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彼女達の決意、大和撫子たち2

 蝶子たちを取り巻く状況はある日一変した。

 日本の女子パイロット達、彼女らを取り巻く環境が急速に悪化してしまったのだ。

 日本が中国との戦争を始めてしまったのだ。

 空は軍が統制している。自由に飛べる時間はどんどん少なくなっていった。

 優先されるのは軍用機の飛行であり、民間機は空の炭に押しやられた格好であった。

 それでも、蝶子はドイツへの親善飛行という計画を立て、何とか政府に認めさせようとした。民間航空の火を、女性パイロットの立場を守ろうとしたのだ。

 だが、この壮大な計画は戦争を理由に却下されてしまった。

 肩を落とす蝶子に、親友のきよ子はこう言った。

「戦争はいつか終わるよ。そうしたら、二人で世界一周をやろうよ」

 この時はまだ、女性で世界一周を果たした者はいなかった。

 後に、アメリカのアメリア・イアハートがこれに挑み太平洋で消息を絶つことになる危険な飛行なのだが、二人はこれを必ず果たそうと誓った。

 しかし、運命の神は残酷だった。

 昭和九年十月二十一日、上仲鈴子の故郷への訪問飛行に長山きよ子は同乗した。だが、その途中で機体トラブルから上仲機は墜落事故を起こしてしまったのだ。

 上仲は無傷だったが、きよ子は重傷を負い病院に運ばれた。

 幸いに、きよ子は一命をとりとめた。しかし報せを聞いて病院に駆け付けた蝶子は、打ちのめされるような現実に直面したあった。

「お蝶、あたしの足が動かないの。感覚がなくて、どうしても動かせない……」

 涙も浮かべず、毅然と報告した小さなきよ子の体を抱きしめ、大きな体の蝶子は号泣した。

 この日から半身不随となったきよ子の身の回りは、すべて蝶子が見るようになった。

 もともと師範学校の同級生で、飛行学校に入るのを躊躇っていた蝶子を引っ張るようにして一緒に入学したきよ子、蝶子には文字通り無二の親友であり、家族以上に大事な存在だったのだ。

 自由に飛べる機会が少なくなったこともあり、蝶子は教師の職に就き給金を貰い、きよ子の身の回り一切の面倒を見た。この為、蝶子の飛行時間は極端に減った。

 きよ子は、何も言わずこの蝶子の世話を受けたが、空に飛べぬ日を過ごす蝶子をいつも暗い目で見ていた。

 いや、きよ子はもう一人の女性に対しても、大きく心に憂いを持ち続けていたが、それを人に語る事は無かった。

 戦争の影が長く生活を脅かし、日本全体が陰鬱な影の中にあったのも関係がないとは言えなかった。空は軍が管理し、民間飛行家の立場はどんどん狭まれていったのだ。

 そんな日々が続いたとき、去年つまり昭和十二年、日本の女性パイロットを揺るがす事件が起きた。

 樺太への親善飛行に向かった松本キクが、津軽海峡で墜落事故を起こした。これは、幸いに着水に成功しキクは無事に保護された。そもそもキクは、日本人女性として第一号の水上飛行機操縦免許を得た女だ、水の上に不時着するのは造作もなかったのだ。

 だが、政府と軍はそうは見なかった。

 女性の飛行は、大変危険であると断じて、この二か月後に女性パイロットの飛行を全面的に禁止してしまったのである。

 この瞬間に、政府は空のすべてを日本軍に引き渡してしまったも同然だった。男性の飛行家も、滅多に許可が得られなくなり、一等免許を持つ職業飛行家だけが優遇された。そう、女性は決して取れなかった一等免許保有者だけが。

 この結果、三十人近くいた民間の女性パイロット全員が翼を取り上げられてしまったのである。

 松本キクは、この措置に激怒した。

 飛ぶ事だけが彼女の総てだったからだ。

 思案の末キクは、陸軍の門を叩き、志願を申し出た。軍でなら操縦桿を握れると思ったのだ。

 陸軍は彼女を受け入れはした。

 だが、キクが望んだ戦場での負傷者を運ぶ輸送飛行の許可はついに得られず、この昭和十三年初頭に彼女は陸軍と決別、別の方策を探るべく動き、満州開拓団への参加を決めた。もしや日本以外でなら操縦桿を握れるかもという淡い希望からだった。

 だが、ここでも運命は過酷な結果を与えた。

 そう、亀裂の出現である。

 ソロモン海での海軍の大敗は日本政府に激震を与え、日本は対中国戦争の一時凍結を余儀なくされた上に、満州開拓に関しても消極的になった。いや、事実上新規入植を停止し、国内での軍備増強。すなわち対オブジェクト戦へ軍産強化に全面移行を決めたのである。

 すでに開拓団に入り、渡航したら、あちらで結婚も決まっていたキクは、その開拓団自体の解散という事態に見舞われ、婚約すら解消という現実を突き付けられ、秋からずっと自宅に籠っていた。

