳たちさえも恐慌状態に陥ってしまった。
自国の持つ最大の戦力でさえ、敗れる懸念がある。その相手に、現状で太平洋にある微々たる戦力では対処できるはずがない。
英国首相のチェンバレンは、海軍からの報告を聞くと議会に諮らず独断で世界中にこの戦闘経過と敵の強大な兵器の実情を公表した。彼の直感がそれが絶対に必要だと認識したのだ。
見知らぬ敵が現れた。
それも、太平洋の孤島から。
そして、それは圧倒的な力を誇示してきた。
世界有数の海軍力を持つ英国をして、これに対応が難しいと明言した。混乱の波が瞬く間に世界に伝播した。
世界中の政府が一様に動揺し、その対応に鳩首することとなった。




