彼女たちの決意、ビクター・ブルーズ
ハンナ・ライチェはドイツ政府が用意してくれた航空機で、オーストラリアに戻っていた。
およそ一週間で彼女は、最新鋭戦闘機ハインケルHe112の操縦をマスター、どころか模擬空戦で元空軍中尉のテオドール・ワイセンベルガーに圧勝するほどの上達を見せた。
「まあ操縦に関して、ハンナさんに勝てるとは思ってませんでしたけどね、現実にこの結果を突き付けられるとショックすぎます」
テオドールは十二連敗の記録を前にがっくり肩を落とした。
ハンナとテオドールは、今回の作戦にドイツから参加する六人のパイロット、そのうち四人がテオドール同様に空軍を辞した現役であったが、これを伴いケアンズに降り立った。ハンナの後ろには、ハンナよりさらに小柄な少女としか見えぬ女性の姿もあった。
空軍を辞して参加したパイロットは、皆腕は一流だが、空軍が、はいどうぞと差し出しただけあって、一癖も二癖もある面々ばかりで、ドイツでの飛行訓練は中々骨の折れる作業だった。
それでも今降りてきた全員は、もう新型機を手足同然に扱える自信をもってこの地に降り立っていた。
ここまでハンナ達は、ハインケル社の製造するHe111という型番は一個違いだが、戦闘機とは大違いの双発の大型機でやってきた。ドイツ空軍では同じ機体を爆撃機として採用している。
航続距離はそれほど長くないが、単発機に比べれば段違い。彼女たちは最終的にタイのバンコクを経由してこの地に降りた。
ケアンズの飛行場は、民間用と軍用の二つがある。
オーストラリア周辺には今回の危機に対応する為、各国の軍が寄り集まっていたが、英連邦と日本の航空隊の主力はニューギニアに展開しているので、軍用飛行場もまだ手狭にはなっていない。
この場まで航空隊を派遣する段階まで漕ぎつけている国家はごく僅かであった。
そして民間用の飛行場を使っているのは、事実上南十字義勇軍飛行隊だけという現状だった。
現地でハンナたちを待っていたのは、ハインケル社の重役であるエーリッヒ・ガルドレーンであった。彼が事務的な問題を一手に引き受けることになっていた。
エーリッヒは到着したばかりのハンナに告げた。
「予想以上です。現在までに二十名以上の参加打診がありました」
無論パイロット募集の件である。
「まだ全然足りないわ」
ハンナは不機嫌そうに言った。
「まあ、事前連絡なく訪れる者もいると思います。あちらにいる女性もその一人です」
エーリッヒがそう言って示した先に立っている女性に、ハンナは見覚えがあった。
「ビクター! 貴女なの?」
ハンナより少し年長のその女性は、イギリスの女性パイロット、ビクター・ブルーズであった。
世界で最初に飛行機で世界一周を果たした女性パイロットである。
ただ、飛行中に消息を絶ったアメリア・イアハートと違い、彼女は大西洋と太平洋は船に分解した愛機を積んで周回した。故に世界一周であり、世界一周飛行ではないのだ。
それでも世界記録には違いなかった。
ハンナの姿を認めるとビクターはニコッと微笑んだ。
「ハンナ、メリー夫人から伝言を預かってきたわ」
ビクターはそう言って手で見えない何かを摘まむ仕草をして見せた。
メリー夫人とは、イギリス航空界で最初にBライセンス、つまりジャッキー・ソロールが挑もうとしていた職業飛行ライセンスを取った女性メリー・ヒースとのことで、まさにイギリス女性飛行家のパイオニア、牽引者であった。しかし、近年彼女は操縦席から遠ざかっていた。
結婚し実業家に転身した結果、自由に飛ぶ時間が取れなくなったのだ。
「メリー夫人からの伝言とは、とても興味があるわ、あっちでゆっくり聞こうじゃないの」
ハンナはビクターと共に飛行場のパイロットクラブに入って行った。テオドールや他のパイロットは宿舎へ荷物を運び、エーリッヒは事務室に書類を取りに行った。
クラブに入ると、ハンナとビクターは口をそろえお茶を頼んだ。
飲み物が運ばれるのを待つ間にビクターは話を始めた。
「イギリス政府は、正式に女性パイロットの参戦を否定したの。よほど戦局が悪化しない限り、それはあり得ない。たとえ、戦場でパイロットが不足しても、女性は前線に立たせないと宣言したわ」