 蝶子はそれを知っていた。

 その蝶子に、昨日一枚の宣伝チラシを見せたのは、車いすに乗ったきよ子だった。

「お蝶、あなたはこれをどう思う」

 それは、あのドイツの大統領ハウエルがひそかに設立した南十字義勇軍の飛行士募集のチラシだった。

 そこには、パイロット募集の要件に性別不問と明記されていた。

 日本に居ても飛ぶことは許されない。日本軍は、女性を戦場には送ってくれない。

 聡明な蝶子の頭は瞬時に答えを出していた。

 だが、彼女はその答えを口に出来なかった。

 きよ子である。

 もし自分が、これに応募したら、彼女の面倒は誰が見るのだ。

 逡巡する蝶子に、きよ子がほほ笑んだ。

「お蝶、あんた学生のころから変わらないね。あたしがさ、なんでパイロットになりたいって言いだしたと思う?」

 きよ子が蝶子の手を握りながら言った。

「立川に学校の先生に連れられ飛行機を見学に行ったとき、あんたものすごい目を輝かせたでしょ。体験飛行の報せが来た時も、一番に飛びついた。でも、あんたは親から教師になる道を強いられて、自分から飛行学校に行くのを躊躇ってた。だからさ、あたしが行くって言えば絶対についてくる。そう確信して、あんたを誘ったのよ」

 蝶子は目を丸くしてきよ子を見た。

「じゃあ、きよ子、おんたあたしをパイロットにする為に自分も飛行免許を取ったっていうの?」

 車いすのきよ子はにっこり笑いながら首を縦に振った。

「そうよ、すべてはあんたの為。今まで黙っていたのは、あたしがおせっかいだって思われたくなかったからよ。でも、あなたの方がよほど人を気にする性格だって知ってる」

 きよ子は一度そこで言葉を切ると真剣な眼差しで蝶子に言った。

「だからさ、今回はものすごい無茶を言うわ」

 そういうときよ子は、握っていた蝶子の手をさらに思いきり強く握った。

「あたしは自分では飛べない。でも航法士ならできる。二等免許は伊達じゃない。あたしと一緒にこの義勇軍に参加して! 私だってまだ空を諦めていないわ!」

 蝶子は親友の手を、これまたその倍近い怪力で握り答えた。

「あなたが行けと言うなら、世界の果てまでだって背負っていくわ!」

 こうして二人の決意は固まった。その時、蝶子の脳裏に浮かんだのが松本キクの事だったのだ。

 彼女は、やはり飛びたいはずだ。

 自分などより強く強く空を駆けたい筈だ。

 それが叶わなくなり、彼女は家に引き籠った。

 彼女を誘うべきではないか…

 一晩考えても決心がつかず、早朝の入間川を見つめていた蝶子は、大きく頷いた。

「いつもあたしは消極的だった。誰かの後ばかり追いかけてきた。きよ子が、車椅子の必要な体になった今、あたしが先を進まなくちゃいけない。そして、あたしを引っ張ってくれたもう一人の大切な人、キクさんもきっと一緒に飛んでくれるはず」

 大きく頷いた蝶子は、家に戻るときよ子にこの決心を相談した。

 きよ子も大賛成し、川越に住む松本キクの家まで同行すると約束した。


 この翌日、二人はキクの家を訪れた。

「お蝶、きよ子、珍しいわね、どうしたの」

 二人を出迎えた松本キクは、明らかに憔悴していた。彼女にとって飛ぶことが生きがいだった。それを奪われた衝撃は、彼女の体重を大きく削っていたのだ。おそらく、大きな蝶子の半分近くにまでやせていたのではないだろうか。

「キクさん、あなたを誘拐に来たわ」

 きよ子が言った。

「え?」

 キクの目に戸惑いの色が走った。

 蝶子がずいっと前に出て言った。

「一緒に戦場に行きましょう。そこで、操縦桿を握って」

「ちょ、ちょっと待って、それはいったいどういう事なの?」

 家にずっと籠っていたキクは、南十字義勇軍の事を知らなかった。

「貴女も知っるわよね、南太平洋に謎の侵略者が現れたこと。我が国の海軍があそこで大敗したことで、世界中が大騒ぎになっている。その戦場であたしたちを必要としている人がいるのよ」

 きよ子はそう言うと、例のチラシをキクに手渡した。

 キクは目を皿のようにしてチラシを見た。そして、やはり性別不問の個所で目を止めた。

「女性でも、戦場に立てる、そういうことなのね」

 蝶子が頷いた。

「キクさん、あなたは誰よりも空を飛びたいと思っているはず。戦うのはあたしだって怖い、でも貴女は陸軍に志願してまで空を求めた。この誘い、断るはずがないわよね」

 すると横からきよ子が言った。

「あたしは自分じゃ飛べない、だから空の上でお蝶を助ける役を貴女にやってほしいの。嫌と言っても、首に縄付けてっでも連れて行くつもりよ」

 キクが二人を、身長百七十センチ近いお蝶と車いすのきよ子、高低差のある二人の顔を交互に見た。

「あんたら、まさかあたしがこれを見て断ると思うわけ?」

  痩せこけたキクが白い歯を見せ笑った。

「首に縄をつけるとしたら、あたしじゃなくてあなたたち二人の方ね。行くわよすぐにでも、もう支度は出来ているんでしょうね、遠いわよ集合場所のケアンズは!」


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