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ヘンゼルとグレーテル 5

14、


 私達の家から一歩外の世界へ踏み出せば、足元にまかれた砂利が少しばかりの音を立てた。それを始まりの合図のようにして、足裏に鈍い痛みのようなものがはしる。私は慣れていたはずのその感触に思わず慄いてしまった。

 もうすっかり冷たくなった風が私を一度か二度撫でて、辺りの植物の香りが私をくすぐる頃、森の入り口で私達を待つ両親が遠く向こうに見えた。


 その奥は果てしない。


「ほら、グレーテル。耳を澄ましてごらん。みんな僕らを歓迎しているよ」

 

 その呟きに呼応するかのように草花はざわめき、その音を、香りを、私達のもとへ運ぶ。

 それは手招いているようにも思えた。

 たとえ変哲のない道であっても、歓迎されること自体それほど悪い気分ではなく、私達はほどなくして両親の元へたどり着いた。……

 両親は私たちの到着を静かに待っていた。うす気味悪い笑みだ。

 着いたところで、彼等は何を言うでもなく、森へ向かって歩き始めた。

 そして言うまでもなく、私達もそれに着き従った。


 こうして、私達は森の中を進んでいった。


 辺りには湿った土の匂いが立ちこめていて、一歩踏み出す毎に、ざくざくと小気味のいい音を立てながら足元は沈んでいく。

 今日は、朝露に太陽の光が爛々と輝いて、目が眩んでしまうような、そんな朝だった。それなのに、ほんの少しだけ寒い。

 外の空気を吸えば、気分も晴れるかと思っていたものの、その実、水蒸気が水滴に変わるように、不吉な煙が私の中で質量を帯びて、胸の底へ溜まっていくばかりだった。

 息を吸えば吸うほどに苦痛は増した。

 死への恐怖がそうさせるのではない。ただ、どこに行くのかも、どのように行くのかも、はっきりとしないこの状況がいけなかった。

 それでも、私達は進むしかないんだ。そう自分に言い聞かせながら、私は両親の後を追った。

 歩くような早さでゆっくりと、向かうのは何か。

 目の前のものから輪郭が失われていく、不思議な感覚。

 私は抜け出すことのない微睡みの中で にいて、目に映る全てが、遠い。

 綺麗なもの、美しいものだけが私の世界から抜け落ちてしまったようだ。それなのに、私の世界は普段よりも、きらきらとしていた。それは私の視界を覆い尽くすほどに明るくて、思わず眼を瞑ってしまいそうになるほどに。

 ただ、見知らぬ世界は輝かしくも、私は孤独だった。

 事実。私の足取りは子犬のようにたどたどしく、身体は地面に引き寄せられているかのように重苦しい。

 

 そのぼんやりとした世界のなかで、せめてこの岐路を見失ってしまわないように、私達は幾度も幾度も印をつけていった。


 ひとつめは、私達の家が朝日に照らされて、寂れた煙突屋根が爛々と光り輝くのを目の当たりにしながら。


 ふたつめは、近所の野良が子らを引き連れ、しゃがれた声でひと鳴いて、藪の中へ消えるのを見送りながら。


 みっつめは、まるまるとした小鳥がせかせかしながら何か啄むのを見届けながら。そして。……


「よっつーーと、その前に」

 姉はポシェットの中を開き、慣れた手つきで石を探しあてた。そうした後に「君もおいてごらんよ」と私に差し出した。

 太陽に透かしてみれば、昨晩の様子からは想像できないほどに、その石は他のもの、そこらにある有象無象と比べて格段に白く滑らかだった。

 それは高貴で、美しく、少しセンチになれば、一種の反骨精神に似たものを宿らせているようにも思えた。

 だからこそ、太陽の光の下で煌々と光輝くことができるのだろうか。……

 こんな世界でも美しくあろうとする気概は中々のものであり、そうすると、私はほとほと愚鈍である。

 私は姉に言われるがまま、よっつめとなる印を道に刻んだ。

 石によって泥が掻き分けられて、ずぶりとした感触が伝わってきたことにまた慄き、思わず鼓動が高まった。

「それでよっつだね。ほら、今、君の右腕が離れてしまったよ。楽しいね。僕達から少しずつ身体が失われていくんだ」

 姉はそう囁く。

 私とは反対に、姉が石を置く際の様子はなぜか楽しげだった。今の私達の立場からすると、不謹慎なようにも感じられるくらいに。

「お姉様ったら、失礼だわ。私の手足はちゃんとここにあるもの」

 それにその様なことを言われて、何となく、気持ちがいいものではない。

「おお! さすが僕の可愛い妹だね。よくわかっているじゃないか。君の手足はこの石にもあるし、そこにもあるよ。後はどこにあるんだろうねぇ」

 そういって姉はケタケタ笑った。

 茶化す姉に苛立ちを覚えたので、私は

前を向き直し、先へ進んでいる両親を見据えた。

 私達の少し先を歩く両親は、また姉がよくわからない話をし始めたので、いつものように取り合わなかったのか、ただただ無言であった。


 私も姉の言葉の全てを理解することはできなかったが、今一度、まじまじと見つめてみれば、お高く止まっていたその石も、なるほど私の一部であるように思えた。

 助けを求める幼子のようでさえ。

 その石に宿っているもう一人の私は、今どんなことを考えているんだろうと夢想していく内に、少しばかりの愛着心が湧いた。


 私はもう遥か彼方にあるような、私の半身に対して想いを馳せた。


 よっつめの石は、私が私である証として。


 後ろを一瞥してから、私達は再び歩み始めた。


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