ハンナは黙って首を振った。まあイギリス人のフェミニズムに則るとそうなるだろうとは予想していたことだ。
ちょうどそこにお茶が運ばれてきた。
カップを取り二人はお茶を口にしながら話を続けた。
「そのニュースを聞いてメリー夫人は、女性パイロットクラブの総会を開いて決めたのよ。今後もし戦場に立つ勇気のある女性がいたら、ハンナ、あなたに協力を申し出なさいと。だから、私はその足でここへ来たってわけ。あたしは、イギリスからの義勇軍参加第一号よ」
ハンナが片手を上げ話を遮った。
「ちょっと待って、それいつの話なの」
ビクターはケロッとした表情で答えた。
「三日前よ」
ハンナが、目を丸くした。
「その足で来た、そう言ったわよね」
ビクターは頷いた。
「ええ。ほらあそこのエプロン、私の乗ってきたヴィッカースの新型機よ」
確かに、そこにはハンナがこれまで見たことない機体が駐機していた。
「大きな単発機ね。あれでイギリスから飛んできたの。最後はどこの国を経由したの、インドのどこか?」
イギリス人のビクターは当然英連邦のどこかを経由して飛んできたはずだ。
「昨日、エジプトから」
思わず口にしたお茶をハンナは噴き出した。
「待って! 今どこからって?」
ちょっと斜め上に視線を上げながらビクターが答えた。
「エジプト、ええとねバクダッドからオーストラリアの西海岸のパースまで無着陸で、そこで給油してここに来たのよ」
ハンナが、腹を抱えて笑い出した。
「ビクター、あなた気付いている? それ無着陸飛行の世界記録よ!」
「あっ」
ビクターは、言われてみればといった感じで口を半分開けてその一言だけを漏らした。
ビクター・ブルーズは無自覚のうちに二個目の世界記録を打ち立てていた訳である。
そこに、事務所に電報類を取りに行っていたエーリッヒが戻ってきた。
「ライチェさん、これ今のところ届いている電報なんですが、よく見たらほぼ三分の二が女性ですね」
ハンナは、頭をかきながら答えた。
「なんとなくだけど、そうなる気がしていたわ」
「He112を積んだ船は明後日には到着します。港から運んで整備して、来週頭には訓練飛行に入れるはずです」
エーリッヒの説明を聞いたビクターの目が輝いた。
「聞き慣れない機体名ね。もしかして新型機?」
ハンナが頷いた。
「その通りよ。ドイツ空軍が、わざわざ不採用にした超高性能戦闘機よ」
ビクターはハンナの言葉に首を傾げた。
「わざわざ不採用? なんですのそれ?」
「まあ、その辺の話は、いつかするわ。とにかく、あのオブジェクトっていう奴に対抗できるだろう戦力になるのは間違いないはずよ。ソロモン海でクレーメンス社の測量船に救助された日本軍パイロットの話を信じるならね」
この時、ハンナが言っていたのは、一方的敗北に終わった第一次ソロモン海戦の後に海に漂うパイロットを救助したドイツのクレーメンス社の測量船で、日本海軍のパイロットが語った話についてであった。
その時救助されたパイロット岩本徹三が語ったのは、命中弾を与えればオブジェクトは砕ける。ただし、被害個所を切り離してオブジェクトは飛行を続けられるというものだった。
日本軍の戦闘機は、二挺の七・七ミリ機関銃しか装備していない。おそらくそれでは非力すぎてオブジェクトを撃墜できなかったに違いない。話を漏れ聞いた南十字義勇軍の兵器開発総責任者ヴェルナー・フォン・ブラウンは言った。
「火力、そして速度。これが何より重要になる。総てのブロックを撃破したら、オブジェクトは仕留められるということになるだろう」
ヴェルナーはそう言い切った。
He112は間違いなく、その二つを兼ね備えた現時点では世界トップクラスの戦闘機に間違いなかった。
これなら戦える、ハンナはそう手応えを感じていた。
「とにかくパイロットの揃うのを待ちましょう、どんなじゃじゃ馬が来ても、私は驚かないわ」
ハンナはそう言うと、またお茶を口に運ぶのだった。
この時、まさか本当に、ここがじゃじゃ馬娘たちの溜まり場に化すとはハンナは本気では思っていなかったのだが。
空に舞う剣を握る決意をした乙女たちは、この後続々とケアンズに舞い降りるのであった。




